大妖怪と少年退魔師は何を思う
灼熱の太陽が照り付ける砂漠で僕は憤慨している。
怒りの矛先は目の前にいる小さな女の子。僕だって怒りたくなんかなかったけど、彼女がやってしまったことは重大なミスなのだ。
生死に関るうえ、無くしてしまった物を代用する術はない。食料はともかく、まさか水分が先に尽きるだなんて想像もしていなかった。
「どうしてお水をぜんぶ飲んでしまったんだい? 怒ってないから理由を教えて欲しい」
「う、絶対怒ってるではないかぁ。九尾はリュウタロウが少し怖いぞ」
そりゃ怒ってるよ。むしろ、なぜ僕が怒りを感じていないと思ったのか。甚だ疑問だね。
とはいえ、このまま問答を続けていても事態は進展しない。一方的な叱責は互いの体力を削るばかりか、精神的な瑕疵を付けるばかり、か。
「やってしまったことはどうしようもない、何とかしてオアシスを見つけるしかないよ」
「ごめんなのだぁ……」
九尾の狐は見た目通りの少女のように、シュンとしたしおらしい態度を見せている。間違いなく千年は生きている筈なのだが、どうしてここまで弱弱しい姿を僕に見せるのか。
彼女は自分と僕との関係を忘れてしまったとでも言うのだろうか。
僕が君を連れているのは、君を討伐するためなんだぞ。
僕は退魔師で、君は妖怪。それも、国家の存亡を揺るがしかねないレベルの大妖怪。かつて隣国を荒らし回り、数多の人間を食い殺した大妖怪。
彼女と結んだ契約によって万能薬を探しにこんな辺境の砂漠までやって来たというのに、まさかそれを申し出た本人がこんな失態を犯すとは思いもよらない。
ここで滅してしまっても、いいんだぞ。
「九尾の狐、目的を忘れてしまったなんてことはないだろうね?」
「……分かっておる、分かっておるとも。しかし水源を見つけることが最優先、そう言ったのはオヌシだ」
言うまでもなく理解している。すぐに動こう。
こうしている間にも、途方もない広さの砂漠をさまよっている僕ら。ジワジワと体力は削られていくし、地平線すら見えそうな途方もない砂の地面にめまいがしてくる。
あてもなく歩き続けた。
オアシスを探し出してから数時間、いやもっと経っているかもしれない。既に僕たちは満身創痍、喉はカラカラで会話もない。
そんな状況で希望の光が見えたのは幸運としか言いようがなかった。向こうに明かりが見える。
あれは……集落か?
恐らくこの辺りの遊牧民族か。まだ遠目にしか見えず判断が付かないが、友好的な部族であることを願おう。
「九尾、見えたよ。水が貰えるかもしれない」
九尾は反応を見せない。どうしたのだろう、待ちに待った救いの光が見えたんだよ。
彼女は自身の真下、地面を指さした。
「下がれ、敵襲じゃ」
遅かった。言われて始めて僕も気配を、妖気を感じた。
後ろに飛び退くが、計算より距離が稼げていないことに気付く。体力が間違いなく落ちている。
砂を突き破って、何か大きな生き物、いや物の怪が姿を現す!
奇襲を躱せたのはかなりギリギリだった。体に掛かった砂を払いながら、敵の姿を観察することに努める。
目算では十メートル程の体躯に、真っ赤な皮膚。人間の顔に近い姿のこいつだが、肉体というよりも大きな顔、そう言った方が正確だろう。顔の周りには燃え盛る円環が渦巻いている。
こいつは恐らく陽炎入道。日本にはいない妖怪、以前立ち寄った町で噂だけは聞いていたが、確かに大きい。攻撃用の札を構えるが、その必要はなかった。隣から殺気が出ている。
どうやら僕の出る幕はないらしい。九尾が、力を解放する。最強クラスの妖怪が。
「こんな時に……下衆め。灰塵となり消えるがよい」
九尾の狐は、無尽蔵に等しい妖力を体外に放出し始めた。
僕ですら、少し妖気にあてられて膝が落ちそうになるほど凄まじい量。これを軽々とひねり出せる出力は、地球で見てきた妖怪と比べても遙かに隔絶した力量を持つ証だ。
しかしマズいな。このままでは怒りに任せて彼女は力を解放し、更に体力を消耗してしまうことだろう。真の姿は大きく、エネルギーの消費は大きくなるのだから。
喉は枯れ、体表は著しく太陽に焦がされて炎症を受けるだろう。ダメだよ、そんなのは許せない。万全の状態でいて貰わなければ困るんだ。
君は僕が殺さなければならないのだから、
「九尾、ストップ!」
「止めてくれるなリュウタロウ……!」
こうなってしまっては聞く耳を持たない。真の姿を解放し、巨大な妖怪、九本の尻尾を持つ狐がこの枯れ果てた大地に降臨する。
陽炎入道と同程度のサイズだが、威圧感は段違いだ。
対峙する陽炎入道は何か行動を起こそうとしたのだろう。円環が回り始めた瞬間、九尾は極大の爆炎を作り出し、相手にぶつけた。
速度、威力共に最高峰。
灼熱の大地が、さらなる炎で乾き切る。それ程の火力だった。陽炎入道は跡形もなく消えていた。
だが、それを為した九尾が元の姿に戻る前、苦しそうに倒れ込んだ。
「大丈夫かい?」
「思ったよりも……呪いの進行が早まっていた、らしい」
心臓が、ドクンと鳴った。
呪い。そして彼女に課せられた楔。
楔は、普段は隠れているが、真の姿になるとよく分かる。九本ある彼女の尻尾には、それぞれ同じ文様が刻まれたリングがはめられている。
これは僕が撃ち込んだものだ。あえて妖力を放散させることで、呪いの進行を食い止めるために。
しかし、もう限界は来ていたようだ。彼女の腹部に刻まれた呪いは、既に最終段階まで来ていた。一部、肉体の崩壊が始まってすらいる。
この呪いは、発動から四年で一度だけ発動する遅効性の術だ。今は亡き四柱の神が、それぞれの力を結集させて九尾の狐を滅ぼさんとした力の結晶。
四年に、一度。発動はたったの一回きりだが、徐々に力を奪ってから確実に肉体を滅ぼす神の技。
「まだ、間に合うよ。どこかにある遺跡、そこに必ず万能薬は――」
ある、だなんて、言えなかった。資料でしか見たことがない幻の霊薬。この砂漠のどこかにあると聞いたからここまでやって来た。おとぎ話の域にあるシロモノを探しに。
「分かっていたのだろう? 万能薬など、史実ではなく単なる夢物語だということを」
うん、そうさ。それでも、僕は君を――
この手で、葬ってあげたかった。君と交わした盟約、体を治す代わりに一対一で戦い周囲に迷惑を掛けないこと。
僕は帰れない、だから、これは仕方のないこと。仕方のないことなんだ。いつしか彼女は人間の姿に戻っていた。最後、ということなのだろう。
「殺せ、リュウタロウ。もうわしは助からん」
「……そうさせてもらう」
霊力を解放する。
懐の短剣が力を帯びていくのが分かる。彼女と戦うために鍛え上げた、一度しか使えない力が込められたこいつを抜き放つ。
でも、すぐに殺すことは出来なかった。
「……どうした、早くせんか」
「君は、君は――本当にこれで良かったのかい?」
「オヌシならよい、そうわしが判断したのだ。今更その覚悟を捨てると言うならその首、噛み千切ってくれようぞ」
そうさ、僕はこいつを殺さないと日本に、故郷に帰ることが出来ない。
だったらやるしかないじゃないか。決心したのだろう、東龍太郎。本分を忘れるな、お前は退魔師だろう。
「お別れ、だよ」
「最後に一つだけ言うておく。オヌシとの騙し合いの旅――悪くなかったぞ」
そんなこと、言われたら僕は、僕は――
物音ひとつしない砂漠に、刃が肉を切り裂く生臭い音がした。完全に途絶えた生命力を感知したのか、青、白、様々な光が彼女の肉体を包み込んだ。呪いが発動したのか。
光が消えると、そこにはもう彼女はいなかった。
遺体すら残らないなんて、寂しいじゃないか。
乾いた両の目から、なけなしの涙があふれて来た。僕は、何かを間違ってしまったのだろうか?
本当に殺すべきはこんな小さな少女を殺せと命じた役人たちではないのか。
確かめる必要がある。
しかし、喉の渇きは極限まで達した。
まずは彼らに近付き、水分を確保する必要がある。もう、涙すら出なくなる前に。
砂であるせいか浮遊感のある大地を確実に踏みしめ、僕は前へと歩き出した。
後ろは一度も振り返らない。後悔なんて、彼女が最も嫌いそうな言葉だったから。