14.護衛官のダイナ
アリスティドとティナが謁見の間を退出した直後だった。
廊下を歩いていると、鋭い声が後ろから飛んできた。
「殿下、どういうおつもりですか。気まぐれに離宮から飛び出してきたかと思ったら、婚約者などと言って、得体のしれない令嬢を国王に謁見させるなど!」
離宮へ続く道を、謁見の間から飛び出してきた男に塞がれる。それは、先ほどまでアリスティドを睨みつけ、殺気を放っていた近衛騎士であった。
年齢は若く20代くらいに見える。髪を撫でつけ、制服に少しの乱れも無い。
(よく見たら、制服が騎士のそれとは少し違うわね……)
色は騎士服と同じ鉛色だが、騎士の制服とはデザインが違う。ダブルボタンのジャケットに肩掛けの外套。
装飾が多い騎士団の幹部にも見えなくもないけれど、纏う雰囲気も騎士というよりは、文官に近い気もする。
「剣を抜くか? いいぞ。お前は、国王の身を守るためなら、王城でも抜刀し俺を切り殺すことを許されている身分だ。そうだろう――――護衛官ダイナ」
「……っ」
苦々しい表情を浮かべるダイナだが、アリスティドに対して全くひるむことはない。
(なるほど。ただの騎士ではなくて、護衛官なのね。それなら、納得だわ)
アウレリアの護衛官と呼ばれる職は少し特殊だ。
国王の身を守るためなら、何人でも拘束することを許されている。抵抗した場合は切り殺すことも問題ない。それが、仮に王太子であったとしてもだ。
(だから、あの殺気なのね……)
ティナは納得しつつ、ダイナを見つめた。
「この女は何者なのです」
「俺の婚約者を『この女』呼ばわりか?」
「護衛官は疑うのが仕事ですので」
王太子アリスティドと護衛官ダイナが言い争っているとなれば、ちょっとした騒ぎになる。何事かとざわざわと周囲に人だかりができていった。
そんな中、ダイナは、ガラスの瓶をずいとティナに差し出した。
「飲め」
「……これは何でしょうか」
「自白剤だ。大方、お前はアリスティド殿下に脅されて、犯罪の幇助でも頼まれたのだろう。そんな女を見過ごすわけにはいかない」
(大正解なのよねぇ……)
ティナは遠い目をした。国王は騙せても、その側近は騙せなかったらしい。
「それが、毒だったらどうするつもりだ」
「それは無い。私が一口飲ませてもらう」
きゅぽっという音と共に、瓶の蓋が開いた。ごくりとダイナは液体を口に入れたあと、ティナに改めて差し出してくる。
「さあ、飲め」
「…………」
おずおずと受け取ったティナは、恐る恐る口を付ける。
(この至近距離じゃ飲んだフリもできないし……)
自白剤というのは恐ろしい。自分の心の中に思ったことをそのまま口に出してしまうのだから。
きっと、ティナが結婚詐欺師だということも、アリスティドの悪巧みに力を貸すことも、洗いざらい公になってしまうのだ。
口を付けたまま飲むのを迷っていると、アリスティドが柔らかい声で言った。
「……大丈夫だ。飲んでみろ」
「……?」
アリスティドの言葉の意味はわからないが、このままの状態で待っていても仕方ない。もう、どうにでもなれ!と心の中で唱えながら、ティナはぐいと瓶の中身を飲み干した。
ダイナは自白剤を飲み干したのを見届けると、一層表情を引き締める。
「……この女の答えによっては、殿下を拘束の上処刑する」
ざわり、と野次馬の行政官や騎士、メイド達がどよめいた。ダイナは気にすることなく、質問を投げかける。
「まず、どうして王に謁見したのか言ってみろ」
「そ、それは、私は謁見について、何も知らされていなかったから、答えようがないわ……」
「そうか」
ふとよぎった違和感にティナは首を傾げる。
(あれれ? おかしいわね)
ティナは遠い昔、怖いもの見たさで自白剤を飲んだことがある。それは、少し思いついたことすらペラペラと洗いざらい話してしまう代物だったはずだ。
しかし、この自白剤は違う。ティナとアリスティドにとって都合の悪いことは、意図的に隠すことができる。
(あっ、私の魔力の方が、この自白剤よりも強いんだ!)
アリスティドの方をちらりと見れば、「だから言ったろ」と唇だけ動かしたあとに、ふっと微笑んだ。
「まずは、お前の名前を教えろ」
「ティナよ」
「職業は?」
「……言ったでしょう。さっき言った通りよ。数年前に、大学で働いてたわ。その時に――――っ」
王太子殿下と出会って、と言おうとして思い切り舌を噛んだ。ジンジンする口内に、顔色を変えないよう、ティナは微笑んだ。
(なるほど。言うことは選べるけれど、嘘は付けないのね)
自白剤としての効果は一応あるらしい。忌々しく思いながらも、ティナは質問に答え続ける。
「今朝は何をした」
「彼と朝食を取ったわ。私の好物のベーコンまで出してくれたわよ」
「昨晩は?」
「死を迎えたとしても、ずっと一緒にいることを誓ってくれたの」
おお、と周囲から歓声が上がる。この答えであれば、二人は心から愛し合っている恋人同士に見えるだろう。
(嘘は言ってない、嘘は……)
この極悪王太子と仲睦まじいと思われることは癪だったが、あくまでニコニコと受け答えをしなければならない。
「じゃあ、最後に。お前は、殿下のどこが好きなんだ?」
「もちろん――――いっ」
とっても優しくて、スマートなところが素敵、と言おうとして思い切り舌を噛んだ。この自白剤は、嘘は付けないのである。
(嫌いよ、こんな男。いきなり、攫ってきて『悪役になって』なんて言ってきて。嘘つきで、ずる賢くて、人をすぐにからかう、最低最悪の極悪王太子なんて!)
好きなところなんて思いつくはずもない。しかしながら、ティナの口はゆっくりと動いて止まってくれない。
「……顔と綺麗な金髪」
残念ながら、ティナはアリスティドの顔が信じられないくらい好みなのだ。金色の髪も闇夜のような瞳も形の良い唇も。すべてがティナの胸を強制的にときめかせてくる。
「あははっ、やっぱり君は最高だな」
アリスティドが我慢ならない、と言った様子で笑い声をあげる。
「――――もう、いいだろう? これ以上、俺の愛する人をさらし者にするつもりか? 護衛官と言っても、疑いが晴れれば、頭を垂れて謝罪すべきだと思うけどな」
「……っ」
アリスティドの声は穏やかで柔らかい。それなのに、彼の闇夜を映したような瞳はずっと冷め切っている。
ダイナは、唇を震わせながらその場に膝を付いた。
「殿下、並びに婚約者候補となったティナ様。この度は、あらぬ疑いをかけた非礼、誠にお詫び申し上げます」
「顔を上げてくれ、ダイナ。お前のおかげで、王宮内の秩序は保たれている。引き続き職務に励むように」
ぎりり、と悔し気に顔を歪めるダイナの顔を満足げに眺めたアリスティドは、そう言うと、ティナの手を取り、ずかずかと廊下を進んでいく。
その横顔を見ながらティナは思うのだ。
(この王太子は、私が裏切ったらどうするつもりだったんだろう……)
結果として、ティナもアリスティドも無事だった。しかしながら、国王の謁見も護衛官の自白剤での尋問も、ティナの返答次第では、アリスティドを殺すことも可能だったのだ。