22.従者と公爵令嬢(?)
悪夢を見てから、ティナは高熱を出した。と言っても、風邪を引いたわけではなく、一時的な知恵熱のようなものだった。
翌朝になれば、ティナの体はずいぶんと楽になっていたのだが。
「お嬢様、大丈夫ですか!」
「うん、大丈夫よ。ジャック。ありがとう」
「色々買ってきましたから。フルーツの盛り合わせに、お嬢様の大好きなハム、あとは……」
サイドテーブルから溢れそうなほど積み上がっていく『お見舞いの品』を見上げながら、ティナは溜息をつきたくなった。ジャックは昔からこういう過保護な一面がある。
(相変わらず、大袈裟だわ……)
ティナは少しだけだるい体を起こして、ベッド横に駆けつけた男を見つめる。慌てて来たのか、右側の髪が大きく跳ねていた。
「風邪ではないのよ、ただ知恵熱が出て……」
心配させまい、と告げたその言葉は逆効果だったらしい。ずいっと、顔をティナの方に寄せて、目を見開いた。
「知恵熱? 王太子に危ない目に遭わされましたか。それとも、酷いことをされましたか。殺してきましょうか」
「だ、大丈夫よ」
ティナは慌てて、ジャックの手を掴む。止めなければ、本当に走り出してしまいそうだった。ティナは、掴んだ手をするりと解くと、毛布に目線を落とした。
「――――久々に、あの夢を見たの」
「……っ!」
さすが、ティナと長い付き合いの従者だっただけある。『あの夢』だけでティナの心中を察したのだろう。ジャックは、悔しそうに、苦々しそうに、唇を噛んで俯いた。
「ずっと見ていなかったはずなのにね。なんでなのかしらね」
「…………」
アウレリアに来てから、かつての自分のことは客観的にみられるようになって、気ままに悪女になっていたはずだった。
それなのに結局はこの有様なのだから、笑えてくる。
「お嬢様は、無理してないですか。最近、ストレスが溜まっているとか。疲れたら悪夢を見るって、前に言ってましたよね」
「…………」
ティナは、ここ最近の出来事をぼんやりと考える。
(アリスから誘拐されて、悪役になろうなんて言われて、国王に謁見して、王太子の婚約者になって、誘拐事件の作戦を立てて――――)
これが、すべて半月以内の出来事だというのだから、ストレスが溜まるのも当然かもしれない。ジャックからの言葉を否定せずにいると、彼は意気揚々と立ち上がった。
「やっぱりそうなんですね。王太子、殺してきます」
「待って、お願い。物騒だから」
ティナが再びジャックの手首を掴むと、彼は諦めたように椅子に腰かけた。ティナがほっとしたのも束の間、ジャックの気が変わらないうちにと、話題を変えるように話を振る。
「どう? カイルとはうまくやってる?」
思い浮かんだのは、綺麗な研究員の青年のことだった。『美人』とアリスティドに揶揄された彼とジャックは、現在失踪事件の事前準備のための情報収集や事前準備を行っている。
王都に隠れ家を借り上げ、そこに籠りっきりで情報をまとめ上げることもあるそうだ。
「あの人は、人との距離感が分かっているので接しやすいですね。情緒も穏やかですし、他人をからかうこともしません」
アリスティドとは違って、という言葉が後に続くようだった。
ジャックは付き合う人間を選ぶ。嫌な人間とは早々と距離を置くため、本当に上手くいっているのだろう。
ジャックは、「それに」と続ける。
「……カイルさんは金髪じゃない」
「いや、金髪関係ないでしょ!」
ティナは、自分の具合の悪さも忘れて叫んでいた。
「いいや、関係ありますよ。そもそも、お嬢様は金髪に弱すぎるんです」
「そりゃ、見た目はそうよ? 金髪で顔が綺麗な人間は、確かに? 好みではあるけど」
「…………」
もごもごと答えたティナの言葉を聞いて、翡翠のような瞳がぐっと細められる。
「お嬢様は……初恋の婚約者を引きずっているのかもしれませんけど。アイツは、お嬢様から、家族も、住む場所も、全てを奪った最低で最悪な――――」
そこまで言って、ジャックはハッとした顔をした。そして、申し訳なさそうに目を伏せた。
「……すみません。そのせいで、お嬢様の具合が悪くなっているというのに」
「いいわよ、別に」
ティナもまた目を伏せた。
ジャックにまで、迷惑をかけて申し訳ないと思う。そのためにも、やはり過去と決別しなければならない。
(……やっぱり、そのためにも、今回の失踪事件を追わなきゃならない。膨大な魔力を持つミラージュが『あの人』なのかどうかを確かめるために)
それが、たとえアリスティドを利用することになっても。
ティナが心の中で、そう決意すると、大きなノック音と共に、一人の男がティナの寝室に足を踏み入れた。
「来てたのか、忠犬ワンワン」
「誰がワンワンだ。というか、いきなり断りも無しに、婚前の淑女の寝室に足を踏み入れるなんて非常識じゃないのか」
「……忠犬、それ自分も同じだからな」
アリスティドは呆れたような声でそう言うが、ジャックは全く気にしていない様子でそっぽを向いた。その上、王太子を目の前にして、大きなあくびをかます始末である。
あまりに不遜な態度だが、アリスティドの方も気に留めずに、サイドテーブルを見上げる。
「お、果物の盛り合わせだな。君は何か食べるか?」
「なんでアンタが用意したみたいな言い方なんだよ」
アリスティドは、ジャックの言葉を無視し、手にリンゴとメロンを持ってベッドの上にいるティナを見つめた。
どちらも艶が良く、美味しそうである。
「……じゃあ、リンゴ」
「よし分かった」
アリスティドは、胸元から短剣を取り出すと、器用にリンゴの皮をむき始めた。そんなアリスティドを面白くなさそうに見上げるのは、ティナの従者である。
「おい、王太子。それ果物ナイフじゃないだろ」
「そうだな。普通に人を殺す用途の短剣だ」
「……そんなものでお嬢様に食べさせるリンゴを剥くな」
ちっ、と小さな舌打ちをしたジャックに、アリスティドは飄々と答える。
「大丈夫。消毒もしてるし、そもそも人を切ったことすらない。……この剣じゃ」
(この剣じゃ、ね)
含みのある言い方に、ティナは口の中で小さくそう呟いた。物騒なこの極悪王太子と昨日ティナの背中を撫でてくれた男が、同一人物だとはとても思えない。
リンゴの切れ端を、いくつか口の中に入れて、アリスティドはぺろりと舌なめずりをする。それが妙に色っぽくてティナは目を逸らした。
「はい、完成」
「……わっ、可愛い!」
小さなカゴに、飾り切りされたリンゴが並んでいた。格子状になったものや、ハート型に皮を残して切ったものもある。
アリスティドが手に持っているのは、ウサギの形に切られたものだ。
「はい、これはウサギさん」
「……っ」
そのまま、ウサギをティナの唇にちゅっとキスをするように近づけた。ふに、と唇に硬い感触があたり、そのまま口の中にウサギ型のリンゴが押し込まれる。
「アリス、ティド……」
「はは、顔が赤いな。そんなに照れてくれるなら、俺が本当にキスをしても――――」
「おい、お嬢様は具合が悪いんだぞ!」
「ははっ」
がたり、とジャックが椅子から立ち上がった。その様子を見ながら、アリスティドはなぜか満足げに笑い声を漏らした後、ひらりと手を振る。
「じゃあ、お大事な。可愛い婚約者」
「二度と来るな!」
追い出すかのようにジャックが声をかけるが、アリスティドは振り向かずにぱたりと扉を閉めて出ていった。
「何しに来たんだ、あの男!」
イライラした様子で吐き捨てるジャックは、扉に向かって叫んだあとティナの方を凄い形相で見つめた。
「お嬢様、いつでも逃げていいんですからね。騙されないでくださいね! 顔には!」
「だ、大丈夫よ」
ティナは、リンゴを口に入れながら、ジャックに座るように促した。しゃくしゃくとリンゴを齧る音が、寝室に響いていく。
「……分かってます。お嬢様が、単に『逃げられないから』って理由だけで王太子に捕まってるわけじゃないってことくらい」
「……そう」
「それでも、心配なんですよ。お嬢様はすぐ無理をするから」
困ったような顔をして、ジャックが視線を落とした。
「困ったことがあれば、すぐに言ってください。俺は何があっても、お嬢様の味方ですから」
「いつも本当にありがとう、ジャック。私がここまでやって来られたのも、ジャックのおかげだから」
「……じゃ、じゃあ、そろそろカイルさんが研究所から隠れ家にくる時間なんで、俺は帰ります」
ジャックは、照れ隠しをするかのように、すくりと立ち上がる。帰り際、いつもより声色のトーンを落として、彼は言った。
「お嬢様の魔法、絶対に王太子にはバレないようにしてくださいね。お嬢様の魔法は、ただ『姿を変える』ものではないんですから」
「……当たり前でしょ」
ティナは、大きく息を吐いた。そんなこと、ティナが一番わかっていることではあるが、ジャックが釘を刺したくなるくらいには、ティナの存在は世界を揺るがすものである。
(私の魔法も、私の本当の正体も。絶対にバレるわけにはいかない)
「じゃあ、お大事にしてくださいね――――姫様」
久々に呼ばれたその呼び方に、ティナは柔らかく微笑み返すのだった。




