第三十八話 月映えの反物
それは、月の光にだけ模様が浮かび上がる反物だった。
昼のあいだはただの無地、
夜になると、月明かりに照らされて初めて、その布は“語りはじめる”。
語るのは、過ぎ去った記憶。
語るのは、未練と、あの日の約束。
その反物は、いつしか“月映え布”と呼ばれた。
灯守のもとに、ひとりの男がやってきた。
名を、村井清次。
彼は、ある反物を差し出しながら言った。
「婚約者が、式の前夜に姿を消したんです。
その夜、満月でした。そして……この布だけが残っていた」
灯守が見た布は、銀鼠のような淡い色合いで、昼には何の模様もなかった。
だが、夜――
月が高く上ると、布には紅の花々と、女の影が浮かび上がった。
それは、まるで“布のなかを歩く亡霊”のようだった。
女の名は、志穂。
村井と幼い頃からの許嫁で、朗らかで、しかしどこか物憂げな瞳を持っていたという。
志穂は、式の数日前から、不安定な様子を見せていた。
誰かに会っていたようでもあり、
何かに怯えているようでもあった。
村井が問いただすと、彼女は微笑んでこう言った。
「月の衣が、私を迎えにくるの」
灯守は、その言葉を手がかりに、“月映え布”の出処を調べた。
辿り着いたのは、廃業した古い織物屋の跡地だった。
かつてその店では、亡き人の記憶を織り込んだ特別な反物――
**「未練織」**を扱っていた。
織物屋の老主人が語った。
「“月映え布”はな、あの世とこの世を隔てる“境布”だ。
生者の未練、死者の願い、両方が強ければ強いほど……布に“道”が開く」
灯守は、布を夜の野に広げ、月光に浸した。
すると、布の模様が動き出し、志穂の姿が森の奥へと歩いていく様子が浮かんだ。
まるで誘うように、彼女の影は布の端から端へと静かに進んでいく。
灯守と村井は、志穂の影を追って森へ向かった。
布が導く道の先には、ひとつの古い祠があった。
そこに置かれていたのは――
真っ白な婚礼衣装と、志穂の手紙だった。
《私は、きっと病を治せない。
あなたを悲しませたくない。
でも、最後に、あなたと結ばれたくて――
月の布に、私の願いを織りました》
《これを見つけてくれたとき、
私はもう、月の下の夢になっているでしょう》
村井は黙って、布の上に手を添えた。
すると、布に浮かぶ志穂の姿が微笑み、
ゆっくりと布の奥へと歩き出した。
それはまるで、別れの舞のようだった。
祠の傍に咲いていた紅の野花が、月光に染まって揺れていた。
村井は、その花を一輪、布に包んで持ち帰った。
その夜から、月映え布に志穂の姿が浮かぶことはなくなった。
だが、その布を広げるたびに、
村井は静かに微笑み、こう呟くのだという。
「ありがとう。お前の願い、ちゃんと届いたよ」
(第38話・了)




