10.それぞれの好物
二人掛け用のテーブルは、アリスティドとティナのために用意されたもののようだった。白いテーブルクロスの上には、パンに目玉焼き、新鮮なサラダに、カリカリに焼き上がった厚切りのベーコンが乗っている。
「わぁ、ベーコン!」
「君はどうやら、肉類が好きらしいからな」
「正解っ、大正解っ!」
ティナは飛び跳ねるようにして、椅子まで駆けていった。そして、ドレスの裾を捌いて、腰掛ける。
「ドレスで良くそこまで走り回れるな」
「ええ、結婚詐欺師は、足は速いの」
向かいに、アリスティドも腰掛ける。
周囲に使用人の姿は見当たらないため、彼が意図的に追い払っているのだろうとティナは察した。
「厚切りのベーコンごときで喜んでもらえるなら、用意した甲斐があったよ」
「ふふっ、本当に嬉しい。ありがとう」
「……参ったな、昨日あんなに暴れていた君にお礼を言われるなんて」
ティナは、いただきます、と静かに両手を合わせる。これは、食べ物への感謝の気持ちである。
そして、カトラリーを持つと、早速ベーコンを切り分けて口に入れる。表面がかりっと焼けているため、口の中で噛んだ瞬間に、じゅわと甘い脂身が染み出してくる。塩気と混じって程よい味になったところに、パンを放り込む。
昨日から、肉ばかり食べていて、本当に頬っぺたが落っこちてしまうんじゃないかと不安になってくる。
「うん、美味しい~! 幸せ……っ!」
「そんなに肉が好きだとは思いもしなかったよ」
「お魚も、甲殻類も、生きているものの肉は全部好きよ」
ティナは、ベーコン口に入れ、味わうように咀嚼した後に言った。
「生き物の肉を食べるとね、生きてるって感じがするのよ」
「……君、病んでるのか?」
「あれ、この感覚、分からない?」
「…………」
ついこの間までは元気に走り回ったり泳いでいたりしただろう動物の肉を食べると、食物連鎖の頂点に立った気がして、幸せを感じることができるのだ。
(私がおかしいのかしら?)
アリスティドは、何も言わずに、口元だけ薄く笑いながらティナのことを見つめていた。当然、目は笑っていない。
(別に理解してもらう必要はないんだけどね……よく考えれば、この人王太子だし。何もしなくたって、食物連鎖の最頂点だし)
王太子だ、と思ったティナは、ふと気が付く。
彼女は、アウレリアの人間ではないとはいえ、さすがに王太子に対して不敬――――とかそんなレベルではない対応をしている。
「あの」
「なんだ?」
アリスティドは、口に野菜を運ぶ手をぴたりと止める。
「今更なんだけど、私、貴方に敬語使った方がいいわよね」
「なんだ、今更過ぎるな」
ティナはアリスティドに対して失礼、無礼、非礼、すべてコンプリートしている。苦虫をかみつぶしたような顔をしたティナだったが、アリスティドは何一つ気にしていないような表情でじっと見つめてきた。
「敬語なんていらない。可愛い君との壁が出来てるみたいで悲しいから」
「…………」
「おや、冗談ではないんだけどな」
アリスティドは、『可愛い』を口癖のように連呼する。正直なところ、ティナはその言葉を言われ慣れているため、今更動揺するようなことはない。
ただ、なぜかアリスティドに言われると、裏があるようで、少しだけ落ち着かない気分になってくるのだ。
「君とは対等に話したいんだ。どうか、俺を王太子とではなくて、悪役仲間として接して欲しい」
「分かったわ……えぇと、殿下、だっけ?」
「おいおい」
溜息をつきながら、アリスティドは甘ったるい――――まるで、恋人に向けるかのような笑みを浮かべる。
「俺のことは、名前で呼んでくれていい。どうか、アリスと……そう呼んで?」
こてん、と彼は首を傾ける。そのあざとい仕草は、自身の顔の良さが分かっているがゆえの行動である。
(金髪男子の可愛い行動ほど、私に効くものは無いのよね……)
ティナは、単純な己の心にナイフを刺したくなってきた。明らかに本心じゃないことも分かっているのに、ただ名前を呼ぶだけなのに。
ティナの鼓動は、少しだけ速くなっていた。
顔を上げれば、ぱちん、と期待したような青色の瞳と視線がぶつかる。
「……――っ、アリス」
「よくできました」
ティナの様子を見て、愉快そうに笑う彼は、自分なんかよりもよっぽど結婚詐欺師に向いている、とティナは思う。
(いい性格してる、本当に)
ティナは、残りのパンを押し込んだ後に、はたと目玉焼きを食べ損ねていることに気が付いたため、慌てて口に押し込んだ。
そんなティナの動揺もよそに、アリスティドは食後のミルクティーを自分で準備していた。
「君も飲む?」
「いいや、私は甘いのは苦手なの」
「じゃあ、ストレートで入れておくよ」
すっと、ティナの前に琥珀色の紅茶が差し出される。ふわりと、茶葉の香りが立ちあがり、彼の入れ方が上手なのだとティナは感心した。
(……えっ)
感心したと同時に、ティナは信じられないものを見た。
アリスティドのミルクティーはただでさえ甘いはずなのに、彼は砂糖を惜しみなくだばだばとティーカップの中に注いでいたのだ。
それはもう、キャニスターの半分以上を溶かし込むくらいに。
砂糖が高級品だから、とかそう言う話ではない。さすがに味覚異常だろう、と甘い物が苦手なティナは身震いをした。
「さすがに、砂糖入れ過ぎじゃない?」
「甘い物を摂取しないと落ち着かないから」
そう言いながら、アリスティドはまだ砂糖を入れ続けている。これでは、ミルクティーというよりも砂糖を飲んでいる方が感覚としては近いのではないか。
「……病んでるの?」
先ほどのお返しのようにティナが言えば、アリスティドは手を止めてしばらく考え込んだ。アリスティドは、砂糖の瓶の蓋をしめて、テーブルの隅に置いた。
「……ふっ、そうかもな」
そう言って、誤魔化すように胸焼けしそうなミルクティーに口を付けた。この男は、ティナが確信めいたことを言ったとしても、のらりくらりと躱して教えてくれないのだろう。
「そういえば、社会の闇とやらを壊滅させるって言ってたけど、私は何をすればいいわけ?」
「……うーん、まだ秘密」
「そもそも、社会の闇って何? マフィアとか?」
「秘密」
ほらやっぱり、とティナは思う。
結局ティナは、この男の手のひらの上で踊るしかないのかもしれない。