32.頭脳戦はまかせて
階段は、かなり深くまで続いており、行き止まりには重厚な金属の扉があった。ティナはその扉に手を添える。
「この先に、誘拐された人たちがいるのね」
「そうだ。俺らで助けるんだ……行こう、ティナ」
その言葉と共に、ティナの手の上にアリスティドの冷たい手が重ねられる。ゆっくりと扉を押すと、そこは夜とは思えないくらいの熱気があふれていた。
がやがやと楽し気な声が広がるホールには着飾った男女が溢れている。
アルコールと香水の匂いがつんと鼻を刺した。
「行方不明になってた人間が何人かいるな。ここは……」
アリスティドが息を飲んでいるのが分かる。ティナもまた、あっけにとられたように、目の前の光景を見つめていた。
「私を攫おうとした仮面の男たちと会員証のカードのせいで、ずっと勘違いしていたわ。仮面の男たちは、もしかすると――――この失踪事件には絡んでいなかったのかもしれない」
ティナは思い違いをしていたのだ。
ずっと、失踪した人間たちは、本人の意思に反して誘拐されたのだと思い込んでいた。けれども。
(彼らは誘拐されたわけではなくて――――)
「よっしゃぁ! 勝ったぞ! これで昨日の負けが取り返せる!」
「凄いですわぁ! 男爵!」
「そうだろう!なあ、ディーラー!」
ルーレット台の前で大声をあげ、チップを抱え込む男を見ながら、ティナは頭を抱えたくなった。
(――――自ら望んで入り浸っていたんだ!)
露出の多いドレスを着た美しい女がぴったりと張り付き、男は浴びるように酒を飲んでいる。そのテーブルには高級そうなボトルがいくつも転がっていた。
完全に、この居心地のいい空間に酔いしれ、依存してしまっているようだった。
「ここは、会員制の闇カジノと言ったところか」
「何だろう、良かったというか、いや、全然良くはないんだけど……」
てっきり、奴隷のオークションでも開かれているのかと思っていたティナは、ほっと一息ついた。確かに闇カジノなんて、バレれば一発摘発で、関係者は全員拘束されてしまうだろう。
(でも、人が死ぬようなことは無い……ってことは、エリーナちゃんのお父さんとお母さんも無事ってこと……。いやでも、ギャンブル依存症になってるのは、ちょっとなぁ……)
ぐるぐると頭の中で、思考を回し続ける。
(どうするのが最善? 下手に私たちが事件に絡むことなく、しれっと騎士団に報告を上げた方が良い気もするわ)
ティナは再び溜息をついた。そして、隣にいる男に声をかけようとして振り向く。
「それじゃあ、私たちはどうする――――って、アリス?」
彼の姿は見当たらない。カラフルな店内の中、しばらくきょろきょろと見回していると、遠くからアリスティドの声が響いてきた。
「やった、俺の勝ちだ」
彼のいるテーブルには、チップが高く積み上がっている。手に持っているのは、酒……ではなく、クリームソーダである。
「……はい?」
ティナは、慌てて彼のいるテーブルに向かった。感情は、呆れを通り越していた。
「……ちょっと、何やってるのよ!?」
「ほら、まずチップを作らないと」
「はぁ!?」
なぜ、一国の王太子が闇カジノに興じているのか。
ティナは眉間を押さえた。ガンガンと痛みそうになる頭を押さえながら、アリスティドを見据える。
「良いから、行くわよ」
アリスティドの袖を引っ張る。
この場所がただの闇カジノと分かったのだから、正当な手続きを踏んで、さっさと騎士団に報告を上げるべきである。
だが、アリスティドは一向に席を立とうとせず、ティナの顔を見て、ふっと笑みを浮かべた。
「へえ、君はギャンブルが下手なのか」
「…………」
「よほど自信が無いとお見受けした。可愛い詐欺師殿」
にっこりと口元の余裕のある笑みを浮かべたアリスティドを見下ろしたティナは、ディーラーに投げかける。
「……このテーブルは何?」
「ポーカーです」
ディーラーが答えると、ティナはアリスティドの隣に腰掛けた。この男に挑発をされると、何とも腹立たしい気分になるのだ。
「……一回だけよ、一回だけだからね!」
◇
「あの二人、ヤバくねぇか……?」
「どれだけ稼いでるの……」
テーブルの周りにちょっとした人だかりができた状態で、ティナとアリスティドのポーカーゲームは幕を閉じた。
我に返ったティナは、テーブルに突っ伏していた。
(最悪……なんで、こんなに目立ってるわけ……)
結果から言うと、ティナは大勝ちした。もっとも、同じテーブルにアリスティドがいたせいで、思ったように稼げなかったのが少し残念ではあるが。
「役無し《ブタ》で、あんなに堂々とレイズ出来るか?」
「いいや、俺は無理だね」
「役者か詐欺師じゃないのか、あの女の子」
周囲のひそひそ声も、ばっちりとティナの耳に届いている。
(ああ、正解よ! 大正解!)
ティナは、ディーラーによる清算を終えると、積み上がったチップを1枚の高額チップに変えてもらい、すぐに席を立った。もう、これ以上視線を浴びるのは御免だからである。
「行くわよ、アリス」
「もう一戦……」
「しない!」
逃げるようにアリスティドの腕を引っ張り、ドリンクカウンターに向かう。落ち着くために、モヒートを注文して、背の高い椅子に腰かけた。
「あのね、どういうつもりよ」
「そんなに怒らないでよ、可愛い婚約者様。君だって、ノリノリでポーカーに興じてただろ?」
「…………」
ティナは、差し出されたモヒートをぐいと飲みながら、アリスティドを睨みつけた。
「どこに、闇カジノを楽しむ王太子がいるのよ」
「ここに居るけど? 極悪王太子が」
「はぁ……」
こんなことなら、カイルから爆弾でも借りてくれば良かった。そして、今すぐ火を付けて目の前の憎たらしい男に投げつけてしまいたい。
「今日のところは引き上げていいでしょ。どう考えてもミラージュが噛んでるような事件じゃないんじゃない?」
「そうかな」
最もすぎるティナの言葉に、アリスティドは、意味深な笑みを浮かべたのだ。
「君は、あのリストを見て『ただの奴隷のための誘拐』だと考えていたみたいだが、俺は別の可能性も考えていた」
「…………どんな」
「『貴族や商人だから、金を持っている。だから、闇カジノに興じているのだろう』君は、きっとそう考えているな」
「違うの?」
「……アレを見ろ」
アリスティドの指さす方向を見れば、若い男女が泣き叫んでいるのが見えた。薄茶色の髪に、綺麗な紫色の目の男とおっとりした栗色の毛の女だった。
その顔つきは、数日前に保護した少女にそっくりである。
(あれって、エリーナちゃんの……!)
29.カジノの正体
ティナが駆け出そうとするのを、アリスティドが手を前に出して制止した。
「嫌だ! 私は負けていない!……まだやれる!」
「そうよ、まだまだ取り返せるわ! だから、また『貸して』ちょうだい!」
しかし、周囲の人間たちは、彼らに冷ややかな目線を浴びせる。彼らの前に立ったディーラーは、冷酷にこう言い放った。
「あなた方は、もう『上限額』まで借りられています。お代を返してもらわねばなりません。それが不可能なのであれば、分かりますよね?」
「そ、そんな……っ!」
膝から崩れ落ちた夫妻は、赤い絨毯の上で絶望したように息を荒げた。
「家には、あの子が待っているのに……」
「ギャンブルにずぶずぶのめり込んだ、貴方たちが悪いんでしょう?」
「そ、それは、うちの借金を返すためだ! 『稼ぐ方法がある』って言って、俺たちを連れてきたのは、お前らじゃないか!」
泥を投げつけ合うような会話である。ティナは、口元を歪めて彼らを見つめることしかできない。隣のカウンターで飲んでいた男たちが、ひそひそと話している声が聞こえる。
「アイツらも、『生贄』か」
「ま、仕方ないよなぁ。そういう『契約』なんだから」
(生贄……? ここは普通のカジノではないってこと? 一定の額に達すれば、破産するのではなくて、生贄としてささげられる……?)
ティナは、ぼんやりと思い出す。
圧倒的な魔力を持ち、アリスティドですら実態を掴むことができないミラージュ。その圧倒的な魔力を『人から奪っている』とすれば。
(考える順番が逆なんだわ! 貴族や商人を狙った訳じゃなくて、『ある特徴』の人間をターゲットにしていたら、貴族や商人が集まった……!)
アウレリアは、勤勉な平民にもその貴族の地位が与えられる稀有な国である。それでも、成功しやすい人間の特徴はある。
アウレリアでは、1割にも満たないごく少数の人間だけが持っている力。
(――――彼らの共通点は、『魔力を持っている』ことだ!)
このカジノが、ただの闇カジノなどではなく、ミラージュの魔力を集めるための施設であるとすれば。
ティナがアリスティドの方を見れば、彼は綺麗な金髪をいじりながら、問いかける。
「どうする、ティナ。今日のところは引き上げるか?」
「性格悪い聞き方をするのね」
(マーチ夫妻……エリーナちゃんの両親は、最初からミラージュの魔力のために、ギャンブル漬けにされて、それで……)
人の弱みに付け込んだようなやり方は気に食わない。遠目にディーラーを一瞥したあとに、アリスティドに宣言するように言った。
「帰るわけないじゃない」
「それでこそ、俺の悪役婚約者だ」
アリスティドは、ひょいとスツールから立ち上がると、カツカツと足音を鳴らしながら、件のテーブルに近付いていく。
そうして、こう告げるのだ。
「――――これはこれは、マーチ殿」
床に横たわったマーチ夫妻に目を合わせるように、アリスティドは絨毯にしゃがみ込んだ。彼から発されたのは、ずいぶんと穏やかな声である。
「だ、誰だ、なんで、私の名前を……」
顔を上げたエリーナの父に向かってアリスティドは、目を細める。軽蔑したようにも見えるその双眸は、彼らを捉えて離さない。
「娘がいながら、ギャンブルにハマるなんて哀れだなぁ」
「……――――」
図星を突かれたように、エリーナの父は強く唇を噛んだ。強く噛み過ぎて、白くなった唇からぷちんと血が滲む。
「……分かってる。自分たちが悪いんだって。あの子に! エリーナに! 苦しい生活を味わって欲しくなくて!」
「そんなの大人の言い訳だろ?」
追い打ちのようなその正論に、エリーナの父は慟哭にも似た声を上げる。
「そうだ、そうだよ! 全部、私たちが悪い!……うぅ……っ、できることなら……あの子にもう一度会って、最後に別れの挨拶だけでも……」
そう言ったマーチ夫妻の前に、もう一つの陰が落ちた。アリスティドの後ろに立った赤いドレスの女である。
「マーチさん、私、エリーナちゃんに会いました。エリーナちゃんは、ずっと植物園を彷徨っていたんですよ」
「あの子が……!? 屋敷を抜け出してか!?」
「貴方たちのことを探していたんです。ずっと、泣いていました。ずっと、ずっと、ずっと……っ!」
「うっ……うう……っ!」
アリスティドは、胸元のポケットから、金色に光るチップを取り出して投げつけるように床に放った。
「これ、やるよ」
「はっ!?」
ティナもそれに倣い、マーチの横に、スッと銀色のチップを置いた。
「こちらも、どうぞ」
「はっ、はぁっ!? な、なんなんだ、この高額チップは……君らは……一体……?」
突然現れた救世主を見上げるにしては、あまりに不審な目だ。当たり前だろう。こんな闇カジノにヒーローはやってこない。
「――――ただの悪役だけど、なあ?」
「そうね、ただの悪役だわ」
そう言い切ったアリスティドとティナは、どこからどう見ても悪人にしか見えないだろう。
アリスティドは、ティナの耳元に唇を寄せる。
「ほら、やっぱりチップ稼いでおいてよかったろ?」
ティナは悔しいけれど、その言葉を否定できない。




