第二十九話 椿の見る夢
町のはずれに、一本の古い椿の木がある。
毎年、冬の初めになると、誰に世話されるわけでもなく、真っ赤な花を咲かせる。
その花はどこか夢のなかのようにふわりとして、風に揺れずとも咲き、散り、また咲く。
“この木の下で、夢をひとつ見ることができる”――そんな噂が、冬の町にそっと広がっていた。
灯守がその木の下を訪れたのは、小雪がちらつく午後だった。
花は満開。けれど、寒さを忘れるほど、そこだけがやわらかくあたたかかった。
その根元に、ひとりの老婦人が座っていた。
白髪に椿の簪。和装の裾を丁寧にたたみ、古い編み物を手にしている。
「よく来てくださいましたね。あなたを、お待ちしていました」
「私は、“椿が見る夢”のなかに生きている女です」
老婦人は、そう名乗った。
「この木は、記憶と未来を結ぶ木。
私は、ここでたくさんの人の“夢”を編んできました。
ひとつひとつの椿の花が、それぞれの夢を咲かせては散ってゆくのです」
彼女の話によれば、椿は人の“叶えられなかった約束”や“願いかけた想い”を根に溶かし、
やがて夢として花にして咲かせるのだという。
「けれど、この冬は少しだけ違うのです。
椿が、“まだ見ぬ夢”を咲かせました。
――それが、あなたのものです」
灯守は驚いた。
自分は、過去を辿る者だと思っていた。
けれど、椿は“これから先に生まれる想い”を、先に咲かせてしまったのだ。
老婦人は、静かに糸巻きを差し出した。
金糸と銀糸が絡まり、まだ形になっていない編み目がそこにあった。
「あなたが“これから出会う人”。
“これから紡ぐ出来事”。
それらが、この糸に込められております。
どうか、忘れないでください――
未来にも、“灯”は、影を生みます。
影をたどれば、夢にも届くのです」
雪がひとひら、椿の花びらに落ちた。
その瞬間、老婦人の姿はすっと消えた。
残されたのは、椿の根元に置かれた小さな編みかけのマフラーと、一枚の札。
そこには、こう記されていた。
「あなたの夢が、あの子の春になりますように」
その夜、灯守ははじめて、自分の“これから”に心を寄せた。
未来の誰かに向けて、まだ見ぬ灯を手にして。
(第29話・了)




