第三十三話 蝋燭の階段
町の外れ、小高い山の中腹に、ひっそりと建つ古寺がある。
その寺へと続く石段は、ちょうど百段。
地元では「送り火の階段」とも呼ばれている。
毎年八月十三日の晩、百本の蝋燭に火を灯しながら、故人の想いを一段ずつ送り出す“百灯供養”が行われるのだ。
その夜、灯守は、山の麓に立っていた。
手には、一本の蝋燭と、短く折られたお経の紙。
蝋燭の名札には、見覚えのある名があった。
「佐久間緋子」
……灯守がまだ少年だった頃、隣に住んでいた老婆の名だった。
静かに微笑み、時折手鞠を編み、夜には昔話を語ってくれた人。
しかし、灯守が中学へ上がるころ、突然の火事で命を落とした。
誰にも看取られず、最後に誰を想っていたのか、誰にも伝わることのないまま。
百段の石段は、思ったよりも急で、長い。
蝋燭の火を手に、ひと段ずつ昇っていく。
途中、風が吹けば火が揺れ、過ぎた声のような囁きが耳を掠める。
階段の左右には、すでに灯された蝋燭たちがずらりと並び、それぞれの名と記憶を淡く照らしている。
「おかえりなさい。
お茶、まだぬるいけど――どうぞ」
ひとつ目の段で、幼い頃の灯守が呼ばれていた記憶がよみがえる。
「喧嘩した子の顔、ちゃんと覚えておきなさい。
仲直りしたときのために、忘れずにいるのよ」
二十段目、緋子の声がまたよみがえる。
三十段、五十段、七十段――
灯守は、緋子が人生で残した言葉を、灯火とともにひとつずつ辿っていく。
それはまるで、過去に歩んだ日々を逆からなぞるようだった。
記憶の灯りは、時間を遡る舟になる。
そして、九十九段目。
蝋燭の炎がひときわ強く揺れた。
そこには、緋子の最後の言葉が記された小さな札が置かれていた。
「ありがとう。わたしは、さびしくなかった」
最上段に立つと、目の前には、夜の闇と静かな山寺。
石段に並ぶ百本の火が、夜空の星々に呼応するように、凛として灯っていた。
灯守は最後の蝋燭を、緋子の札の横に添えた。
火は一度、ふっと揺れ――そして、穏やかに灯った。
その瞬間、遠くの空から、一筋の流れ星が降りた。
蝋燭の火がその方向へと吸い込まれるように揺れ、そして――ぴたりと静止した。
翌朝、階段の蝋燭はすべて消えていた。
けれど、百段目の火皿には、手鞠細工の小さな飾りがひとつ、そっと置かれていた。
あの人が最後に編んだであろう模様が、朝日を受けて、静かに光っていた。
(第33話・了)




