第四十話 燈屋の契
人里離れた山道の奥、
誰も通らぬ峠を越えた先に、ぽつりと明かりの灯る家がある。
それが「燈屋」と呼ばれる場所だった。
その家には不思議な言い伝えがあった。
“死者が帰る場所”
“願いを遺した者の灯をともす家”
“最期の契約を交わす屋”
灯守がそこを訪れたのは、ひとつの不思議な報せを受けたからだった。
《誰も住んでいないはずの古家に、夜になると明かりが灯る。
その光は、まるで何かを待っているように揺れている》
山奥の細道を抜け、灯守が辿り着いたその家は、
時代に取り残されたように、穏やかで、そして寂しかった。
庭には野草が茂り、木製の門は少し軋んだ音を立てる。
けれど玄関先には――まるで今も人が住んでいるかのように、
丁寧に結ばれた草履が二足、揃って置かれていた。
「いらっしゃい。お待ちしておりましたよ」
奥の部屋から、老婆の声が聞こえた。
灯守が驚いて入ると、そこには白髪の老女が一人、囲炉裏の前に座っていた。
名前を、**咲**という。
咲は語った。
この家にはかつて、夫婦が暮らしていた。
咲と、その夫、政司。
政司は病を患い、ある年の冬に亡くなった。
だがそのとき、ふたりは“燈屋の契”を結んだのだという。
「灯が揺れていたら、私はまだ待っている。
でも灯が消えたら、そのときは、もう逢えない」
咲は、政司が死んだその日から、灯を絶やさずに灯し続けていた。
春も、夏も、台風の日も、大雪の夜も――
ただ、ひとつの希望のために。
「もう一度、あの人が戻ってくるのなら」
灯守は、囲炉裏の脇に置かれていた古い灯台を調べた。
すると、その灯台には、驚くべき仕掛けがあった。
油を注がなくても、咲の体温に呼応して灯るようになっていたのだ。
つまり、彼女が生きている限り、灯は絶えることがなかった。
「もう、私も永くはありません」
咲は、そう静かに笑った。
「でも、灯が消えるときには、政司が迎えに来てくれる気がして」
その夜――灯守は、外で静かに風の音を聞いていた。
家のなかでは、灯がふわりと揺れていた。
そして、午前二時を過ぎたころ――
ふっと、灯が消えた。
灯守が部屋に戻ると、咲は静かに目を閉じていた。
その顔は、どこか嬉しそうで、安らかだった。
そして、咲の隣には――
見覚えのない草履の跡が、ふたつ分、土間に残されていた。
それから数日後、峠の村で不思議な話が広まった。
「誰もいないはずの山奥の家から、夫婦が手をつないで歩いていくのを見た」
「まるで灯に導かれていくようだった」
灯守は、帰り際に燈屋の門にかけられた札を見た。
そこには、小さくこう記されていた。
「迎えに来てくれて、ありがとう」
(第40話・了)




