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『灯影百譚──見えぬものと、ひとの縁』  作者: にせもん


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第六十六話 誰にも届かない「ごめんね」




その町では、時折、**「見えない字が浮かぶ壁」**が現れるという。


 ある日、白壁にうっすらと浮かび上がったその文字は、

 人によって違って見える。


 ある者には「ありがとう」と読め、

 ある者には「ごめんなさい」と読める。


 けれど、その文字はいつも――

 「もう届かない誰か」に宛てられていた。


 灯守ともりは、小さな港町に着いた。


 風が強く、家々の壁が塩で白くなっている町。

 そこに、**「誰にも届かない『ごめんね』の壁」**があると噂されていた。


 その壁は、町の北端の細い路地にあった。


 ただの漆喰の白い壁。

 だが、灯守が前に立ったとき――そこには、文字が浮かんでいた。


 「ごめんね あなたを信じられなかった」


 その文字は、ほんの一瞬で、すっと消えた。


 風もなければ、雨もない。


 けれど、まるで「想いの記憶」だけが、壁を滑って消えたようだった。


 町の古書店を訪ねた灯守に、老婆が語る。


 「あの壁にはね、昔から“誰かの悔い”が浮かぶんだよ。

  誰に見えるかは、その人が“何を抱えてるか”によるらしい」


 「うちの息子もね……二十年前に出て行ったっきり。

  あの壁に“お母さん、ごめん”って読めたことがあるの」


 「泣いたわよ。あの子がまだ、生きてるかもって思って……」


 ある日、灯守は偶然、壁の前に立ちすくむ青年を見つけた。


 青年は震える声で呟いていた。


 「……本当に見えるんだな……」


 「俺には、“ごめん、おれは弱かった”って読めた。

  それ、兄が最後に残した言葉と同じなんだ」


 兄は、十年前に姿を消したという。


 家族にも、友人にも、誰にも何も言わずに。


 けれど、その“最後の言葉”が、この壁に現れた。


 「生きてると思っていいのかな」と青年が問うたとき、

 灯守は静かに首を振った。


 「生きているかどうかより、

  “その想いが、あなたに届いた”ことが大切だと思います」


 青年は涙を堪え、最後に壁に向かってこう言った。


 「許すよ。遅かったけど……ちゃんと、届いたよ」


 翌朝、灯守が通りかかると、壁には何も映っていなかった。


 ただ、足元にだけ、小さな言葉が書かれていた。


 「ありがとう」


 灯守は旅帳にこう記す。


 「謝罪とは、声に出せずとも、想いさえ届けば、

   過去の鎖はゆるやかに解ける」


 白い壁は、今日も何も語らない。


 けれど誰かが立つたび、きっとその胸の奥に、

 「届かなかったごめんね」が、ようやく流れていくのだろう。


(第66話・了)

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次回も、灯の下でお会いできますように――。

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