第二話 木の下の灯
その木は、いつも同じ場所にあった。
町はずれの旧校舎裏、小さな公園の奥。誰も通らない小道の先。
その先に、大きなケヤキの木が立っている。
季節は春。葉はまだ芽吹ききらず、枝々の影が地面に網のように広がっている。
灯守はそこに立ち止まり、ふと視線を感じた。
見上げた枝の途中に、小さな“光”があった。
それは、蝋燭のような、蛍のような、小さな灯。
そしてその下に、ひとりの少年が座っていた。
「……やっぱり、君も見えるんだね」
少年はそう言って、顔をあげた。
――いや、彼は“少年のような何か”だった。
肌はわずかに透け、輪郭がぼんやりしている。灯守の目には、人に見えない者がそう見える。
「君は、ここにいたのか」
「うん。長いことね。ずっと、この木の下で待ってたんだ」
少年はにこりと笑う。年齢にして七、八歳ほど。足を投げ出し、ブランコの支柱にもたれている。
しかし、遊具はさびつき、地面には落ち葉と花びらが積もっていた。誰ももう、この場所を知らないようだった。
「何を待っていたの?」
「……うーん、なんだったかな。たしか、“帰ってくる”って言ってたんだよ」
少年は少し首を傾げる。
「ここで待ってて。すぐに戻るからって。だから、ずっと待ってるの。まだ、来てないけど」
「いつの話?」
「さぁ? もう何回、桜が咲いたかも忘れちゃったや」
灯守は、少年のいる場所に歩み寄った。
少年のそばには、もう朽ちかけた革製のランドセルが置かれていた。
古びてはいたが、まだ背負えるほどの形を保っている。
そこに、名前が彫られていた。
「……結城 篤」
灯守はその名を口にした。
少年は少し驚いたように目を丸くし、それからうれしそうに笑った。
「覚えててくれたの? ……うれしいな」
「いや、今、ランドセルに書いてあったんだ」
「あ、そっか。えへへ、そりゃそうか」
少年――篤は、楽しげに笑った。あまりにも自然で、その場にぴたりと馴染んでいた。
だが、灯守は知っている。
この少年は、もうこの世に存在しない。
灯守は町の古い記録を調べた。旧校舎の裏の遊具で、かつて一人の少年が遊んでいる最中に姿を消したのだという。
時代は昭和の末。まだ防犯の概念が今ほど確かではなかった時代だ。
家の前まで見送ったはずが、帰ってこなかった。
「ちょっと寄り道して、公園に行く」
そう言って、彼は出かけた。
そして、それきりだった。
「……君を待っていた人は、もうこの場所を思い出せないかもしれない」
灯守がそう言うと、篤は、ほんの少しだけ笑顔を揺らした。
「そうかもね。きっと、もう何年も経ってる。僕も、時々、ちょっと寂しいなって思うんだ」
「でもね、君が来てくれたから、思い出せた気がするんだ」
「何を?」
「……さよなら、って言葉」
篤は、空を見上げた。
ちょうど、その瞬間――風が吹いた。
ケヤキの若葉が揺れ、ひとひらの花びらが、空から降る。
「やっと、言える気がするよ」
そう言った彼の身体は、静かに光の粒となって崩れていった。
名残惜しむように、木の枝がざわめいた。
少年の最後の“ことば”が、風に乗って、消えていく。
それから数日後。
灯守は、公園のすみに新しく置かれた花束を見つけた。
ケヤキの根元に、そっと添えられた白いカスミソウ。
傍らには、手紙が置かれていた。
『たいせつな あっくんへ
ごめんね。さがせなくて。
ありがとう。ずっと、いてくれて。
もう、さみしくないように祈っています。
あの日、約束を守れなかった だれか より』
灯守は、風に舞う花びらの中で、それをそっと読み上げた。
見えないところで、誰かの心は、きっと通じていたのだ。
(第2話・了)
ご感想をお寄せいただけると、とても励みになります。
もし気に入っていただけたら「いいね」や「フォロー」をよろしくお願いいたします。
次回も、灯の下でお会いできますように――。