第百話 さよならの音
その郵便局は、地図にも名前にも載っていない。
町の北端、かつて線路が通っていたという廃道の先。
夕暮れになるとだけ、古い瓦屋根の建物が浮かび上がるように姿を現す。
その名も、「無配局」。
一年に一度、“宛先のない手紙”だけを受け付けるという、不思議な場所だった。
入口にはひとつだけ、風鈴がかけられている。
けれど、鳴る音はどこか不協和。
“今”という時間と、何かが少しだけズレているような、そんな響き。
灯守がその場所に辿り着いたのは、旅を始めてちょうど五年が経った晩。
夏の終わりの風が、長く伸びた影を引きずっていた。
局内は薄暗く、木の匂いが染み込んでいる。
受付には誰もおらず、ただ一冊の帳面とペンが置かれていた。
その横には、注意書きが一文だけ。
「宛先のない手紙を、声にして読みあげます。
受け取る者があれば、その音は“さよなら”になります」
灯守は席についた。
もうすぐ“百の旅”が終わる。
今まで旅帳に記した、数え切れぬほどの物語たち――
どれも名を持たず、記憶の中で揺れる声を拾い続けてきた。
この場所は、その終点としてふさわしい気がしていた。
と、不意に風が吹いた。
机の端に、封筒が一通、滑り落ちてきた。
“見覚えのある筆跡”――
それは、灯守が旅を始めた“きっかけ”になった人物のものだった。
差出人:緋月 澪
受取人:灯守 陽一
――彼女の名を見たのは、五年ぶりだった。
あの日、灯守が教師を辞め、旅に出る背中を押した唯一の人。
彼女は、すでにこの世にいなかった。
けれど彼の中では、ずっと旅の原点として息づいていた。
手紙を開くと、文字は淡く、まるで声を記したように優しかった。
「陽一へ。
旅は、もう終わるころかな。
百の灯を集めるって、言ってたよね。
もし、この手紙を“声に出して”読んでくれているなら、
それはたぶん、あなたが“自分の物語”に戻る合図なんだと思う。
わたしは、あの日、あなたを送り出したことを一度も悔いていないよ。
あなたが出会ったたくさんの人、拾ってきたたくさんの物語。
そのどれもが、あなた自身を描き直してくれたはずだから。
だから、最後にひとつだけお願い。
“今度は、自分のために旅をして”
いつかまた、夢の中でもどこでも。
会えたらいいね。
――澪」
灯守は、静かに声を出して読み終えた。
その瞬間、風鈴がやさしく鳴った。
今までと違う、音の調和。
まるで、ずっと探していた“さよならの音”が、ようやく形になったかのように。
局内の空気が、ふっと緩んだ。
外では、星がひとつ、流れていた。
灯守は旅帳を開いた。
最後のページに、こう記した。
「名前も、形も、残らなくても。
誰かの声に乗った想いは、いつか音になる。
それが“さよなら”であっても、
きっとそれは、新しい旅のはじまりになる」
(第100話・了)
あとがき
100話目までお付き合いくださったあなたへ、
心からの感謝と、静かな祝福を込めて。
この物語たちが、あなたの中で少しでも“声”となり、
心の片隅で灯をともしてくれていたなら――それは、何よりの幸せです。
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次回も、灯の下でお会いできますように――。




