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『灯影百譚──見えぬものと、ひとの縁』  作者: にせもん


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第四十二話 水音の繭



 深い山を流れる、清く静かな川。


 その川辺に、夜になると白い“繭”のようなものが現れるという噂があった。


 それは布のようで、けれど生き物のように鼓動し、

 水音に合わせて微かにふるえていた。


 人はそれを、「水音の繭」と呼んだ。


 灯守ともりがその地を訪れたのは、梅雨入り間近の雨まじりの夕方だった。


 霧が薄く立ちこめ、川辺の小道には誰もいなかった。


 だが、橋のたもとに、一人の少女が座っていた。


 名を、柚香ゆずか


 黒い喪服に身を包み、川の流れをじっと見つめていた。


 「……この川の音を、忘れたくないんです」


 柚香はそう言った。


 一週間前、柚香は交通事故で母を亡くした。


 その帰り道、彼女はふとこの川辺に立ち寄った。


 すると、対岸に浮かぶようにして“繭”が現れたという。


 「誰にも見えなかったけど、私には、あの布が呼んでいるように思えたんです。

 あのなかに、母の声がある気がして……」


 灯守はその夜、柚香と共に川辺に立った。


 そして、静かに現れた“水音の繭”を目にする。


 繭は白く、淡い光を帯びていた。


 水面に浮かびながら、まるで誰かの胸に抱かれているように、静かに揺れていた。


 灯守は語った。


 「水音の繭は、“言葉にできなかった想い”を預かる布だ。

 死者の残した想いを、川の流れに紡ぎながら、ゆっくりと形にする」


 柚香は繭に向かって声をかけた。


 「お母さん、私はちゃんと立ちます。

 だけど……どうしても、最後に、ありがとうって、言いたかったの……」


 その瞬間、繭が微かにほどけ、中から小さな布片が舞い上がった。


 そこには、淡い字でこう縫われていた。


 「だいじょうぶ あなたは ちゃんと歩ける子」


 それは、母がいつも口にしていた言葉だった。


 柚香は目を潤ませながら、布を胸に抱いた。


 「もう、泣きません。……お母さん、見ていてね」


 夜が明け、繭はゆっくりとほどけ、布片となって川を下っていった。


 その音は、まるで誰かの鼻歌のように優しく、水音にまぎれて遠ざかっていった。


 柚香はその日から、毎朝、川辺を歩くようになったという。


 時には花を手向け、時にはそっと水に布を浮かべて。


 灯守はそれを遠くから見守りながら、小さな帳に一文を記した。


 「悲しみは、流れることで、繭から羽化する」


(第42話・了)



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次回も、灯の下でお会いできますように――。

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