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『灯影百譚──見えぬものと、ひとの縁』  作者: にせもん


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第五十四話 抜け道の花嫁



 その村は、もう地図から名前が消えていた。


 奥山の斜面にへばりつくようにあった小さな集落。

 戦後すぐに開かれ、昭和の終わりに姿を消した。


 けれど、山を知る猟師たちは今でも言う。


 「あの道には気をつけろ。白無垢の女が通るからな」


 その道は、村から峠を越えて隣の谷へ続く“抜け道”だった。


 整備された道ではなく、木々のあいだに踏みならされた細道。

 石が転がり、獣の足跡に混じって、草履の跡が残ることがあるという。


 灯守ともりがそこを訪れたのは、旧盆の前日だった。


 山の空気は涼しく、木々のざわめきが静かに耳を撫でた。


 かつての村の痕跡は、崩れた石垣や傾いた祠にわずかに残っていた。


 祠には、白くかすれた祝詞のようなものが書かれていた。


 「花嫁 通りて 道開く」


 村には、古くからの言い伝えがあった。


 毎年、夏の終わりに白無垢の花嫁が抜け道を渡ると、その年は豊作になる。


 ただし、花嫁は誰のものでもなく、“村のためのもの”だった。


 そして、ある年から――花嫁は来なくなった。


 灯守は、山道を歩いていた。


 すると、杉の根の間に、ひとつの草履が落ちていた。


 繊細な刺繍の施された古い花嫁草履。

 布地は風化していたが、そこにしがみついた“気配”は確かだった。


 ――かすかに、鈴の音がした。


 その音に導かれるように、灯守は抜け道を登っていった。


 夕暮れが近づくと、霧が立ち込め、視界が白く染まった。


 そして、霧の向こうに現れた。


 白無垢の女。


 顔は見えない。けれど、肩から垂れる紅のかんざしが揺れていた。


 彼女は、静かに歩いていた。


 まるで、誰かとの約束を思い出すように。


 灯守がその姿に声をかけると、彼女は足を止めた。


 「……この道を、通ってよいのでしょうか」


 その声は、あまりにもか細く、でも確かな“願い”を含んでいた。


 「あなたは、誰のために歩いていたんですか」と灯守は問う。


 花嫁は、顔を伏せたまま、こう答えた。


 「わたしは、誰の嫁にもなれなかった。

   ただ、村のために用意されただけでした。

   だから、最後にこの道を通ったとき……もう、わたしの名前はなかった」


 彼女は、自分の意思で選ばれたのではなかった。


 祭祀としての“花嫁”――

 その役割を終えたとき、彼女は存在すら“返されて”しまった。


 灯守は、拾った草履を差し出した。


 「貴女の歩いた道は、忘れられても残っていました。

  名がなくても、誰かの願いの中に、確かに」


 花嫁は、草履を受け取り、そっと足元に揃えた。


 歩き出したその姿は、どこか誇らしげで、悲しくも美しかった。


 霧が晴れたとき、花嫁の姿は消えていた。


 そのあとに、抜け道の両端に白い花が咲いていた。


 見たこともない種類の花。

 けれど、風に揺れる様は、まるで“歩みの軌跡”だった。


 灯守は、古びた祠の前で旅帳を広げる。


 「名のない約束も、祈りも、

   歩んだ先に花が咲くならば、それはもう誰かの記憶になる」


(第54話・了)



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