第三十九話 虫送りの帳
山間にある小さな村、鳥越では、初夏のある晩になると、ひとつの風習が行われる。
それは、“虫送り”と呼ばれる祭礼だった。
虫、といってもそれは本当の虫ではない。
この地では、“虫”とは、人の心に巣くう穢れや、念のことを指す。
その夜になると、村人は皆、布でできた“帳”を広場に吊るし、
そこに“虫”を焚き込めるように、火と風を使った儀を行う。
帳は黒く、墨のにじみで模様が描かれ、
炎に照らされると、人の形や、叫ぶ顔が浮かび上がるという。
灯守がその村を訪れたのは、ある少年からの手紙がきっかけだった。
差出人は、**日暮廉**という名の十二歳の少年。
《おかあさんが、おくった虫が、かえってきました。
ぼくが、ふせがないと、だれかがやられます。
でも、ぼくにはもう、いとがありません》
村に着いた灯守が目にしたのは、朽ちた神社と、その裏手に積まれた布の山。
それはすべて“虫送りの帳”だった。
今ではこの祭を正式に覚えている大人はほとんどおらず、
ただ廉ひとりが、布を一枚一枚手で縫い、祭の支度をしていた。
「母は、三年前、村の帳に“虫”をおくりました。
でも、それが帰ってきたんです。今度は、僕の肩に乗って」
廉の目の下には、**細く、黒い糸のような“虫の跡”**が浮かんでいた。
灯守は、その布の山を調べた。
古い帳には、いくつもの名前が縫い込まれていた。
その名の多くは――すでに亡くなった者たちのものだった。
夜、村人たちが寝静まったころ、灯守は廉とともに帳を広場に吊るした。
月がのぼると、布の内側で“虫”が蠢きはじめた。
それは、黒い糸が風に巻かれるように渦をつくり、
廉の背中から伸びた“影”と絡み合っていた。
「虫は、母の怒りだと思うんです。
あのとき、僕が母の言うことを聞かなかったから。
でも、僕、謝りたい。虫じゃなくて、母にちゃんと」
灯守は、一針の糸で帳の端を縫い止めた。
その糸には、廉の“言葉にならなかった謝罪”が込められていた。
糸が風に揺れ、帳が炎を映すと、そこに一人の女性の影が浮かんだ。
それは、優しく微笑む母の姿だった。
虫は、静かに炎に吸い込まれて消えた。
それは怒りではなく、悲しみでもなく――
**わずかに残された“会いたさ”**だった。
翌朝、帳の布は、白く燃え尽きていた。
ただ一枚、廉が縫った新しい布だけが、風に揺れて残っていた。
そこには、小さな文字でこう縫われていた。
「おかあさんへ ごめんね だいすきだよ」
(第39話・了)




