タイムリープ
『ごめんね〜、奥菜君、付き合ってもらっちゃって。なんだか強引に誘っちゃったけど、迷惑だった?』
『──』
『よかった〜。でも、こうして話すの初めてかな? 奥菜君ってずっと一人だったから気になってたんだよね』
『──……』
『あはっ。なにそれ? でもあるあるかもね。案外自分から話しかければ変わるんじゃない?』
『──』
『そんな事ないって。ほら秋山君とか新田君とか、あと西島さんとな、奥菜君と一緒で本が好きみたいだし、話合うと思うな〜』
『──……』
『そうだよ! 頑張ろっ』
◇
夕焼けに染まった教室で目を覚ます。
突っ伏して眠ってしまっていたようで、筋肉が強ばってしまっているのがわかった。それを解すため、両手を組んで上に伸びをする。
なんだか長い夢でも見ていたかのような感じで、そのせいで頭の中にあるふわふわとした感覚が長いこと抜けきらなかった。もしかしたら今のこの瞬間も夢の中なのかもしれないと、そう思ってしまった。
でも、なんだか楽しい夢だった。
クラスメイトの春宮アリスにバナナミルクとクレープを奢ってもらう夢だ。夢の中にクラスメイト、それも女子が出てくることなんて初めてのことだった。もしかしたら、心のどこかで俺は春宮に惹かれているのかもしれない。
まぁ、もしそうだとしてもおかしくないだろう。
顔は綺麗だし、長い金髪も綺麗だ。体は細くて腕も足もスラリとしている。それでいて控えめながらも胸は出ている。加えて言うのなら勉強も運動もできるし、誰に対しても優しいと性格も良し。典型的なモテる女子だろう。
しかし気になることが一つあるのだとすれば、夢の中での春宮は、現実の彼女より暗い気がした。なんというか、気を張っているというか、警戒しているというか。
寝ぼけた頭のまま外を眺めてハッとした。
黒板の上にある古びた壁掛け時計を見ると時刻は既に6時20分を回っている。スマホを確認してもそこには『7月7日 18:20』の文字。紛うことなき七夕の日、或いはポニーテールの日だ。
「やっべ……」
今日はショッピングモールにある本屋に行かなければならなかった。注文した本が届いたと連絡があったのだ。別に早く買いに行ったからといって何かあるわけではないが、用事は早く済ませたくなるのが人の性だ。
カバンを持って教室から出ると下駄箱に向かう。それから下校の音楽を聞きつつ正門に向かう。その前に人影があった。
「春宮……?」
そこにいたのは春宮アリスだった。
イギリス人とのハーフで、長い金髪をポニーテールにした女子。それが険しい目つきでこちらを見ていた。
彼女の長く纏めた髪が生暖かい風に揺られた。
「待ってたわ、奥菜君。やっぱり私の名前、覚えているのね」
「まぁ……クラスメイトだし。で、何か用?」
それから暫く彼女は言葉を発しなかった。
俯き、腕に力を入れたのか、肩が僅かに上がる。それからもう一度顔を上げる。どうやら何かを覚悟したらしい。
「──どうやって凪紗を殺したの」
それは疑問形ではなかった。何かを確信しているようだった。だからこそ訳がわからなかった。
「は?」
殺した……? 誰が? 誰を? 俺が、西島凪紗を? は? 意味がわからないが?
しかし同時に思い当たる節があった。西島凪紗が死んだという話を聞いたことはあるのだ。しかしそれは夢の中の話だ。それにどちらにせよ俺は殺していない。
「答えて。どうやって凪紗のことを殺したの。放課後あなたはずっと眠ってたし、その後はずっと私といたはず。それに家に帰ったあともずっと部屋にいた。答えて。どうやって殺したの?」
意味がわからなかった。それにその言い草だとまるで一日中見張られていたかのようだ。
「待ってくれ。何の話だかわからない。そもそも西島凪紗が死んだなんて話、俺は知らない」
「ええ。今はまだ、ね。でも、これから凪紗が死ぬことはあなたも知ってるはずよ」
「……悪いけど俺は未来予知できる訳じゃない」
「それならどうして私の名前がわかったの? 人の名前を覚えるのは苦手じゃなかったの?」
「それは……クラスメイトの名前だから」
そう言いつつも、違和感を感じていた。
確かに人の名前を覚えるのは苦手だ。今でもクラスメイトの名前なんてほとんど覚えていない。覚えているのと言ったら西島凪紗と春宮アリスくらい。他は覚えてたとしても苗字だけなのに。
それに追い打ちをかけるように春宮は言った。
「バナナミルクとクレープを食べたでしょ?」
それは紛れもなく夢の内容だった。どうして彼女がそれを知っているのか。
「私は全部知ってるわ。あなたが凪紗を殺したことも」
「……まるで未来でも見てきたみたいな言い方だな」
「ええ。というより時間を戻したの」
短い言葉だったが、理解が追いつかなかった。まさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかった。ピンポン玉を投げたら爆弾を投げ返されたようなものだ。
「少し……場所を変えないか? 心を落ちつかせたい」
「いやよ。二人きりになったら今度は私を殺す気でしょ?」
「どうして俺がそんなことをしなきゃならない!」
頭が混乱していたのと、あまりに失礼なことを言われたことが重なって思わず大きな声を出してしまった。
「俺がお前を殺す? そんなことするわけがない。理由がない」
「……残念だけど私はあなたを信用出来ない。一度でも違うかもしれないって思った私が馬鹿だった」
春宮アリスは何故だか悲しそうな顔をしていた。なにを勝手に悲しんでいるのかわからないが、わからないが……なんだろう。その先の言葉がうまく見つからない。
「西島凪紗が死んだのは、お前が俺に奢ってくれたのは夢じゃなかったのか? 本当に、あれは未来で起こることなのか?」
「そう。全部本当にあったこと」
頭が痛くなってきた。
「私は未来から来たの。あなたが知るよりもずっと未来から。あなたが凪紗を殺すのを止めるために」
「……俺は殺してない」
心を落ち着ける。じゃないとどうにかなりそうだった。どうしてそんな濡れ衣を同級生から被せられなければならないのかまるでわからなかった。
とりあえず、今必要なのは情報を整理することだ。それにはまず情報をテーブルの上に出させなければならない。
「どういうことなのか一から説明してくれ。俺が殺したってどういう意味なんだ?」
「来年の1月、凪紗は行方不明になって、それから三ヶ月後の4月、遺体が見つかったわ。だから私は未来から過去に……今に戻ってきて事件を防ごうとした。でも結局防げなかったからまた一日戻ったのよ。あなただって覚えてるんでしょ?」
つまり、春宮の中では元々の時間軸があり、そこでは1月に西島凪紗が行方不明になり4月に遺体が発見された世界なのだ。
そこから一度タイムリープをしたのが俺が夢だと思っていた時間軸で、そこは俺が春宮アリスにバナナミルクとクレープを奢ってもらい、次の日に西島凪紗がホテルで死んでいるのが発見されたやつ。
そしてそこから更にもう一度タイムリープしたのが今のこの時間軸、ということだろう。
「待ってくれ。百歩譲って時間が一日戻ったことは認める。俺はお前に奢ってもらったことも覚えてる。でも、悪いけど俺は1月と4月のことは知らない」
「そうやってしらばっくれるのは何が目的?」
「しらばっくれるもなにも、本当に知らないんだ」
「なら聞きたいんだけど、どうして最初のタイムリープの前の記憶はないのに、さっきのタイムリープの前の記憶はあるの?」
「それは……」
そんなこと知るか、と言いたくなった。なぜならそれが事実だ。事実として俺は春宮が言うタイムリープする前の時間軸、本来の時間軸の記憶なんてものはない。しかしそれを証明することなんてできない。
「でも……だとしても俺が殺すわけがない。何かの間違いだ。それに俺は昨日……というか、さっきだって西島のことを殺しちゃいない。お前が言うように俺はずっと家にいたんだ。殺せるわけがないし殺すわけがない。第一殺す理由なんてない」
「──でも、未来のあなたは私に言ったのよ。凪紗を殺したのは自分だって」
ハンマーで殴られたような衝撃が走った。
未来だと俺は犯行を認めたということか? いや違う。決めつけは厳禁だ。春宮の話を全て鵜呑みにする訳にはいかない。彼女の話には、少なくとも俺が犯行を認めたと言ったことについては客観性がない。
「ならもしも、もしもだ。もしも俺が殺したんだとして、それならどうしてお前は俺に真正直に聞きに来たんだよ。普通犯人が教えるわけないだろ?」
「それは──」
初めて彼女が動揺したように見えた。それは言葉を出すべきかどうかを迷っているのか、それとも本当に言葉が見つからないのか。
動揺している人を見れば人は落ち着く──ではないものの、少しの時間で心は余裕を取り戻してきた。
「悪いけど、俺は犯人じゃないから、俺が西島凪紗を殺した方法は話せない」
悔しそうに春宮アリスは口を噛んだ。それを見たら可哀想に思えた。
なんだか小学生のとき、女子をいじめて泣かせてしまった後の罪悪感というか。そんな経験をしたことはないから想像でしかないが。
小さい頃、父親に理詰めで完膚なきまでに叩きのめされたことがある。何を言おうが、何をしようが弁明のしようがないほどの状況だ。そうやって追い詰められるのは、辛いことだ。どうやっても自分を恨むことしかできないから辛いのだ。
「……ただ、もう一度考えてみよう。俺が犯人だとしたら、どういう手段を使えばその場にいずに西島凪紗を殺せるのか」
彼女はその言葉にかなり面食らったようだった。信じられない、という顔でこちらの表情を伺ってくる。
「どうしてそんなことする必要があるの……?」
「この場を適当にやり過ごすなりして、これからお前と関わらないようにするって手もあるけど、俺としてもクラスメイトに殺人犯呼ばわりされるのは嫌だし、誰かが死ぬのを見殺しにするのも後味が悪い。それにタイムリープについては経験してるし、お前が完全に信用出来ないわけじゃない。だから一度考えてみたい」
彼女はしばらく考えていた。当然だろう。春宮からすれば俺は殺人犯。なにか裏があるのではないかと探るのが普通だ。
「……わかったわ。場所を変えて話しましょう」
「どこで?」
「文芸部室。この時間は誰もいないから」
「やめておいた方がいい」
「どうして?」
キョトンとして彼女は言った。
何故コイツはさも、そんな必要あります? みたいな顔をするのだろう。もしかしてバカなのか?
「さっき自分で言ったんだろ。俺を信用しちゃ駄目だ。もし未来で俺が西島凪紗を殺すなら、それは自分でも予想できない何かが起きたという事のはずだ。だから俺も俺を信用しないことにする。二人きりになるのはまずい。せめて人目の多いところにしよう」
「それなら昨日行ったフードコートは?」
「ちょうどいい。そこにしよう」