「プロローグ」
ピンクの桜がひらひらと。
それはまるで舞台か何かで役者を盛り立てるように終わりなく降り頻る。その薄紅色の淡さはまるで春の暖かさを凝縮したかのようで、見ていると自然と心が躍った──
とまぁ、そんな冒頭であったなら俺はまだ良い人間だろう。何か出会いがありそうでワクワクする。
しかしながら考えてもみてほしい。確かにこの国の人間は狂気的とも言えるほどに、あんな春の短い期間にしか花を咲かせない木如きを愛している。加えて言うのなら、秋には毛虫の大群を降らせることぐらいしか脳のない木を、この狭い国土の大部分にアホらしく植えているが、それでも植えられているところなんて限られている。彼らが植えられているところは、だいたいの場合、河川敷、並木道、公園、こんなところである。
だから当然、この国にも登下校路のどこにも桜がない学生はゴマンといるはずだ。俺だってその一人だ。だから俺が学校に行く途中に桜を見るなんてことは一切合切ない。それなのに桜が青春の象徴とされるのはおかしくないだろうか。学校生活とまったく関係のないところでしか見ないものを青春の象徴と言われてもピンとこない。
俺の通学路はそんな華やかなものはない。むしろあるのは無機質な家の塊がたくさん。つまるところ住宅街だ。
そこを歩いている途中、犬の散歩途中のおばさんたちが電柱の近くで何かヒソヒソ話をしていた。そして俺に気がつくと一瞬警戒の眼差しで見た後、何か悪びれて笑顔を装って会釈をしてくる。
──特に何か秀でているわけでもなく、俺はどこにでもいる普通の高校生だ。
2000年台と2010年台、そんな辺りの学園青春ラブコメを見ると大体みんなこんなことが書いてある。
だが、ちょっと待て、と俺は言いたい。
そもそもそんな普通の高校生があそこまで美少女たちにチヤホヤされるなんてことは絶対にないだろう。
だって考えても見てほしい。普通の高校生がそれだとしたら、この国の少子化問題なんてとっくに解決している。それに、もしも普通の高校生があそこまで女子にモテるのであれば、いわゆる学園カーストの上位の人たちなんていうのはもっと凄いことになっているだろう。だから、彼らは普通なんかじゃない。
結局、彼らが普通なんて言葉を好むのは、高校生が故の、自身の価値をまだ理解できずにとりあえず普通の人間と言いたくなる気持ちと、読者への「俺は君たちと一緒の普通の人間だからねっ」という薄汚いアピールと(作者の願望)を掛け合わせた作者の罠に過ぎない。
そして中学時代にそんなアホな罠にハマった世の悲しい男たちは高校に行けば自分だってあんな青春が送れるんだ、とそのアホさとバカさと浅はかさを胸をいっぱいに詰めて進学していくわけである。
そして高校に行って、愕然とするわけだ。
なぜ自分は普通の高校生と同じような生活を送れないのか、と。
何故そんなことがわかるのかと言われれば、俺がそうだったからだ。その結果、俺には半年の間友達ができなかった。向こうから話しかけてくれるだろ、と思っていたからだ。
だからまぁ、あいつらなんて普通の高校生なんかじゃない。女子にチヤホヤされたり、あまつさえ何かの手違いで女子との同棲生活が始まってしまうような奴らが普通であってたまるか。
でも自分が普通の高校生だとも思えない。普通の高校生は俺みたいな奴のことじゃなくて、もう少しマシな奴のことだろう。だから自分のことを評価するなら、俺は普通よりも少し残念な高校生だ。
コツコツ、と歩を進めていく。
学校に近づくにつれて路駐された車が多くなる。普通それを取り締まる立場であるはずの警官たちも、校門の前から動こうとしなかった。
近づいていくとどんどん人が増えていって、ガヤガヤと煩くなる。冷静な声、興奮した声、泣き声──色んな声が混ざってしまっていて、それぞれが何を言っているのかを聞き取るということは不可能に近かった。しかし記者たちに向かって怒鳴っている生活指導の奥村先生が何を叫んでいるのかは大体想像がついた。
生徒の通学の邪魔をしないでください、とか、そんな感じだろう。だが、そんな言葉でもはや集団となった人間を動かすことなんて出来やしない。
「遺体となって発見された西島凪紗さんが通っていた高校の前に来ています。西島さんは三ヶ月前、この高校を出てからの足取りがわかっていませんでしたが──遺体の状況から、警察は事件性が高いと見て捜査を──」
緊迫したような顔を装って喋る女子リポーターの真横を通り過ぎながら、カメラに向かってイエーイ、とでも言ってやろうかと思ったが、その好奇心は心の中に押し込んだ。
西島凪紗は自分から見れば友人ですらないただの知り合いの一人だった。しかし向こうから見れば、俺の存在は少し違ったのかもしれない。しかしそれは俺からしたら鬱陶しかった。
校舎の下駄箱に行くと、そこはいつもより人が多いように思われた。たぶん、みんな不安だからだ。不安だから群れてそれを薄れさせようとする。でもそんなのは無意味だ。
「ヤバくなかった? 記者あんなに来てんぜ」
興奮気味に喋る男子生徒の声がたまたま聞こえてきた。彼らの頭の中には一人の女生徒が死体となって見つかったことよりも、そっちのことの方がビックニュースなのかもしれない。或いは、彼の中では人が殺されたということは現実味がなさすぎたのかもしれない。
誰もが考えたことがあるのではないか。
──もし、自分の高校の誰かが殺されたら。
或いは、自分の高校がテロリストに襲われたら、とか。
簡単な話だ。それと同じことが起きた。ある女子高校生が行方不明になって、殺された。それも見るも無惨な状態で。別におかしな話じゃない。ためにニュースでその手の話は流れてくるはずだ。それと同じことがたまたまこの高校で起きたに過ぎない。だから、これは単なる場所の問題だ。だから過度に不安がる必要なんてない。テレビを見ているかのようにどっしりと構えていればいい。
俺はそんな彼らの隙間を縫うように移動しながら部室棟へ向かった。文芸部の部室はそっちにあったからだ。
朝の部室棟は静かだった。当然だった。あの事件が起きてから朝の部活は禁止されていた。だから部室しかないこの校舎には誰もいない。
──コツン、コツン、と自分の足音だけがやけに大きく響いて聞こえた。
こうして一人歩いていると、世界がまるで自分のものになったかのような錯覚に陥る。世界にはもう自分しかいない。だから世界は俺のものだ、と。
もし本当にそうなったらみんなはどうするだろうか。俺ならとりあえず高級寿司店に行く。それからバナナジュース屋だ。どっちも好物だし、すぐに腐ってしまうし、腐ったらもう食べることは永遠に不可能かもしれないから。
「…………」
でも、そこに彼女がいた。クールで、カッコよくて、可愛い人。
金髪の長い髪をポニーテールにしており、今は勝ち気そうな瞳をしていた。まるでこの世のなにも怖くないとでも言いたそうな顔をして彼女はそこで待っていた。でもそれは彼女の驕りだ。男がその気になれば彼女なんて簡単に負けてしまう。しょせん彼女は女だ。力では男には敵わない。悲しいけどね、男女平等なんて言葉は生物学には何ら影響を与えてくれないんだ。
俺は会釈をして彼女の横を通り過ぎようとした。
「ねぇ──」
声をかけられた。俺はそれに振り向いた。そこにある彼女の顔は少し怒っている……いや、そんな生やさしいものではない。明らかに、そこには憎しみの色があった。地獄の底から這い出てきた鬼のような深く、暗い憎悪の感情がその仮面は隠しきれていなかった。
「──凪紗を殺したの、あなたでしょ?」
それは断じて疑問ではなかった。もう半ば確信しているかのような断定の声色を含んでいた。
悲しいなぁ、彼女にこんなことを言われるなんて。残念だ。心の底からそう思う。俺は君が好きだったから。
しかしまぁ、友情や恋愛感情なんてのは、しょせん信頼関係で成り立つものだ。だから信頼関係が崩れれば呆気ないのかもしれない。
一度口角を上げ、俺は答えた。
「ああ。そうだよ」
それから続けて言う。
「残念だよ、本当にね。名探偵さん」
ひどく質素な言葉だった。本当ならもっと言うべきことはたくさんあったかもしれない。もしくは、似つかわしくない言葉だったか。
もう一度だけ言っておこう。
──俺は、普通より少し残念な高校生だ。
だってそうだろう? 普通なら、もう少しマシな結果になってたさ。
それから俺は口を動かす。たった五文字を伝えるために。