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ガシャ友

作者: 志摩多久

「オン・ユア・マークス。セット」

 パンッ。

 軽やかなピストルの音を合図に、私は走り出す。

 石灰で引かれた真っ白のゴールラインだけを見て、ただひたすらに走る。

 やがて土の香りも、口に入る汗の味も、風の音も、地を踏みしめる感覚さえも消えてなくなる。

 あのゴールラインを誰よりも早く超えるためだけに身体の全神経が研ぎ澄まされていく。

 走り抜けたその先で私を待っていたのは、他人の歓喜の声と私の敗北の味だった。


「すみません、体調が悪いので今日は早退します」

 私は吐き捨てるように陸上部の顧問の先生に伝え、踵を返す。「ちょっと山村さん!?」という声が聞こえたけれど、その声が私の足に絡みつくことはなかった。

 更衣室に入り、練習着を脱ぎ、雑にバッグに押し込める。着替え終わってバッグのチャックを閉めようとしたら、練習着が絡まって閉まらない。

「もう、なんなの!」

 力任せにチャックを引いたら、取っ手が外れた。

「チクショー!」

 私はムシャクシャしてバッグを投げた。口が開いているバッグからは練習着と、一枚の原稿用紙が吐き出される。

「もう、これは必要ないよね」

 『私の将来の夢は陸上で日本一になることです。』の一文から始まるそれをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込んだ。

 練習着をバッグに入れ直し、私は更衣室を後にする。

 たった一枚の紙切れがなくなっただけなのに、そのバッグは驚くほど軽くなっていた。


 ずっと私を縛り付けていたものから解放されて晴れやかな気分だった。

 外はまだ明るくて、こんな時間に通学路を歩いているのが、あまりにも久しぶりで足取りはフワフワとしていた。

「せっかくだし寄り道しなきゃ損だよね。ちょうど昨日ママにお小遣い貰ったばっかだし」

 私はそうつぶやくと、前からやりたかったけれど、ちょっと遠くにあるからという理由で行けていなかったガチャガチャをしにいく。

 かつての賑わいを失いシャッター街となった商店街の外れにあるコンビニの前に、目当てのガチャガチャはあった。

「あれは……河井さん?」

 三つ編みお下げに丸眼鏡。スカートはひざ下。いわゆるオタク女子である河井さんは私のクラスメイトだ。いつも教室の隅で本を読んでいて、私は、というか河井さんが誰かと話をしているところは見たことがない。

「どうしよ……」

 河井さんは私の目当てのガチャガチャの前にいて足踏みをする。彼女と一緒にいるところを誰かに見られたら、私もオタクというレッテルを張られてしまうかもしれない。

 そうでなくても私が回したいガチャガチャは子供向けアニメ『プイキュア』だ。高校生の私がそんなものを回していたら白い目で見られてしまう。

 でも……。

「あんな顔した河井さん、見たことない」

 教室で見る彼女とは違い、ガチャガチャを回す彼女の表情はイキイキとしていて、眩しいくらいに輝いていた。

 それはまるでかつての――。

「ねぇ、河井さん」

 気が付けば私は、河井さんに話しかけていた。

「へ? や、やややややや山村さん!? ど、どどどどどどうしてこんなところに」

「驚きすぎっしょ、ウケる」

「ご、ごめんなさい」

「別に謝らなくていいって、それより河井さん、それ」

 河井さんは私に向けていた涙目を、私の指さす方に向ける。

 瞬間、河井さんの目から涙が弾け飛び、その代わりに星々が浮かび上がる。

「山村さんもプイキュア好きなの!?」

「えーっと、まあ、それなりに?」

 わぁーっと、河井さんは宝箱を発見した幼稚園児のような顔になる。

「いいよねプイキュアやっぱり戦う女の子は全女子の憧れって言うかどんな困難があっても立ち上がるプイキュアたちを見ていればこんなちっぽけなアタシでも頑張ろうって思えるしあと何より出てくるキャラがみんな可愛いくてエモくてエモエモで山村さんは誰が好きアタシはやっぱりキュアアーズかなでもキュアクレースも捨てがたくて……(ペラペラ)」

 こ、これがオタク特有の早口……。

 でも、なんだか、こんなに一生懸命に語る河井さんはやっぱり輝いていて、その輝きは私が心の奥に仕舞ったものを浮き彫りにしていく。

「ってごめんね。アタシばかりしゃべっちゃって。ね、立ち話も何だし、そこのファミレスで一緒に語り合わない?」

 河井さんは私の手を取り、引っ張っていく。

「で、でも……」

 まだ恥を捨てきれていない私がいた。そんな私を見た河井さんは一度私の手を放し、それからピンと腕を伸ばしてグーを私の胸に向けた。

「ココと思ったら迷わず進む!」

 そのグーは私に掠りもしていないのに、ドクンと私の心臓に衝撃が走った。それはプイキュアの主人公、キュアクレースの決め台詞だった。アニメを見ているときには感じなかった衝撃を今感じているのは、他でもない河井さんから発せられた言葉だったからだろう。

 今私の目の前で輝く笑顔を浮かべる河井さんは、あの走るのが楽しくて楽しくて仕方のなかったかつての私と、どうしようもなく重なって見えた。

「うん、行こう! いっぱい語ろう!」

 私は河井さんの手を取り走り出す。私が思っていたよりも、ずっと面白い娘だった河井さんと私とが紡いでいく、これから始まる物語にワクワクが止まらない。

「あわわわ、走るの早いよ、山村さん!」

「当ったり前でしょ。私は将来、陸上で日本一になる女なんだから!」

「わぁー。凄い! そうだ、山村さんがもっと頑張れるようにお守りをあげる」

 河井さんはさっきのガチャガチャでゲットした、作中でキュアクレースがバッグに付けていたキーホルダーを私のバッグに付けてくれた。

 たった一個のキーホルダーを付けただけなのに、そのバッグは驚くほど重くなっていた。



おわり

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