顕現
「ヒノ、ミコ。ヤマト……あっ、また」
「いい、気にしなくていい」
耳を澄ます睡蓮に、昂は太秦へ睨みを利かせたまま首を振る。
「ああそれは陽の巫女だけに響く、日孁の竪琴の音色だろう」
「ヒルメ……?」
太秦は静かに立ち上がりながら答えた。
背中の辺りで結んだ髪は烏のように真っ黒で、反物から仕立てたであろう燕尾服は優美な気品が漂う。太秦の引き締まった体躯と相まうと、威圧感さえも与えるのだった。
だがそれでも昂は臆さない。
「うるさい! 睡蓮を怖がらせたのはお前だなっ!」
昂はカッと目を開くと、上空へ二枚の札を投げた。
「睡蓮は渡さない! 急急如律令境界、我が姫を護れ!」
呪符だ。生成り色をした札に、筆で描いたような文字が五芒星と共に浮かび上がる。
そして発光した後、温かな緑色に輝く亀甲が幾何学模様のように連続して配列していくのだった。
そうしてたちまち障壁が現れると、睡蓮から離れて昂は再び唱えた。
「排斥!」
もう一枚の呪符も同じように反応した。今度は太秦に向けて術が発動する。
バチンッと強力な静電気が起こったかのような音。見えない何かが太秦にぶつかったらしい。いや違う、当たっていない。それこそ障壁に護られているかのように、昂の術を跳ね返していたのだった。
「こ、昂くん!」
「駄目だ睡蓮っ、そこから動くな! くそ……! 急急如律令——」
昂は必死に排斥の術を繰り返したが、太秦は眉一つ動かさない。
「陽の巫女、私と共に」
不意に太秦は睡蓮に向けて手をかざした。
するとどこからともなく睡蓮の足元に光が集まり出す。直後、睡蓮を中心に広がったのは金色に輝く六芒星の魔法陣。そこから無数の羽根が現れた。巻き起こった風と共に、勢いよくそれは睡蓮の身体を這っていく。
「ああ……っ」
「睡蓮!」
抵抗することも出来ずに只々漆黒の羽根に覆われる睡蓮を、昂は迷うことなく抱きしめた。だが瞬く間に二人は太秦の生んだ術へと取り込まれてしまう。
「弾かれなかったか」
太秦はそう一人呟き、二人にしたものと同様の術を使うと姿を消した。
*
*
*
(すごい……千本鳥居みたいです)
漆黒の羽根から出来た、果てしなく続く道。その上を跨ぐように、たくさんの鳥居が連なっていた。
暗い中でも朱色が目に美しいのは、丸く浮かぶ大小様々な光のお陰。
二人はそんな無重力空間を抱き合いながら進んでいく。
どうやら昂は気を失っているようだ。だがそれでも昂の腕は睡蓮を支えている。睡蓮の頭と腰を自分の身体へと引き寄せ、眠るように目を閉じていた。
睡蓮の方も瞼が重そうだ。
その睡蓮の瞳に、石段を駆け上がったコロンの姿が映る。塞がりつつある時空の裂け目から見えたものだった。
遠吠えを始めたコロンの方も睡蓮たちが見えているのか、その鳴き声はとても伸びやかで、旅立つ二人に声援を送っているかのようであった。
(コロン無事でしたか。良かったです……。階段も、鳥居も元通りになっていますし、きっとこれで安全にお家に帰れま……)
「お! 本当にスポーンしたぞ黒狐!」
「――ふぇ?」
睡蓮は声に驚き目を覚ました。横たわっていた上半身を起こすと、六芒星の魔法陣は夜空に咲き散る花火のように儚く消失した。
「へぇ。少し犬臭いけど、結構可愛いじゃん。白狐、オレこの子のこと気に入ったから!」
「え?」
板の間の上、金髪の少年が二人。戸惑う睡蓮を挟んで、吊り気味の目を細めて笑い合う。
顔立ちから見て、睡蓮たちより歳下か。
二人は双子のような容姿をしていてとてもそっくりではあるが、斜めに流した前髪の分け目が左右逆であったりと、外見の違いが多々あるので見分けは簡単に付きそうだ。
太秦と同様この者たちも、和洋が混ざり合う風変りな格好をしていた。
しかし艶やかな躑躅色の襖を、障壁画や雪洞の灯りで幻想的に彩るこの部屋の中では、それが奇をてらわずによく馴染むのであった。
「あ、あの昂くんはどちらに……」
「お目覚めの気分は、ど? ボク、白狐って言うんだ。君の名前を知りたいんだけど、教えてくれる?」
「おい。この巫女さまは、オレが先に話をするって決めてたんだぞ? あ、オレの名は黒狐。白狐と違って、大御神の恩恵を受けたこの肌が健康的で男らしいだろ? ほらほら白狐なんて放っておいてさ、もっとこっちにおいでって」
「あ、あの昂くんはっ!」
「はァ? 何言っちゃってんだよ黒狐。ねぇ君の瞳にも、ボクの方が使わしめっぽくて神秘的に見えてるでしょ? わ~君の手って小さくて可愛いね」
全く話を聞く気がないのか、懸命に訴えかける睡蓮を差し置いて、腰に腕を回したり手を握ったりと、初対面と思えぬほど馴れ馴れしくする二人。何とまあ軽薄な印象だが、危害を与えたりはして来なさそうだ。しかし手癖が悪いようで、次第にそれもエスカレートをしていく。それぞれの手が狩衣の胸元と裾に伸び始めた。
「「ぎゃう!」」
涙を浮かべて「イテテ」と頭を押さえる二人の背後に現れたのは、げんこつを作った太秦だった。
「顕現早々すまない、うちの者が失礼をした。いいか狐、お前たちの遊び相手ではないのだぞ? この方は陽の――」
「あ! ヤタノカラスさんっ」
睡蓮を見た途端、そう人名のように呼ばれ太秦は言葉を失う。白狐と黒狐はここぞとばかりにといった様子で、愉快げに目配せをすると笑い転げた。
太秦は咳払いをして律したが、小首を傾げる睡蓮にはため息を吐くしかなかった。
「案ずるな陽の巫女。そもそも倭に連れて来るのは、そなただけの予定だったのだ。この世の者でない昂は結界が張られた屋敷を跨げなかったに過ぎない。だが迎えを……ああ、ちょうど来たようだな」
太秦が一歩脇に避けると、その後方には肩に昂を担ぐ白銀の髪をした男が立っていた。