第三十一話 帰らざる街灯
古い商店街の奥に、一基だけ残ったガス灯がある。
通りの電灯はすべてLEDに変わったのに、その一本だけ、なぜか交換されないまま。
そして不思議なことに、その灯りは、毎晩きまって七時ちょうどに点く。
だが、誰が点けているのか、誰も知らない。
灯守がその街灯を見に行ったのは、風の強い晩だった。
すでに日が沈みかけ、通りのシャッターはほとんど閉まっていた。
商店街の奥、そのガス灯の下に、ひとりの少年が立っていた。
毛糸の帽子に、古びた学生服。
手には火打石のような道具を持っている。
「君、そこで何を――?」
灯守の声に、少年は振り向いた。
けれど、その目は灯守を通り越して、どこか遠くを見ているようだった。
「……今日は、来ないのかな」
少年はぽつりとつぶやいた。
「本当は、ぼくが灯す役目じゃないんだ。
毎晩ここに来て、待ってるだけ。
灯すのは――“先生”なんだ」
かつてこの商店街には、小さな塾があった。
昼は駄菓子屋、夕方からは子どもたちが集まる勉強部屋。
その塾を開いていたのが、少年の“先生”だった。
彼は貧しい家庭の子にも分けへだてなく教え、時には飯を炊き、時には本を貸し、時にはガス灯の下で人生を語った。
「先生は、いつも七時に来て、ガス灯を点けてくれた。
それが合図で、みんなが集まる。
“勉強だけが目的じゃない。生きることを学ぶんだ”って」
けれど、ある年の冬。
先生は病に倒れ、帰らぬ人となった。
塾も閉じられ、子どもたちは散り散りになった。
それでも、少年だけは通い続けた。
「だって、先生は言ったんだ。“灯りを絶やすな”って」
「でも……ぼくも、もうすぐ行くんだ。
この灯りを、だれかに託したかった。
先生がそうしてくれたみたいに」
風が吹いた。
七時ちょうど。ガス灯の火口に、ふっと火がともった。
誰の手も触れていないのに、柔らかなオレンジ色の光が周囲を包む。
少年は、にこりと笑った。
「――来てくれたんだね、先生」
そう言って、少年の姿はガス灯の影のなかにゆらぎ、静かに消えていった。
その後、灯守はそのガス灯に新たな名前をつけた。
「迎灯」――帰らぬ人を待つ、灯の名。
誰もいなくなったはずの通りで、今夜も七時ちょうどに灯がともる。
帰らぬ者の帰り道を、静かに照らしながら。
(第31話・了)




