19.作戦会議
紅茶に添えられているのは、アーモンドの練り込まれたクッキーである。ティナは、相変わらず砂糖をひっくり返すように紅茶に注いでいる男に、そっとクッキーを押しつけた。
「僕は、カイル・フォン・ダイエ。伯爵家の次男で、王立研究所に勤めてる研究員だよ。アリスティドとは、昔なじみで、事件の細かい調査や武器の制作を担当してる」
ダイエ伯爵家は、国境付近に領地を持つ歴史ある辺境伯である。高貴な家柄ももちろんだが、ダイエ家と言えばその美貌抜きには語ることができない。
一族は皆、もれなく美しい顔立ちであるというのは、アウレリアの人間であれば誰でも知っている話である。
もちろん、カイルも例外ではない。女性と見紛うような綺麗な顔立ちは、ティナも思わずうっとりと眺めてしまう。
「……ちなみにティナちゃんのことは前もって聞いてるよ」
「えっ、なんて?」
「素敵な結婚詐欺師を見つけたって。なんたってアリスティドは、交渉の手段が拷問か尋問しかないからね」
「物騒」
ティナは、『なぜ自分を攫ったのか』と聞いた時にアリスティドが『拷問しかできないから』と言っていたことを思い出した。
(あれは、嘘じゃなかったんだわ……)
ティナは、頭を抱えたまま隣に座った男を見て首をゆるゆると振った。今は極悪王太子の顔よりも、絶世の美形であるカイルの顔を眺めていたい。
(改めて見ても、やっぱり綺麗な顔だわ。男女問わず、結婚詐欺ができそう。ああ、スカウトしたい……!)
ティナの中の詐欺師の血が騒ぎ、ニコニコとカイルの方を見つめる。その時、横からスッと手を重ねられた。
「あんまり、他の男を見られると妬けるな。俺も相当、綺麗な顔だと思うけど」
「……そうね」
ティナは、重ねられた手を抜き、紅茶に口を付けて、ちらりとアリスティドを見遣る。ティナもいい加減、このからかいに動じることも少なくなってきた。
しかしながら、そっけない態度をとるティナに対しても、アリスティドは心底楽しそうに笑うのだ。
「じゃあ、さっそく話を進めるとするか。……前置きはナシだ」
アリスティドは前かがみになって両手を軽く口元に添えた。彼の声のトーンが一段階落ちて、空気ががらりと変わる。
「この国には、大きな裏組織が存在している。社会に巣食う闇は、貴族や王族をも巻き込んで……俺は、いずれ、この国は食われてしまうのではないかと思っている」
それは、ティナが「悪役になろう」と誘われた時に言われたこととほとんど変わらない。すでに、わかっていることである。
だが問題は、とアリスティドは続けた。
「その組織の規模も目的も何も分からない。いくら調べても、全く実態が掴めない、まるで蜃気楼のように」
アリスティドは、話しながら、紅茶の底に残った砂糖をティースプーンで回し続けている。
「――その組織の黒幕を『ミラージュ』、と俺とカイルはそう呼んでいる。この国の裏に蔓延る社会の闇の根源だ。分かっているのは、異常なほどの膨大な魔力を持った男だということだけ」
蜃気楼とティナは心の中で唱える。この王太子をもってしても、実態が掴めないとは一体何なのか、薄気味悪くなってくる。
けれども。
(異常なほどの膨大な魔力……? それってもしかして、私の探している――――……)
ティナは、ある人物が頭に思い浮かんだものの、無理矢理頭から消して、頭に浮かんできた単純な疑問を投げかける。
「アリスは、それをどうやって解決するつもり? 実態が掴めないんじゃ手の打ちようがないわよね」
「ミラージュが絡んでそうな犯罪に首を突っ込むしかないな。あえて巻き込まれに行く」
「……そんな物騒な」
ジャックがぽつりと突っ込みを入れる。
王族を以てしても実態の掴めない人間が絡んでいる犯罪に、首を差し出すような真似はしたくない。
(ああ、でも拒否権はないんだろうなぁ……)
目の前で、嬉々として資料を配っているアリスティドを見ていると、ティナは目から光が失われていくようだった。
「最近だと――――子女失踪事件だな。君が襲われた仮面の男たちが絡んでると俺とカイルは考えている」
ティナは、押し付けられた資料をじっと見つめる。そこには、新聞の切り抜きが貼ってあり、事件の経緯が分かりやすく時系列順に並べられていた。
「ことの発端は3か月前。とある男爵令嬢が姿を消したことから始まった。まあ、この男爵令嬢の家も裏で他国マフィアと繋がってるって話だったし、ただの誘拐事件かと思われたんだ。だがしかし……」
追加で、大きな一枚の資料が机の上に広げられる。そこには、人の名前がずらずらと並べられていた。ざっと二十名はいるだろうか。
「これは、アリスに言われて僕が調べたヤツ。最近多発している失踪リストだよ。ここ数か月の間に何人もの貴族や商人の子女が不自然に姿を消している。魔力持ちのエリートばかりだよ」
ティナは、それを眺めながら怪訝な顔をした。確かに、最近、誘拐事件が起こっているとは風の噂で聞いていたものの――――
「こんなにいなくなってたの!? 私だって、新聞ちゃんと読んでたわよ!?」
「……まあ、恐らく新聞社にも報道規制がかかってるからな」
「どうして……」
「どうしてもこうしても、ミラージュの仕業だからに決まってるだろ。奴にとって、情報の操作もお手の物だ。情報そのものを操作しているのか。それとも、人心掌握でもして味方を作っているのか……まあ、果たしてそんな人の心を操作できるような魔法が存在するのかは不明だがな」
ティナは、ぞくぞくと背中に寒気が走った。気が付かないうちに、ミラージュは、この国の生活にじわじわと侵食してきているのかもしれない。
一覧表を指でなぞりながら、ティナは呟く。
「にしても、情報が掴みづらかっただろうに……こんなに沢山調べられたのって、カイルは凄いわね」
「はは、ありがとう」
カイルは、その綺麗な顔でにこりと微笑んだ。
「僕は戦えない裏方専門だからね。代わりに情報とか武器の調達なら任せてよ」
遠慮がちにその白衣を羽織りなおしてみせるカイルだが、ティナは何とも言えない気持ちになってくる。
(裏方専門、ね。爆弾ぶん投げて、喧嘩止めたアグレッシブな研究者が何言ってるんだか……)
カイルもまた、アリスティドと同様に悪役仲間なのだ。ティナはこの人物たちとこれから渡り合っていくのかと思うと、頭が痛くなってきた。
(ともかく、カイルともうまくやってかなきゃ! 私は絶対に爆弾投げられたくないし!)
ティナがなんとか口角を上げて笑い返そうとしたときだった。行方不明者の中にふと見たことのある名前が目に入った。
「――あっ!? あれ、ルシアン……!?」
一覧の中に見つけたのは、『ルシアン・ド・モンフォール』という名前であった。ティナは驚いて紙を持ち上げる。人差し指で何度なぞっても、そこには自分の元婚約者の名前が綴られていた。