第二十三話 セミの殻
夏の終わり。
校舎裏の欅の幹に、いくつものセミの抜け殻が並んでいた。
茶色く、からんと乾いた小さな殻。
触れれば壊れそうなほど儚く、でも、そこには確かに“生きた証”がある。
その日、灯守はとある中学校の裏庭で、小さな箱を見つけた。
紙でできた折り箱の中には、並べて収められた無数のセミの抜け殻。
そのひとつひとつに、名前が書かれた紙片が添えられていた。
「春」「夢子」「はるひ」「小夜」「未完」
そして、一番端の殻には、こう書かれていた。
「きみ」
「……君、見つけてくれたんだね」
声がした。
振り返ると、制服姿の少女が立っていた。
長い髪、白い肌、指先は土に汚れていて、膝には絆創膏が貼られていた。
しかし、足音はなかった。
「わたしは、“残った方”」
「みんな、抜け出して飛んでいった。でも、わたしは、抜け殻の中に残っちゃったの」
「だから、“空蝉”としてここにいる。名前も、なかった」
彼女は、かつての中学生だった。
虫の観察が好きで、夏になると校舎裏の樹に通い詰めていた。
ひとつひとつの殻に名をつけ、そこに“ひとつの物語”を感じていたという。
「殻って、抜けたあとには何もないように見えるけど、
わたしにとっては、“今までの全部”が詰まってる気がして」
「だから、みんなに名前をつけて、そっと箱に入れてあげたの」
けれど、その夏、彼女は病に倒れた。
退院できたのは、秋の初め――セミの声がすっかり消えたころだった。
校舎裏の木に通えたのは、最後の数日だけ。
そのとき拾った抜け殻が、あの箱の中の最後のひとつ。
けれど、それには名前がつけられなかった。
「誰にも見つけてもらえなかったら、きっとわたし、“いなかったこと”になると思ってた」
灯守は、その小さな殻を、両手で包んだ。
「……じゃあ、“君”の名前を、ぼくが呼ぶよ」
彼はペンを取り出し、そっと名前を書いた。
「ひかり」
その瞬間、少女の身体が、光をはらんだように輝いた。
笑っていた。
泣きながら、でも笑っていた。
「ありがとう。
わたし、ようやく“抜け出せた”気がする」
風が吹いた。葉が舞った。
彼女の姿は、ふわりと溶けるように、消えていった。
翌朝、灯守が校舎裏を訪れると、木の根元に箱はなかった。
ただ、一本の欅の幹に、一つだけ新しい殻が残されていた。
小さく、けれどまっすぐな筆跡で、こう書かれていた。
「ありがとう。わたしは、ここにいた」
(第23話・了)




