第九話 赤い封筒
その封筒は、投函口の奥で眠っていた。
町はずれの古い郵便局。すでに閉鎖され、窓口も閉ざされ、使われなくなって久しい建物の中に、それはぽつんと残されていた。
朱の色をした、やや厚手の封筒。
宛先は書かれていない。差出人も、切手も。
ただ、その紙の匂いだけが、ずっと“時間”を封じ込めていた。
灯守は、何かに引き寄せられるように、その封筒を拾った。
その瞬間、手のひらに“温度”のようなものが走る。
そして、聞こえた。
――「届けて、どうか、あの人に」
灯守は、顔を上げた。
そこに“誰か”が立っていた。
女性だった。三十代ほどの和装姿。けれど輪郭は淡く、半ば透けている。
「……あなたが、この封筒の持ち主?」
「そう。私は“渡せなかった手紙”です。もう身体も名前も、思い出せないけれど……“この気持ち”だけが、まだここにあるんです」
「手紙の中に?」
彼女はそっと頷いた。
「たった一言だけ。どうしても、それだけが言えなかった」
「それは、“好き”とか、“ごめん”とか、そういう言葉?」
「いいえ――“さようなら”です」
その言葉に、灯守の胸がふと、締めつけられた。
灯守は、その足で図書館へ向かった。
旧郵便局に関する資料を調べる。
すると、ひとつの記録が見つかった。
二十七年前、閉鎖される直前の郵便局で、女性職員が一人、急逝したという。
名前は「川添 美鈴」。
局内で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
彼女が職務を全うしていた最後の日、ひとつだけ“投函されずに残った封筒”があったとされる。
それが、今の手紙だ。
「……あの人に渡したかった。でも、できなかった。怖かったの。終わってしまうのが」
美鈴は、封筒を胸に抱いて語った。
「だから、“さようなら”って、言わずにいた。手紙は書いたのに、最後の一歩がどうしても踏み出せなかった」
「……灯守くん。あなたなら、あの人に“さようなら”を届けられる?」
「――うん」
灯守は、美鈴の実家があったという町を訪ねた。
地元の人に訊くと、「川添美鈴」を知っているという年配の男性がいた。
彼はしばらく黙って封筒を見つめ、やがて静かに言った。
「……あいつが、これを?」
「もうとっくに終わったと思ってた。けど……俺も、本当はずっと、あの日の“さようなら”を聞きたかったのかもしれない」
彼は封筒をそっと受け取り、胸元に抱いた。
「ありがとう。……よく、届けてくれたな」
その夜、灯守の夢に、美鈴が現れた。
窓辺に立ち、夜風に髪を揺らしながら、やさしく笑っていた。
「――これで、ようやく終わりにできるわ。ありがとう。あなたが届けてくれて、本当に、よかった」
彼女の姿は、朝日が差す前に、静かに消えていった。
それ以降、灯守の手帳には、真紅の花の押し花が一枚、静かに挟まれている。
それは、「さようなら」の代わりに咲いた、ひとつの想いの証だった。
(第9話・了)
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次回も、灯の下でお会いできますように――。




