第二十四話 海を背負った少年
その村には、もう海の匂いがしなかった。
港は閉ざされ、漁船は朽ち、堤防の先まで雑草が伸びていた。
けれど、灯守は、空気の奥にわずかに残る“潮の気配”を感じていた。
その気配に導かれるように、彼は古びた石段を降り、波止場の先端へと歩いていった。
そこに、少年がいた。
黒いゴム長靴、赤いウインドブレーカー、麦わら帽子を背中にしょったまま、足をぶらぶらとさせて座っていた。
そして、何もない海の上を、じっと見つめていた。
「……海って、なにも言わないけど、全部聞いてるんだよな」
少年は、灯守に気づいても振り向かなかった。
「ここは、昔、おじいと一緒に釣りした場所なんだ。
でも、ある日、船が戻ってこなくなった。
おじいだけじゃない。村の何人も……海にさらわれたまま」
「それ以来、海は“封じられた”。
港は閉じられて、舟は出なくなった。
それでも、ぼくはここで待ってる。……“おかえり”を言いたくて」
灯守は、足元の石に目を落とした。
波しぶきで丸く削られたその石には、小さな貝殻が三つ並べて置かれていた。
その中央に、黒く焼けた写真の切れ端。
古い家族写真のようだった。
しかし、誰の顔もはっきりとは残っていない。
「ぼくの家族は、みんな“海のなか”にいるんだって。
声は聞こえないし、姿もないけど、波の音がそれっぽく聞こえる日がある。
……そういうとき、ぼく、ちゃんと“ただいま”って言うようにしてる」
少年は、急に灯守のほうを見た。
その目は、どこか深く濁っていた。
海の底に、光が届く前の暗さのような――でも、どこかあたたかい色だった。
「君もさ、だれかを待ってるんだろ」
「……たぶんね。姿も名前も知らないけど、いくつも出会ってきた」
風が吹いた。
堤防に置かれた写真の切れ端が、さらりと空に舞い上がり、海へと滑っていった。
少年は立ち上がり、波に手を振った。
「また来るね!」
その瞬間、彼の姿が、ふっと陽炎のように揺らぎ、消えた。
あとに残ったのは、濡れた長靴の跡と、貝殻三つだけ。
その村では、年に一度だけ、かつての港に灯をともす祭がある。
“帰らぬ者”を迎えるための灯籠流し。
その夜、港の石段に、赤いウインドブレーカーを着た少年がひとり、灯を見つめて座っていたという。
そして、海に向かって小さく叫んだ。
「おかえり!」
(第24話・了)




