「タノンダゾ」
俺が春宮アリスに呼び出されたのは、事件解決から数日経った昼休みのことだった。
周りに悟られないようにするためなのか、先生が呼んでるからちょっと来て、と言われた俺は後について行って、中庭に連れてこられた。
一つだけ、彼女には喋っていないことがある。
今回の事件、西島凪紗が死ぬようなキッカケを作ったのは、春宮アリス、お前だ。
何故、起こるはずのない事件が起きたのか、その理由は一つしかない。この世界に本来では起こりえなかった変化が生じたからだ。そしてその原因を作ったのは春宮アリス以外に居ない。
彼女が未来から過去にやって来て、春宮アリスが本来取るはずだった行動と別のことをしたために、それが他の何かに影響して西島凪紗が死んだんだ。
そして、きっと影響を与えられたのは俺だ。
最初の時間軸でショッピングモールのトイレに行った時、もしも俺が、待たせているのがなんか怖い人、と思っていなかったら西島凪紗に声をかけていただろう。それで何か悩みを聞いて、事件は起こらなかったのだと思う。
しかしこれは推測だ。この世界の言わば異物である春宮アリス、それに一番影響を受けたのが俺で、かつ西島凪紗とも接点があったということから予測したことに過ぎない。だから彼女には話さない。
それに、きっと春宮アリスは薄々気づいているはずだ。自分の存在が今回の事件を起こしたことを。彼女は未来から来ているのだから、尚更どうして自分の知っている過去と違うことが起きたのか、興味があるはずだから。
赤レンガが敷き詰められた広い中庭は、昼休みという時間のせいかそこそこ人が多く、ガヤガヤとした雰囲気で、かつ他人と距離を取れる。これなら誰かが会話を盗み聞きする心配はないだろう。
「今回はありがとう。協力してくれて助かったわ」
「別に。俺もクラスの女子に殺人犯や性犯罪者と勘違いされるのは嫌だったからな」
嫌味を言うと、春宮の顔が引きつった。
「一つだけ聞いてもいい?」
「ああ」
「どうして凪紗があそこにいるってわかったの? 凪紗のお婆ちゃんがどこで亡くなったのか知ってたの?」
「いいや。写真だよ」
「写真?」
「あいつがスマホの写真を整理してたって言っただろ? その時消してた写真にあの場所の写真があったんだ。女子が撮るような写真にしては地味だったし、一緒にホテルの写真もあったし、これはもしかしたら自殺場所の候補を下見したときの写真じゃないかって思ったんだ」
「そんな写真なんて必要なの?」
「ああ。案外な。本当にロープを括るところがあるのか、とか。本当に外から見えづらいか、とか。たぶん写真に残しておいた方が便利なんだろ」
春宮は何故だか困った顔をして黙り込んでしまった。もしかしたら、彼女は勘違いをしているのかもしれない。
「とにかくありがとう。それからごめんなさい。今まで疑って」
彼女はそう言って謝った。しかし、それは違う。
「──まだ疑いは晴れてないはずだ」
「どうして? だって凪紗は生きてたのに」
「俺がやったのは西島凪紗の延命に過ぎないよ。お前は言っただろ? 未来で西島凪紗は1月に行方不明になって4月に遺体が見つかってる。今回の事件は本来起こるはずじゃなかったものなんだ。俺が防いだのはその殺人事件であって、お前が未来で遭遇した殺人事件じゃない。だから、未来の事件が起こる確率は十分ある。その事件の犯人が俺の確率もね」
「でもあなたは凪紗のことを助けて──」
「──それでも未来の俺は自分がやったって言ったんだろ?」
そう。未来の俺は春宮に犯行を自供しているらしい。しかしそれは俺自身でも考えられないことだ。
「言ったはずだよ。俺はそんな嘘はつかない。だからもしかしたら、将来俺はなにかの理由で西島凪紗を殺すのかもしれない」
俺は嘘は好きじゃない。そんな俺がどうしてそんなことを言ったのかわからないままなのに、俺の容疑が晴れるはずはない。
「お前、最初会ったとき言ったよね。俺がバナナを好きなのを知ってるのは推理したからだって。推理なんて言葉、今どき滅多にミステリ小説にも出てこないような絶滅危惧種の言葉だ。だからそんな言葉を言ったからには責任を取れ」
それはもしかしたら春宮を虐めているようなものかもしれない。会った直後にたまたま言われた言葉の揚げ足を取るような卑怯なことだ。
普通に考えれば、彼女はただ俺がバナナ好きだと知っていたのだ。おそらく未来のどこかのタイミングで俺がバナナ好きだと知る機会があったのだろう。春宮はそれを俺に対する威圧の意味も込め、カッコつけて推理したと言っただけだ。
しかしその言葉に頼るしかない。未来において犯人が自分自身なのなら、俺自身が客観的に物事を見ることなんてできない。どこの世界に犯人が犯人を推理するなんて馬鹿な話があるだろう。
だから、彼女に任せるしかない。
「推理しろ、名探偵。未来の俺が犯人だって言ったんなら疑ってくれ。疑って徹底的に調べあげて、事件の全てを解き明かしてくれ。そのときにまだ俺が犯人じゃないって思ってたら、そのことを論理的に証明してみせてくれ」
それから言葉を続けようか悩んだ。しかし言うことにした。
「たのんだぞ」
風が吹いた。それはひどく熱かった。
風に揺られてポニーテールをたなびかせる春宮が、不意に口元を覆った。揺られてなびく彼女の前髪の奥から、潤った彼女の瞳が覗いていた。
しかし、彼女はすぐにその手を退ける。その口元には笑みがあった。
「まったく、言葉足らずなんだから」
その言葉が風にかき消され、奥菜樹の耳には届かなかった。
「そういえば、俺もひとつ聞いていいか?」
「……うん」
「どうしてお前は俺を待ってたんだ? それに見張ってたのも。お前は事件が起こるのは1月だってわかってたんだろ? それなら俺を見張るのには早すぎるはずだ」
それはどうしても腑に落ちないことだった。事件が起こるのが1月だと知っていれば、わざわざ俺とショッピングモールに行くことや、このクソ暑い中に一晩中人様の家を見張る必要なんてなかったはずだ。そもそも最初から俺ではなく被害者である西島のことを見張っていればよかったはずだ。俺が怪しいから見張るにしても、彼女の行動はあまりに非合理的だった。彼女はおそらく今回の事件を予見していなかった。明らかにイレギュラーな事態だからだ。だとすれば彼女の、俺が怪しいから見張っていたというのは、何か他のことを隠すための言い訳だったのではないだろうか。
「──さあ?」
彼女は笑った。それはとびきりの笑顔だった。にへらと笑うかのような、子どものような、本当に幸せかのような純粋で目いっぱいの笑顔だった。
「当ててみてよ」
うしし、とも、にししともつかないようなその笑顔は、春宮によく似合っていた。その顔に胸が高鳴った。
遠くでセミの声が聞こえる、ある夏の昼下がりのことだった。