21.詐欺師の怖いもの
「カイルってめちゃくちゃ優秀ね」
カイルが離宮を訪れたのは、ティナがルシアンの情報ノートを渡してから、わずか数日後だった。いつものように中庭にいたティナは、右手で資料に目を落としながら、そう言った。
カイルは、ルシアンの発言や趣味などから、彼や彼にまつわる人物たちが訪れそうな場所を、優先順位を付けて地図に示してくれている。
ティナとアリスティドが、そこで聞き込みや張り込みをすれば、情報が集められるという算段だ。
「全部情報が地図に落としてあって、本当にわかりやすいわ。ありがとう!」
「いやあ、光栄だなぁ。もちろん、ジャックくんもしっかり働いてくれたおかげだからね」
「別に、俺は……」
カイルの横にいたジャックは、ふいと横を向いた。その様子を見るに、ずいぶんとカイルに懐いたらしい。
良かったとティナが胸を撫でおろしたのも束の間、カイルの目の下には、うっすらとクマが出来ているのに気が付いた。
(さすがにオーバーワークだったんだ……)
アリスティドの無茶に答えた形だろう。ティナは心の中で両手を合わせておいた。
そして、右手の資料を一旦地面に置いて、もぞもぞと動く。きつく縛られたお腹の縄が緩めば、木と縛り付けられていたティナの体は自由の身となった。
「てか、お嬢様何してるんですか」
「……えっ、紐抜けの練習だけど」
ティナはアリスティドが不在の時だって、悪役になるための訓練を欠かさない。今日は、メイドに体を木に括りつけてもらい、そこから抜ける練習だった。
一度ではなかなか身に付かない技術だ。日々の積み重ねが大事なのだと思い知らされる。
「何してんだ、マジで……」
「あ、ジャック、もう一回縛って!」
「はいはい。でも、あの王太子に毒され過ぎないようにしてくださいね」
ジャックは呆れながらもティナを木に括りつけてくれる。
(午後からは、アウレリアの歴史でも勉強しないといけないし。明日は、もう一回銃の持ち方を確認しないといけないし……ああ、忙しい!)
◇
燃え盛る炎の音が耳を裂くように響く。息をするたびに喉が焼けそうになり、焦げ臭さが鼻を刺した。
(また、この夢……。勉強をしていたはずなのに、寝てしまったのね)
ティナは、ジャックとカイルが帰ったあと、離宮の客間で勉強をしていたはずだった。しかしながら、疲れがたまっていたのか、勉強途中にすやすやと寝てしまったらしい。
ティナは、貴重な時間を無駄にしてしまったことを後悔しつつ、目の前の光景に目をみはった。
(久々だわ。この夢をみるのは……。私の家が燃えて、家族が死んだ夢)
ティナが結婚詐欺師になる前の過去をなぞるようなこの夢は、ティナが動くことでしか覚めないのだった。
燃え盛る炎を見上げながら、ティナは煙で潤んだ目をごしごしと拭った。
(……窓を開けなきゃ、はやく)
ティナは、懸命に目の前の窓の鍵を壊そうと、見よう見真似で小枝を鍵穴に刺し続ける。力技で突っ込むと、がちゃんと音を立てて扉が開いた。
(あ、開いた……。やっぱり、アリスティドの言う通りだったのね。この時って、ピッキングが成功したんじゃなくて、ただ、錠を壊しただけだったんだわ……)
夢の中で答え合わせが出来たのも束の間だった。扉を開け放った瞬間に、炎が波のように押し寄せる。熱風が、ティナの頬を掠めていった。
(そう、家が燃えているのに気が付いて。慌てて、バルコニーからよじ登ったのよね)
ティナが入り込んだその部屋は、ティナの母親の部屋だった。目の前には、髪色こそ違うものの、ティナと同じ美しい顔を持つ母親の姿があった。燃え盛る炎は、ティナにも迫ってきている。
『お母さま……』
『なんで戻ってきたの! 逃げなさい。貴方なら助かるから』
『どうして、一緒に逃げようよ――――』
言葉を遮るように、ふっと笑みを浮かべた母はゆるゆると首を横に振った。
『無理よ。無理なの』
そう言った母の脚は、倒れてきた本棚と床に挟まっていた。もう助からないのだと、ティナですら分かってしまう。
母親を燃やすように、炎が一層燃え上がる。
『ねえ、誰がこんなことしたの!? お母さまじゃないのよね。それなら、お父さま!? ……私は絶対に許さない!』
『違うのよ、これはね……――――!』
全ての元凶であるその人物の名前を聞いた時、ティナは言葉が出なかった。
『逃げなさい、ティナ。ずっと愛してるわ』
びゅうと強い風が吹いた。
それは、母の魔法だった。せめて、自分が燃えるところは見せないようにという母親なりの優しさだったのかもしれない。
その勢いで、ティナは吹き飛ばされた。
そうして、先ほどの母親の言葉を思い出す。
母でも父でも大臣でもない。この城を火にかけたのは。
(今度こそ、絶対に探し出してやる……! アリスティドを利用して、次こそは……)
だだ、今はもう、その人間の顔も名前も思い出すこともできない。ぼんやりともやのかかった頭を抱えながら、ティナは真っ逆さまに落ちて行くのだ。
(夢だって分かっていても、怖い……)
落ちて行くのは一瞬のはずなのに、それは何度夢に見ても永遠に思えるほど長かった。
(いやだ。火も、高いところも、怖い。人間も、もう何も信じられない……)
この時のティナは魔法の発現が、まだだった。
だから、家族を救うことすらできなかった。落ちて行く視界に映る、まだ少し小さな自分の手を見ながら、ティナは涙を零した。
◇
「……――――ティナ」
その声にハッと目を開く。目の前には、炎の海などではなく、テキストが散乱している。びっしょりとかいた汗を拭いながら、ティナは起き上がろうとして力が抜けた。
机に伏せたまま、肩で息をする。
「はぁ……っ、はぁ……」
窓の外を見れば、とっくに日が暮れていた。ティナは慌てて、机に突っ伏していた上半身を起こす。
「無理に起きなくていい、ゆっくり呼吸して」
妙に優しいアリスティドの声に、ティナは段々と落ち着きを取り戻してくる。深呼吸をしながら、ティナはアリスティドを見上げる。
「怖い夢でも見たか?」
「……うん、そうね。昔、家が火事になって高いところから落ちたのよ。その時の夢を見てたの。笑えるわよね」
「そうなのか」
「だから、私、高いところと……火が、苦手で……」
自嘲するように言った割には、瞳が揺れ、唇が震えた。
しかも、瞳からはボロボロと涙が零れてきた。
(最悪だ……絶対馬鹿にされる……)
『婚約者の泣き顔が見れて嬉しい』『可愛い詐欺師さんも涙を流すのか』いくつでもアリスティドの言いそうなセリフが脳裏に浮かんでくる。
忌々しいあの笑顔もいつもなら適当に流せるが、今は見たくなくて、ティナは顔を覆うようにして机に伏せた。
できるならどこかに行ってほしかったが、最悪なことに彼がティナの横に座る気配がした。しかしながら、降ってきた言葉は、意外なものだった。
「――――怖かったな。もう、大丈夫だから」
「……!」
その声は、きっと彼がいつも飲んでいるミルクティーよりもずっと甘かった。優しく背中に添えられた手は、少しひんやりしていて気持ちがいい。
(アリスが私なんかを甘やかしたところで、メリットなんて無いだろうに)
「お願い、顔を上げて」
懇願するようなその声に、ぐしゃぐしゃになった顔を上げる。すると、むぎゅりと口の中に何かが押し込まれる。
「甘い。なにこれ……」
「キャンディだ。美味しいだろ?」
それは、棒付きのキャンディだった。口から取れば、キャンディの部分がウサギの形になっている。
「美味しくない……甘過ぎよ」
「はは、でも可愛いだろ?」
慰めるセンスが無さすぎるだろう、とティナは呆れそうになったけれど、いつの間にか彼女から流れる涙は止まっていた。
「怖い夢を見たら、いつでも俺を呼ぶといい。公務の途中でも帰ってくるよ」
「公務は投げ出さなくていいでしょう」
「可愛い婚約者のためなら、それくらいなんてことない」
「……はは」
乾いた笑いを発してみるものの、いつものように軽口を叩けない。そんなティナを察してか、アリスティドは話題を変えるように、ティナの前に散乱している本を取り上げた。
「勉強をしていたんだな」
「私は元々アウレリアの人間じゃないから。少しでも知識を入れておかないと」
「こんなのアウレリアの人間でも知らないことばっかだぞ。知識がマイナー過ぎる」
何冊か本を持ち上げて、ぱらぱらと中身を確認している。アウレリアの隠れ観光名所、古語、最近流行の舞台までジャンルはバラバラだ。
「でも、アリスはこの本たちも読んでいるんでしょう?」
「当然。俺、学術国家の王太子だしな。この国の誰よりも頭がいい。そして、その俺が見出した君も当然同じだ」
得意げに口元に笑みを浮かべる彼は、ティナを元気づけようとしているのだろうか。
あまりに、強すぎる自尊感情に思わず吹き出しそうになる。
アリスティドは、よく素直に自分や他人を褒める。それは、多少からかいの気持ちもあるだろうが、本心から言っているのだと分かるものである。
「ティナは、もっと自分に甘くなった方がいい」
「それはアリスもでしょ」
アリスティドは、「そうだな」と自嘲気味に笑った。
ティナは、再度ウサギ型の飴を口に突っ込んだ。ティナにとって甘ったるい飴なのに、食べ終わるのが少しだけ惜しかった。




