第三話 消えかけの狐面
山のふもとの町に、年に一度の“山祭”がある。
灯守は、その祭が好きだった。どこか懐かしく、どこか淋しい――そんな風が、山から降りてくる夜。
この祭には、ある“おまじない”がある。
夜のうちに誰にも見られず、山の奥へ行って、一本の灯を持ち帰れたら、それは“願いを叶える狐灯”になる、という。
もちろん、迷信だ。誰かが持ち帰ったという話も、実際に願いが叶ったという証もない。
けれど、子どもたちは毎年こっそり挑んでいた。
今年、灯守はひとりで山へ向かった。
理由は特にない。ただ――“呼ばれた”ような気がした。
山道の途中で、風が止まった。
灯守の足も、自然と止まった。
そこには、鳥居があった。
朽ちかけた木製の鳥居。ほとんど倒れかけていたが、根元には、きれいな草履が二足そろえて置かれていた。
誰かが、そこに“来ている”。
そして、その奥に――灯が見えた。
それは人の灯ではなかった。淡く、やわらかく、空気に溶けかかるような光。
灯守は鳥居をくぐった。
すると、不意に声がした。
「おまえ、見えるのか」
目の前に、白い狐面をかぶった“何か”が立っていた。
小柄で、子どものように細い体。白と赤の衣をまとい、足は素足だった。
だが、その輪郭はぼやけている。
灯守は、目を細めて言った。
「……君は、人じゃないんだね」
「うむ」
狐面の者はこくりと頷いた。
「でも、ひととおどりたい。おまえが見えるのなら、付き合ってくれるか」
「踊るの? こんな山奥で?」
「……今宵だけは、夜が“届く”のだ。だから、今だけ、踊れる。そういう夜が、百年に一度ある」
それが、今夜だと。
そう言って、白狐は灯守の手を取った。
草の上に、足音が重なる。
誰もいないはずの神社跡。けれどそこには、灯りが点り、鈴の音が鳴り、誰も見えない“観客”がいた。
灯守と白狐は、円を描くように歩いた。
白狐は、笛を吹いた。風が旋律となって、草葉を震わせる。
灯守は、ただ静かにその笛の音に合わせて歩を進めた。まるで何かをなぞるように。
「おまえは、なぜ来た」
踊りながら、白狐が訊いた。
「わからない。ただ、君のことを、ずっと前から知ってたような気がした」
「……ああ」
白狐は立ち止まり、面を外した。
そこには、透きとおるような瞳をした少女の姿があった。
髪は雪のように白く、肌もまた、光を映すように儚い。
「かつて、私は“願いを叶えるもの”だった。だが、願いは濁り、私の姿も濁った」
「――だけど、今、君はきれいだよ」
灯守の声に、少女は微笑んだ。
その笑みは、百年の孤独を隠すような、静かでやさしいものだった。
やがて、夜が明けた。
山に霧が降り、鳥の声が帰ってきた。
灯守が気づいた時、少女の姿は消えていた。
ただ、そばに――狐面が、ぽつんと残されていた。
そしてその面の内側に、こんな文字が書かれていた。
『おどってくれて、ありがとう。
また、いつか。
白火』
それから、灯守は狐面を家の窓辺に飾っている。
夜になると、ときおり、面がふっと笑うように見える。
それが夢か、それとも――。
(第3話・了)
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次回も、灯の下でお会いできますように――。