01.職業は、結婚詐欺師
「ルイーズ、婚約破棄をしてくれ」
フォンテーヌ子爵家の邸宅の客間に、モンフォール男爵家の長男──ルシアン・ド・モンフォールの声が響いた。
彼は、申し訳なさそうに瞼を伏せる。
(いよいよ、この時がきてしまったのね……)
ルシアンの前の前に座っている、茶色の髪をした女は緊張した面持ちで息を震わせた。
彼女の名前は、ルイーズ・フォンテーヌという。病弱な父を持つ18歳。現在は、当主代理として家を切り盛りしている。
「理由をお聞かせいただいてもよろしいですか?」
「他に愛する人ができてしまった」
「……なるほど」
ルシアンの発した言葉に、ルイーズもまた、気まずそうに目を伏せた。まるで、そう言われることが分かっていたかのように。
沈黙の後、ルイーズは顔を上げた。そして、嫌味を言うこともなく、立ち上がった。
背筋を伸ばして歩き、がちゃりと客間の木製の扉を開く。
「──それでは、早速ですが、婚約破棄の手続きをいたしましょう」
ルイーズのその言葉とともに、中に入ってきたのは、一人の若い男だった。スーツにネクタイを締めており、胸元にはきらりと光るピンバッジが見える。
「はじめまして。ルイーズ嬢の弁護人のアレクサンドル・モローでございます」
「は、はぁ……?」
突然の他人の介入に、ルシアンは目をぱちぱちとさせた。弁護人が来るなんて、彼にとって予想外のことであったらしい。
客間に入ってきた弁護人のモローはバッグからいくつか書類を取り出す。それは、婚約を公式に破棄するための書類と、契約書のようなものだった。
「よ、用意が良過ぎないか……」
「たまたま本日、フォンテーヌ邸にて打ち合わせがあったのでございます。ルイーズ様は当主代理。大変、お忙しい方でいらっしゃいますので」
──お前の婚約破棄とやらに付き合っている暇はない、と暗に言われていることはルシアンにも分かった。
モローがぎろりと睨めば、ルシアンは震えあがる。浮気をする度胸はあるのにも関わらず、彼は気が弱かった。
「単刀直入に申し上げますと、今回のケースは貴方様の有責。よって、慰謝料の支払いが発生します」
「それはわかっている。だから、それに関しては後日……」
「いいえ」
モローはきらり、と眼鏡の奥を光らせる。有無を言わせない圧力がそこにはあった。
「ルイーズ嬢は、今回の貴方の浮気で気に病み、心身ともに疲労しきってしまわれた。もともとの持病も悪化し、子爵家の仕事も滞っているところなのです。早急な支払いを求めます」
「そ、そうは言ってもだな……」
「今、小切手、お持ちですよね」
モローの言葉に、ルシアンは絶句して自身の胸ポケットを抑えた。なぜ、知っているのかという顔である。
「いや……ありはするが。さすがに父上と母上に相談しなければ」
「ではこちらから、不貞があったと、男爵家に通知書を送ることになりますけれども」
「いや、そ、それは……」
「今回、おひとりで来られたのは、婚約破棄の理由をご両親に内緒にしたいから。違いますか?」
ルシアンは口を噤んだ。その通りだった。
ルイーズには母はおらず、父親も病に伏している。それを良いことに、ルシアンは秘密裏に婚約破棄をしようとしていたのである。後から理由を付ければ、モンフォール男爵家の人間に怒られたとしてもどうにかなると彼は考えていたのだろう。
ルシアンは黙ったまま、俯いた。無言の肯定である。
そのやりとりを見ていたルイーズは、ぽつりと呟く。
「……私は悲しいのです。ルシアン様」
絞り出すような声だった。
彼女は、苦しそうに胸元を抑える。感情が高ぶると、呼吸器の持病も悪化してしまう。呼吸を整えながら、彼女はルシアンを見つめた。
「せっかく貴方と出会って婚約ができた。それなのに……っ」
ルイーズは、咳き込みながら、瞳から大粒の涙を零した。
ぼろぼろと涙を流すルイーズを見ていると、さすがのルシアンも良心が傷んだらしい。泣きそうな顔で唇を噛んだ後に、小切手を取り出した。
「わ、わかった。……それでは、僕の財産持ち分を支払おう。君には申し訳ないことをした」
「では、こちらにサインを」
モローに促されるがまま、ルシアンは契約書と小切手にサインをしていく。
さらさらと記入された額は、王都に立派なタウンハウスが立つくらいの金額であった。
男爵家の子息が持つにしては、いささか大きすぎる財産であるけれども、弁護人のモローもその額に納得したらしく、何も言わなかった。
モンフォール男爵家は、商家から成り上がった一族である。特に最近は金周りが良い。
「……僕のせいで申し訳ない」
「いいえ。ありがとう、お元気で」
「……っ」
ルイーズの微笑みは、まるで聖女のようで──ルシアンの心は酷く傷んだらしい。自分の支払った額では少なかったのではないか。そんなことまで思い出していたのかもしれない。
「さようなら、ルイーズ。また会おう」
ルイーズという女には、えも言われる魅力があった。少し惜しい気もしたけれども、ルシアンは後ろ髪引かれる思いで、子爵邸を後にした。
「ええ……………その『また』があれば、だけれど」
ルイーズが零したその小声には誰も気が付かない。
そして、その日、ルイーズ・フォンテーヌという令嬢は姿を消した。――まるで、最初から存在していなかったというように。
◇
「あっは〜! 今回も大漁大漁!」
富裕街の一角にある個室レストランの一室に、ルイーズ・フォンテーヌと瓜二つの女がいた。彼女の前の丸テーブルには、鳥の丸焼きと、ステーキ、フカヒレ、ありとある各国の高級料理が並んでいる。
彼女は、一番近くにあったステーキを大きく切って、がぶりと食らいつく。レアで焼くようにお願いしたから、肉が柔らかい。
口の中で噛むたびに、じゅわりと肉汁が広がっていく。
「あぁ……っ、生きてるって感じする~っ!」
頬を押さえて、満面の笑みでそう言う彼女の表情は、お淑やかなルイーズとは似ても似つかない。隣に座っていた赤毛の男が、呆れ顔で声を上げた。
「お嬢様、魔法解くの忘れてますよ」
「忘れてた! ルイーズは、あんまり楽しくなかったわね。幸が薄すぎるし」
彼女がぱちんと指を鳴らせば、先ほどまでの幸の薄そうな令嬢の姿は綺麗さっぱり消えてしまった。
その代わりに、美しい女が現れた。ぱっちりとした瞳はルビーのように赤く輝き、長いまつ毛が伸びている。ツヤツヤとした黒髪は、緩くウエーブを描き背中を覆いつくしていた。
白く艶のある肌に、彼女に良く似合う真紅のドレス。
誰が見ても、華があり、ぱっと目を引かれる容姿である。これが彼女の本当の姿だ。
彼女の名は、ティナ・カラディス。
職業は――――結婚詐欺師である。
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