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僕が見たのは、泡沫の夏だった

つくづくこの在郷というものは、都会とは一線を画している──この際、まったくの別世界と比喩するのは、果たしてどうなのだろうか。

極端に言えば、それこそ夏物語と銘打った創作の中にでも存在しそうな、僕の思い描いていた夏の、その一欠片として現れた。


コンクリートの塗装もそこそこに、土壌と砂利混じりの、雑然と生えた雑草の織り成す──如何にもというような、田舎道。

周囲には稲田が広がっている。どうやら収穫盛りを迎えているらしい早稲は、随所に鎮座している収穫機を、さも興味深そうに見上げていた。


稲田のすぐ傍を通る水路からは、微かに流れる水の音が聞こえるだけで、それが本当に聞こえているのか、はたまた僕の幻聴なのか、よく分からなくなりそうだった──この昊天にすべて、吸い込まれてしまった。

しかしただ確信を持てるのは、夏の水路独特の僅かに温い水の匂いがするというだけで、その匂いも何処かに、郷愁を秘めていた。


奥にはかろうじて目的の場所が見える。民家一つ一つからなるその集落は、背後に聳え立つ山の稜線に掻き消されるように存在していた。

軽風が頬を撫でてゆく。その一本道の途中を僕は、歩いている。シャーペンを挟んだ大学ノートを片手に、ポケットに入れたスマホの硬質さと、そこから耳へと伸びるイヤホンの煩わしさを、人知れず直に感じながら。


鼓膜に響くクラシックギターの独奏とボーカルの淡い歌声を横目に、歩を進める。靴底に砂利と土壌の入り交じった感触がする。砂利が擦れる音、雑草の枝葉が折れる音、そんなものまで、聞こえて──きそうな気がした。

何処を見渡しても近辺には稲田だけしかなくて、その稲田の中の一本道はここしかない。その一本道には、僕しか居ない。

僕の中には、僕しか居ない──なんて、どんな思考をしているのだろう。



「……何それ」



途端に馬鹿馬鹿しくなって、小さく頭を振る。歩きながら上空を見上げた。

──上空を、見上げた。空の更に上を、僕は見上げた。

どうやら一見して平坦に見える空という存在にも、高度という概念があるらしい。この馬鹿みたいに青く澄んでいる、夏空にも。

いや、馬鹿みたいに澄んでいる夏空だからこそ──かもしれない。


それがちょっとだけ面白くて、口元が緩んだ。

こういう呑気なことを考えられるのも、喧騒に塗れた都会と静謐な田舎との、大きな差異なのかもしれない。もしかしたら、個々人の心の余裕でもあるのかもしれない。今の僕には類推しか、出来ないけれど。


──あ、楽曲が切り替わった。その意識で、ふと我に返る。直後に僕が見たのは、常世の終焉を迎えたような夏空だった。

そうしてまた、あの時のように、徐に大学ノートの一頁を開くのだ。胸が引き裂かれそうな感情に付ける名前を探しながら。

活字で埋められた上半分が鏡鑑の夏であるならば、これから埋める下半分は、僕の見た泡沫の夏だ。


ただ惰性のままに、愚直に、ペンを走らせていく。この夏空を瞳に焼き付けたまま、歩きながら。砂利の音に、枝葉の折れる音に、水路に流れる水の音に、裾の衣擦れの音に、シャーペンの芯の擦れる音に──全てに意識を傾注させて、見た()(まま)を。



『常世の終焉を迎えたような夏空だった。深い哀愁を奥底に秘めていて、陽炎のように霞んだ紺青を仰いでいる。山稜をなぞる千切れ雲は、茜と紫金の残影を留めて靡いていた。あとは微かに端白星が、見えるだけだった。

もう何曲、聴いただろうか──途中から数えるのをやめた。そんな中で鼓膜がどんなに揺れ動かされても動じないくらいには、僕の意識というものは、どうやらこの泡沫に飽和してしまったらしい。』

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