第9話 沼の花(2)
「バカ! さっさと殺せ!」
怒声が近くなってきた。思いつきのまま走ってきたが、正直俺は後悔している。土モグラを捕まえに来るだけだったから武器なんて採集用のナイフしか持ってないし、何よりもうあの女に関わりたくない。
「でも! 大蛇だって生きてるんです!」
「バカやろう! 仲間がやられてるんだぞ! このままじゃ……くっ」
毒だ。特に強いモンスターではないが、大蛇に噛みつかれて体の中に入った神経毒は血液と一緒に身体中に回る。脳に行けば最後、もう二度と体は生きるために動かなくなってしまうだろう。
「ったく……」
「ソルトさん!」
大蛇の攻撃をかわしながらフィオーネがよそ見をする。俺は倒れた男に持ってきた解毒剤を飲ませた。1人は間に合わず死んだ。残りの2人はなんとか岩陰まで移動させ、フィオーネに向かって叫んだ。
「お前のせいで一人死んだ!」
「で、でも!」
「仲間が死んでもお前はモンスターをかばうのか!」
大蛇の攻撃を剣で弾き、フィオーネはそれでもトドメを刺そうとしない。彼女の中の魔物の血がそうさせるのか、それとも彼女自身の心の弱さなのか……。
「お願いっ! どこかへ行って! 殺させないで!」
大蛇は攻撃をやめない。噛みつき、毒を吐き、尻尾で叩きつける。フィオーネはだんだんと動きが鈍くなっていく。
毒か……。大蛇の吐息に混じる神経毒は猛牛使いが使うほど強力なもので……ってんなこと言ってる場合か。
「そらよっ!」
俺はポケットに突っ込んでいたキノコを放り投げる。コボルトのションベン付き。コボルトは大蛇の大好物なので反応しないわけがない。
匂いに敏感な大蛇は俺がキノコを投げた方向へと消えて行った。
「やっぱり……ソルトさんは私の……」
泡を吹きながら意識を失ったフィオーネに解毒剤を飲ませてから彼女をやっとの事で背負うと、彼女の仲間たちとともにダンジョンの出口へと向かった。
***
「仲間を見殺しにして、モンスターにとどめを刺さない戦士なんていらん」
パーティーのリーダーはフィオーネに冷たい視線を向け吐き捨てるように言った。
フィオーネはパンパンに腫れた顔でリーダーの男を見上げる。
「お前のせいで俺は階級が下がった。死んだやつもいる。魔物の味方をして……部外者の、しかも鑑定士なんかに助けらたからな。ほんっとお前なんて雇わなければよかった。さっさと消えろ!」
唾を吐きかけられて、フィオーネは俯いた。遺体の周りでは仲間たちがすすり泣き、フィオーネに憎悪の視線を向ける者もいる。
さらっと俺まで罵られたのに少し苛立ちながら、俺はシューと共にギルドを出ようとした。
「あの……これ。助けてくださってありがとうございました」
少し不満そうに、それでも自分のメンツを守るためにリーダーの男は俺に巾着を差し出した。
「俺は冒険者じゃないんだ。あはは、たまたま居合わせただけの元鑑定士さ。命が助かってよかったよ」
巾着を受け取らず、俺はフィオーネの方へ向かった。
誰もいなくなったギルドの廊下で涙をこぼし嗚咽し死んだ仲間に謝り続けている。
「フィオーネ。お前は戦士に向いてない。冒険者にも向いてない」
「わかってます……! 私は、私のせいで仲間を死なせてしまった。殺してしまった。でも……動かないんです」
彼女の手のひらと唇には血が滲み、彼女の悔しさが痛いほど伝わって来る。
「冒険者をやめろ。うちで雇ってやる」
「へ?」
フィオーネはぽっかりと口を開けて、涙に濡れた瞼をぱちくりとさせた。
「うちの農場の用心棒になってくれ」
キューキュー。キューキュー。
「しゃーないにゃ。力仕事は全部やるにゃ」
シューが土モグラ入りのケージをフィオーネの前に置いた。土モグラたちが甘えたような声を出す。
キューキュー。キュピッ。
「仕方のない事にゃ。同族を殺すのは低級魔族のサキュバスにはできないような作りになってるにゃ。人間が人間を殺すのを戸惑うように君も戸惑ってしまっただけにゃ」
猫の姿に変身したシューは俺の肩に飛び乗って「さっさと帰るにゃ」と行った。