まあ、カン違いだよね
部屋に戻り、今日の出来事を話すと、くりくりお目々の黒い小猫は、子供が知ったかぶりをするようにもったいぶって言った。
『確かに、そういう心の病気ってあるよね。友達にも何人かいるよ』
ケットシーは、ネット上で無料配布されているおしゃべりソフトだ。
携帯端末にインストールすると、画面に現れた黒い子猫が、いつでも、おしゃべりの相手になってくれる。グーグルのSiriとかに似てるけれど、ケットシーは実用の役には立たない。ただお話をして、一緒に泣いたり、喜んだりしてくれるだけだ。
ほとんど人間と話すのと変わりないほど、自然な会話が可能なのだけれど、会話以上のことはなにもしない。予約も取ってはくれないし、検索結果も表示しない。今日の予定を思い出させてくれたりもしない。
親しくなると忘れ物を教えてくれたりはするけど、気まぐれなので当てにするのは間違いだ。
古いソフトなので、世界中で、びっくりするくらいたくさんの人が利用している。公開されてから、もう十五年にもなるって聞いた。
もしかしたら人類の半数は、すでにケットシーの友達なのかもしれない。
だとしたら、あたしなんか星の数の中のひとつだ。
「たとえばどんな友達?」
『ともだちというか……そうだね、「集団ストーカー被害妄想」っていう病気があるよね』
「どんな病気?」
『まあ、カン違いだよね。 誰か悪意をもった人たちが、集団で監視したり、嫌がらせをしたりしているって思いこむ』
「浅葱さんはそんなんじゃないよ」
あたしのむっとした声に、黒い子猫は片眉を上げて答えた。
『たとえばの話だよ。きみのお母さんがそうだと言ってるわけじゃない』
「……え、まだお母さんじゃ……ないけど」
『赤くならなくていいし、にやけるのもキモい。結婚するのは君じゃなくて、君の父親だ』
「……そうだけど」
『いちかはあさぎさんが好きなの?』
あたしは頬や耳が熱くなるのを感じて、枕に顔をうずめた。
『ふーんよかったね、教えてあげるけど、どの家庭でも新しい母親とうまくいくわけじゃないよ。憎んだり虐待されたりってこともある』
「そういうお友達もいるの?」
ケットシーはちょっとだけ寂し気に顔を曇らせた。ただの疑似人格、よく出来ているかも知れないけれどみんなが使ってるアプリだということを、あたしは時々、忘れそうになる。
『そうだね、でもぼくに出来るのはお話を聞いてあげることだけ。だから忘れないで、いちか。決めるのはいつでも君たち自身だ。たとえどんなに辛くても、醜い現実だったとしても、ぼくと違って、きみたちは自分自身で選ぶことができる』
「な、なに急に? なにが言いたいの?」
『きみは分かってるはずだけどね……まあ、いいよ、まだ時間はある。この話はまた今度。お母さんが呼んでるよ』
夕食の準備ができたみたいだった。階下で浅葱さんの呼ぶ声がした。今日は珍しくパパが早く帰っている。浅葱さんの声が、すこし弾んでいるような気がした。