09.最高の朝
翌朝。
メイドたちが雪崩込むようにして、ティナの部屋に入ってきた。
手にはコルセットと濃い緑色のチュールドレスが抱えられている。ドレスには金糸の刺繍で所々花の意匠が施されていた。
「ティナ様、まずは入浴でございます」
「……は、はぁ」
たたき起こされたティナに拒否権は無い。
メイドたちに連れられて、部屋の内扉を抜け、隣の部屋に向かった。昨晩は疲れて気が付かなかったが、隣の部屋に繋がっていたらしい。
(ここを抜けて、別の部屋からの逃走パターンもあったわね。……やっぱり、昨日は私も詰めが甘かったわ)
ティナは、昨晩の自分の行いを反省していた。
まさか、1階に降りたタイミングで、アリスティドと騎士隊長から挟み撃ちにされるとは思っていなかったのだ。
鍵開けの技術が未熟だったことも、災いした気がする。
(王太子……アリスティドの言う通り、鍵開けをはじめとして、もっと勉強はした方が良いわね、絶対)
昨日の銃の持ち方ひとつ取ってもそうだ。
ティナは、詐欺では必要ないからと戦闘についてはずぶの素人だった。
もし、あの場にアリスティドが現れていなかったらと思うとゾッとする。
(仮面の男たちとアリスティドが関係ないのは本当だとして。あの男たちの正体も分からなければ、アリスティドが私を欲しがった理由も、結局、良く分からないし……)
ティナが、ぼんやり考え事をしながら、歩みを進めると、ふわり、と薔薇のような香りが広がった。
隣の部屋は浴室になっていた。バスタブに真っ赤な薔薇の花びらが浮かんでいる。ぼーっとしていると、ティナは服を脱がされ、浴槽の中に押し込まれた。
「ティナ様は、何もする必要はございません。メイドに全てお任せください」
「はあ」
言葉の通りだった。ティナは、されるがままだった。
ごしごしと全身を磨かれ、花の香りがするお湯で洗い流される。その後、ふかふかのバスタオルで全身拭かれたかと思うと、風を起こす魔道具で髪を乾かされる。
(なんて、快適なの……)
ぽかぽか、と体の芯が温まる感覚。このまま、二度寝してしまいたかった。
ティナは、風呂に入る、という行為が生活の中で一番苦手だった。もちろん、入浴はするが、入るまでが面倒である。そして、入ってからも、風呂から上がった後も、面倒である。
(最高。ずっとここに住んでもいい……)
ずっと王宮に住めるのであれば、悪役なるものも、悪くないかも、なんてティナは思ってしまう。
(でも、ちょっと待ってよ。私ってどういう名目で王宮に住まうことになるのかしら)
流石に王太子と言っても、この国の貴族でもない、しかも結婚詐欺師の謎の女を王宮内に住まわせたいなんてワガママが通るとも思えない。
ティナは、アズーラの公爵令嬢とは言え、ただ籍があるだけの『訳あり』である。アズーラ国に聞いたところで、『そんな令嬢知らない』か『死んだ』と返されるのがオチである。
(まあ、使用人として住むことになるんでしょうけど。となると、この豪華な入浴介助も無くなるのかぁ……)
ティナはしょんぼりと肩を落とした。この客人扱いも、きっと本日で終了である。
「ティナ様、それでは次は着付けでございます」
「あ、はい……」
ふと鏡を見れば、いつの間にか髪のセットまで終わっていたらしい。綺麗に編み込まれた黒髪は、どこからどう見ても、どこかのご令嬢である。
ティナも結婚詐欺の時は綺麗に結い上げるものの、やはり人にやってもらうのとはクオリティに大きな差がでる。
(うん、私もヘアセットの技術ももう少し上げたいわね、メイドさんたちの技術を盗まなきゃ)
ティナが立ち上がると同時に、メイドたち数人がティナを取り囲み、あれよあれよという間に着付けされていく。
流石、仕事が早い。しかし、ティナはここで至って、シンプルな疑問を浮かべた。
「あの……」
「はい、何でしょうか、ティナ様」
メイドの1人が、手際よく手を動かしながら早口で応じる。
ティナが纏っているのは、先ほどメイドが手に持っていた深緑のドレスである。
「なんで、ドレスなんて……」
「殿下のご意向でございます」
「は、はぁ……?」
朝食を食べて、『王太子の都合のいい駒』として頼み事をするだけなら適当なワンピースでも着せればいい話である。
昨晩逃げようとした結婚詐欺師を着飾って、何をするつもりなのだろうか。
にこにこと笑うアリスティドが目に浮かんで、ティナは憂鬱な気持ちになった。
(彼のことだもの。きっとろくなことを考えていないはずだわ)
ぐっと、腰のリボンが結び上げられ、ティナは思わず「ぐぇ」と令嬢らしからぬ声を上げてしまった。
こんな立派なドレスを着るのは、久々なのである。
(舞踏会にでも連れていかれるのかしら。……こんな朝っぱらから?)
ぼんやりティナが考えているうちに、着付けは終わったらしい。
メイドたちは、一礼するとそそくさとティナの部屋から出ていった。
それと入れ替わりになるように、コンコンコンと扉が鳴らされる。
「どうぞ」
時計の針はちょうど10時を指している。メイドたちの仕事にティナは感心して、ほお、と感嘆の息を吐いた。
がちゃり、という音とともに入ってきたのは、うっすらと笑みを浮かべたアリスティドだった。黒のジャケットを羽織っている彼は、見るからに高貴なお方、という感じである。胸元で光る深緑のブローチはティナのドレスの色と合わせたのだろうか。
「うん、やはり俺の見立ては間違ってないな。昨晩の真紅のドレスも似合っていたし、君はやはり、こういう装飾の多くついた派手なドレスが良く似合う。急遽離宮にあったものを用意したが、サイズもぴったりで良かった」
近寄ってきた彼は、ティナの袖元の装飾を優しくつついた。きらきら、とパフスリーブについた宝石のような石がきらきらと揺れる。
(これ、まさか本物の宝石……?)
ティナはとても恐ろしくて、彼に『これ、本物?』なんて聞けなかった。その代わり、ドレスに見合うようぴんと背筋を伸ばす。
アリスティドは、黒い革手袋のついた左手を差し出した。
「お手をどうぞ、お姫様」
「私は姫じゃないけれど」
「この国では、令嬢のことを『お姫様』と呼ぶこともあるんだよ、可愛い詐欺師殿。さあ、朝ごはんを食べよう」
くつくつ、とからかうように笑う彼のご機嫌のツボはやっぱり分からない。ティナは、首を傾げながら、彼の手を取った。