たぶんあたしは嫉妬していた
おいしいよ――と言いながら複雑な顔をしているパパを見て、あたしは吹き出しそうになった。
なんでも完璧にこなす浅葱 さんだけれど、一つだけ、けっこう破滅的な欠点がある。
「ほんとに、大丈夫ですか? わたし的には、その……がんばってはみたのですが」
大丈夫、食べれるよ――あたしは心の中で呟いた――すくなくとも、死にはしない。まだ、これくらいなら。
パパが困惑しているのは、塩気の薄いポトフと、シャキシャキと芯が残っているベイクドポテトだ。
パパの稼ぎは悪くない方なので、メゾネットタイプのマンションには立派なダイニングキッチンがある。テーブルは浅葱さんの好みで無垢のパイン材だ。ナイフやお皿もアンチークな感じで、料理もシンプルで素朴な物が多かった。
ま、それは単に浅葱さんの美的感覚だ。
美的感覚と味覚は必ずしも一致するわけではない。これは覚えておくべき事実だ。
「わたしはあまり、家庭料理とか知らなくて……この頃はずいぶんよくなってきたと、思っているんですけど……その顔はそうでもないってことですね」
「いや、そんなことはない。君の料理はよくなってる」
慌て気味にパパが言ったので、浅葱さんは真実を悟ってしまった。男の人ってこういうとこ、とても不器用だ。
浅葱さんが複雑な家庭に育ったということはパパから聞いている。
――だからといって特別、気を使う必要はない。彼女はありのままが素敵だし、おまえもありのままでないと、一緒に長くは暮らせない。
と、そんな風にパパは言っていた。
複雑な家庭っていうのがどんな意味なのかは話してはくれなかった。
そのうち浅葱さんが話してくれる、といっただけだ。ずっと聞いてみたいと思っているんだけど、まだ、その勇気は出ないでいる。
浅葱さんに聞いた話だけれど、あたしの気持ちを考えたパパは、ずいぶんと長い間、中途半端な関係を続けていたんだそうだ。あたしはべつにパパのしていることに興味なんかはないんだけど。
「塩が必要ですね……取ってきます」
もう、一緒に暮らして一年にもなるのに、家でも、パパと浅葱さんは上司と部下の関係だ。もしかしたらあたしのせいかな? て思う時もある。
きっと、あたしの前で恋人気取りにいちゃいちゃすることなんかできないって、そう思ってるんだろうと思う。
なんだか申しわけない。なるべく早い段階でひとり暮らしをしたいとは思ってるけれど――。
でも、もし妹か弟ができたら――一緒に暮らしたいな――兄弟姉妹ってなんかうらやましいと思っていた。
恥ずかしそうにテーブルへ戻ってきた浅葱さんと、目を合わせて、あたしは微笑んだ。
「料理は、あたしも手伝うよ。時間がある時はお洗濯もできるし」
なるべく、自分の物は自分で洗うようにしている。浅葱さんに負担をかけたくないから、それならついでに、パパや浅葱さんの分も洗濯したっていい。見られたくない物があったらいけないと思って、遠慮をしていただけだ。
「でも初花 ちゃんは受験生だし――」
あたしの志望校は、余裕の安全率をもって合格圏だ。とりたててなにか努力をしないといけないことはない。部活も実際には引退しているので、誘われて時々、様子を見にいくだけだ。
コミュ症気味なので、誘ってくれる友達も数えるほどしかいない。声をかけてくれるのは部活で一緒だったよりこちゃんくらいだ。
時間だけはたっぷりあるので、あたしの人生はすでに浅葱さんを中心に回っている。
「お手伝いできるよ、あたし。だから浅葱さんは、もっとどーんとかまえてて」
その言葉を聞いて、感じやすい浅葱さんは涙ぐんでいた。
少しの沈黙の間に、セキセンインコのみーちゃんが脈絡なく『オカエリナサイ』といった、変な声だけど、たぶんあたしの真似だ。
みーちゃんは、浅葱さんが大事にしているインコだった。浅葱さんと一緒に家へやってきて、いまは浅葱さんよりあたしになついている。
普段はダイニングの壁際に置いたカゴへ入っているのだけれど、放すと肩に止まって耳をくすぐるのだ。
人懐っこくてよくテレビのお笑い番組の真似をしていた。
ひとしきり、ほっとするような笑いがあって、パパは浅葱さんの手を握った。その様子を見て、あたしはなんだか胸が痛かった。
たぶんあたしは、パパと浅葱さんの両方に、嫉妬していた。