17.過ちを繰り返さずに
紺色と白のワンピースに着替えたティナは、客間にいた。
客人の到着が遅れており、ティナとアリスティドだけがソファに腰掛けている。
「アリス、話し合いの前に確認しておきたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
アリスティドは、ティーカップを置いて顔を上げる。
「貴方はなんで、そんなに必死にこの国の社会の闇を葬ろうとしているの?」
「……君は、前置きという言葉を知らないのか?」
アリティドは呆れ顔だが、それは単純にティナが疑問に思っていることだった。王族たるもの、闇を完全に排除しようなんて考える方が珍しい。
ティナが今まで生きてきた社会の中だってそうだ。賄賂、暗殺、隠ぺい、そんなものは数えきれないほど見てきた。
マフィアや犯罪組織に賄賂を渡し、上手いこと利用している国家だって沢山ある。
(だからこそ、アリスティドの行動には疑問が残る)
アリスティドの性格であれば、その闇とやらも利用してやろうと考えるのが、普通なのではないかと思ったのだ。
「その闇と上手く付き合っていく方法は考えなかったの?」
「君は親父みたいなことを言うんだな」
アリスティドは、馬鹿らしいというように鼻で笑った。
「相手を甘んじて受け入れていれば、要求はどんどん大きくなっていく。当たり前のことだ。ルールを破った奴らを放置しておけば、法治国家の意味がない」
「そうね」
ティナは目を瞑った。
アリスティドは、社会に巣くう闇に、国ごと乗っ取られることを危惧しているのだろう。
(法治国家、なんてどの口が言ってるんだか、とは思うけど)
ティナは、彼の言葉の矛盾を指摘したくなったが、黙って彼の方を見つめた。
「アズーラの貴族の君なら知ってるだろ。5年前にアズーラが隣国のヴェルノクス公国に介入したこと。その結果ヴェルノクス公国がどうなったかも」
「…………」
アリスティドにしては、表情は真剣そのものだった。
5年前にこの大陸の歴史は大きく動いた。
アウレリア王国の東に隣接している、ヴェルノクス公国というひとつの国が滅びたのだ。そこは、強力な幻影魔法を使う大公が治める、自然豊かで穏やかな小国だった。大陸の国家は、ヴェルノクス公国を虎視眈々と狙ってはいたものの、今日まで公国が持ちこたえたのは、他でもない、ヴェルノクス大公家の幻影魔法のおかげだと言っても過言ではない。
(幻影魔法は自分の妄想を具現化できるあまりに強力な魔法だもの。他国が危険視するのも納得よね)
しかし、そんなヴェルノクス公国は、無残に散ることになる。
ことの発端は、海軍国家アズーラが介入したことだった。最初は貿易のみの介入だった。それが、段々と内政に口を出すようになっていった。内部では、反発が起こり、アズーラと敵対する国をも巻き込んで大陸の情勢は荒れた。
「俺たちアウレリア王国は、その情勢をただ見守っていただけだった。まるで、何かを学ぶかのように」
「………」
「……結局、ヴェルノクス公国の国土は何者かによって燃やされて、たった一日にして滅びただろ。今じゃ、誰が統治しているのかも分からない治安最悪の自治区だ」
アリスティドの言葉を心の中で反芻させる。
自治区となった公国の国民の一部は暴徒化し、自分たちの住む土地を捜し歩いているらしい。アウレリア王国国境付近は、未だに要警戒区域に指定され、騎士団が常時張り付いている。
「それが、俺がこんなに必死になっている理由だ。お隣の不幸を見て、我が国も気を引き締めるという訳だ。皮肉なことだが」
アリスティドは、ソファにもたれ掛かって長い脚を組んだ。
「危ない芽は摘んでおく。そうしないと国が滅びる。至ってシンプルな理由だろ?」
ティナはゆっくりと頷いた。彼女は、その言葉の意味を痛いほど理解している。ルールを破る人間というのは、得てして欲張りだ。最初は小さかった要求も段々と大きくなっていく。
(そう、奪われる前に守らなきゃならない。たとえ、どんな手段を用いても。それが、悪役になり果てることであっても)
アリスティドの王太子としての覚悟だろうか。彼女は、彼のことを、しみじみと尊敬しながら見つめた。
「――――同じ考えよ。その通りだと思うわ」
「ああ、理解してくれて嬉しい……と、タイミング悪くお客様が来たようだ」
アリスティドそう言った瞬間、がちゃりと扉が開いた。
(凄い、足音一つしなかったのに、どうしてわかるのかしら……)
ティナは、『美人な仲間』のことを思い出し、少々面白くない気持ちで立ち上がって、扉を振り返った。しかし、そこにいたのは。
(この人が、美人な、仲間……?)
透き通るような白い肌。淡い紫色の髪はハーフアップに纏められており、琥珀色の瞳がきらきらと輝き、儚さが増して見える。形のいい薄い唇が優しい笑みを浮かべ、一度見ただけで恋に落ちてしまいそうだ。
確かに、美人と形容しても差し支えない容姿である――――アリスティドよりも背の高い男子だが。
「どうだ、美人だろ?」
「……っ」
ティナは唇を噛んだ。
(絶っ対に勘違いさせるつもりで言ったに決まってるわ! ……ああっ、振り回されて、悔しい……)
ティナの様子をみて、アリスティドは心の中でほくそ笑んでいたに違いない。あまりに性格が悪すぎる。
ティナが座ったまま地団太を踏んでいると、綺麗な青年の後ろに、もう一人の人影が見えた。その人物は、様子を窺いながらも恐る恐る顔を出した。
(……えっ)
その顔を見た瞬間、ティナの悔しい気持ちも、アリスティドへの怒りも、美人な男への感嘆の念も、全て飛んで行ってしまった。
「ジャック、どうしてここに……」
赤い髪と、ぱっちりとした緑色の瞳――――そこには、逃がしたはずの、ティナの従者が立っていた。