06.俺と悪役になってよ
勝てない。
ティナがそんなことを思うのは初めてだった。きっと、皇族だからではない。
アリスティド自身が持つ『圧倒的強者』のオーラにティナの心は折れそうになっていたのだ。
「────ティナ・カラディスよ」
諦めたようにそう名乗れば、アリスティドは目を細めた。
「……ふうん、海軍国家アズーラ国の公爵家だな」
「なんだ、知っててわざと聞いたの?」
「どうだかな」
相変わらず飄々とした態度を崩さないアリスティドに、ティナは補足する。
「でも、私は籍を置いてるだけで、ほぼ勘当されているようなものよ。だから、今はただのティナ。家とアズーラ国への報復はやめてね」
「俺はそんなつまらない男に見えるのか、残念だな」
彼は、口元をふっと緩めて、息を吐いた。
アリスティドのペースに巻き込まれてはいけない。ティナは、縛られたまま彼を見上げて話を続ける。
「とにかく、貴方にこれ以上話せることは無いの。私は、結婚詐欺の単独犯。ジャックは私に脅されていただけの少年よ。殺すなら、さっさとして」
「なるほど」
先ほど、仮面の男たちは自分とは無関係である、と言い切ったアリスティドだが、どこまで本当なのかわからない。
アリスティドの目的が分からない以上、ここはジャックを逃がして自分が犠牲になるのが最善の手だろう。
「余計なことは話さず、あくまで身内の従者を庇う、か」
アリスティドは、うんうん、と目を瞑って頷いている。
「口の堅さ、仲間意識、俺の正体を見抜く聡明さ、そして自分の命を懸ける的確な判断……なるほど」
彼は目をパッと開いて、真剣な表情でティナの顔を覗き込んでくる。
「やっぱり、君、いいな。……絶対に欲しい」
彼がぱちんと指を鳴らせば、するり、と縄が解かれた。
まるでダンスに誘うかのように、優雅に手を引かれ立ち上がらされる。かと思うと、両手で顔を固定され、ぐっと引き寄せられた。
ティナは強制的にアリスティドと目を合わせることになる。
「な、なに……?」
逃げようにも逃げられない。生物としての上位互換が、捕食するかのようにただティナのことを見定めている。
「……やっぱり、君、俺と一緒に悪役になってよ」
「……?」
先ほども聞いた『悪役になって』と言う言葉にティナは首を傾げる。
言葉の真意は読み取れない。ただ、彼は愉快そうに口元に笑みを浮かべていた。
「この国には、後ろ暗い組織も、人間も、山ほどいる」
「……そんなの、私が一番良く知ってるわ」
「ははっ、そうだったな、可愛い詐欺師殿」
くつくつ、と喉を鳴らしたアリスティドは、ティナの顔から手を離した。
「悪に正義で勝とうなんて、無理だ。この世の中、お日様の下、正々堂々と裁判をして処刑できるような人間ばかりじゃない。目には目を、悪には――――悪を。そうだろ?」
「…………」
アリスティドの意見は一理あった。
一件平和そのものの、学術国家と呼ばれるアウレリア王国だが、水面下では表沙汰にならない犯罪も沢山行われている。特に、貴族がらみになると立件も難しくなる。
ティナが結婚詐欺に引っかけていた、ルシアンの実家であるモンフォール男爵家だって、そうだ。
アウレリアの人間は頭が良く回る。そのため、犯罪も巧妙化している。しかも貴族も絡んでいる。そうなると、真正面から悪を裁こうなんて無理な話なのだ。
「話はわかった。けれど、『俺と一緒に』って、王太子が矢面に立つなんてありえないわ。騎士団か、それこそ間者でも秘密裏に動かせばいいじゃない」
「……ふっ、それ本気か?」
アリスティドは馬鹿にしたように、鼻で笑う。その意味が読み取れないほど、ティナの頭は悪くない。
「なるほど。王宮内の人間も信用できないってことね。王太子が一人でこそこそ動き回る必要があるほどには」
「話が早くて助かる。まあ、信用できないというか……王宮の人間は頼りにならない」
彼は頷きながら、ティナに一歩詰め寄った。
「だからさ、俺と一緒に悪役になってよ。君となら、この国に蔓延る闇を潰せる気がするんだよ」
「…………なんで私なの?」
「俺は、情報を引きだす手段が拷問しか知らないから。上手に、情報引きだせる人間が欲しいと思った」
「ずいぶんと物騒ね」
ティナは目を細めて彼のことを見た。
アリスティドは少年のように目を輝かせているが、要は『間者になれ』ということである。ただの結婚詐欺師にそんなこと務まるわけがないだろう。
(……無理な話ね。この王太子の人間性が読めないのも理由の一つだけれど)
あまりにぶっ飛び過ぎた話である。それなら、殺された方が幾分マシかもしれない。
「申し訳ないけれど──」
ティナが目線を逸らした瞬間だった。手首を掴まれ、そのまま迫られたかと思うと、無理矢理、壁に押し付けられる。
ドン、という音と共にアリスティドの体と壁に挟まれてしまった。
「君、まだ、自分に拒否権があると思ってるんだな」
彼は、胸元から短剣を取り出すと手の中でくるくると回した。月明りが反射して、刃先がきらりと輝く。
「────……!」
ぐさり、と。
そのまま短剣をティナの顔の横の壁に突き刺した。横を向けば、耳のすぐ横にキラリと光る刃が見えてティナは震えた。
あと少しずれていれば、彼女の目を貫いただろう。
「……ひっ」
「ははっ、詐欺師は暴力になれてないもんなぁ。これだから知能犯は」
怯えているティナを見て、アリスティドは機嫌が良さそうに笑った。
そして、短剣を抜くと、刃先を自分の指に当てた。本来血が出るはずのそれは――――しゃきしゃき、と音を立てながら、ハンドル側に引っ込んでいる。
「残念、これは子供だましのおもちゃだ」
「っ……!?」
よく見れば、それは屋台なんかで良く売っている子供向けのナイフのおもちゃである。子どもがお腹なんかに押し当てて、『刺されたぁ……』なんてふざけている光景はたまに見かける。
人をからかって楽しいのか、アリスティドの形のよい唇は吊り上がり、宝石のような瞳が細められる。
「でも、これからは本物にも慣れなきゃ駄目だからな」
はいあげる、とおもちゃをティナに押し付けてくる。
ティナは唇を噛んで、アリスティドを見上げた。悔しいが、今アリスティドに反抗したところで、勝算は無いのだ。
(逃げられる、はずもない)
「……わかったわ」
首を縦に振るしかできなかった。
そんなティナの様子を見て、アリスティドは小さい子どもにするように、わしゃわしゃと頭を撫でた。
「よくできました」
そして、先ほどまでの殺気も全て嘘かのように、爽やかに一礼をした。
「じゃあ、これから、よろしくな。可愛い詐欺師さん。一緒に、地獄に行くまでダンスを踊ろうじゃないか」
「……あら、私は地獄でもダンスを踊るけど」
その言葉が予想外だったのか、アリスティドは、目を見開いたあと、くつくつと笑うのだった。
「……ははっ、やっぱり良いな君」
ぱたん、と扉が閉まり、ティナは力が抜けたようにその場に座り込んだのだった。