とっても壊れやすくて、ややこしくて
『で、きみはいったい誰を疑うの?』
おもしろくもなさそうに口をとがらせてケットシーは言った。
落ち着いたら浅葱さんは会社に行ったけれど、あたしはなんとなくタイミングを逃したので学校をサボることにした。いまは家のリビングでケットシーと二人きりだ。盗聴とか、撮影とかはストーカーの常とう手段らしいけれど、あたしはべつに隠すことなんかなにもない。
「そうだね、名探偵ならきっとお母さんが死んだ時のことを調べるかな」
『パパさんが、怪しいと思ってるの?』
「そうじゃないよ。消去法。名探偵はありえない線をぜんぶ消去していくんでしょ。最後に残った可能性は、どんなに信じがたいことでも真実だって――」
『読んだ本に書いてあったの?』
「まあ、そうだけど……」
『きみの本当の母親が亡くなった理由は病気だよね』
「癌だって聞いたけど」
『じゃ、そこに陰謀はないね』
「それもそうか」
そもそも、パパには動機がない。若い女性を口説き落とし、支配した上に、精神的に追いつめて傷つける。もしそれ自体が喜びなのだしたら、もう完全にサイコパスだ。でも、可能性を完全に打ち消すには少し弱い。
材料がそろうまで保留ってとこかな。
「じゃあ、もし浅葱さん自身だとしたら、浅葱さんは自分のしたことを知らないってことになるよ。それってありえるのかな?」
『きみたち人間の心は不可解だからね――』黒い子猫は人間みたいに腕組をして、ふーん、と考え込んでみせる。『可能性はゼロではないよ、たとえばこんな話がある――「解離性同一性障害」っていうんだ』
ケットシーが話してくれたのは、ビリーミリガンという、昔、アメリカに住んでいた男の人の話だ。
その人は子供のころの虐待が原因で、自分を守る為、頭の中にたくさんの人格が生まれた。
ビリーミリガン本人は、体のコントロールを手にすると自殺しようとするので、他の人格たちが心の奥に押し込めていた。
ある人格は知的で人当たりがよく、ある人格は性別さえ違ってて家庭的、ある者は怪力の持ち主で、ある者は、強姦や強盗などのあきらかな犯罪傾向があった。
他の人格たちはお互いのしていることを知っていたけれど、ビリーミリガン自身はどうして自分の時間が時々失われているのかを知らなかった。
「――まさか、そんな。テレビドラマじゃないんだから」
『もちろん、たとえばの話だよ。あさぎさんがそうだと言ってるわけじゃない。きみはなにかあさぎさんの様子で心当たりがあるかい?』
「ないよ、そんなの。あるわけないじゃない」
あたしは一人でいる時の、すこし寂しげに目を伏せた浅葱さんの様子を思い出した。もし、これまでの浅葱さんの人生が耐えられないほどつらい物だったなら、もしかしたら浅葱さんはずっと小さな子供の頃から、誰かの助けを必要としていたのかもしれない。
「違うよケットシー。それじゃあ矛盾してる。そういう人格は自分を守る為に生まれるんだから、自分自身を傷つけたら意味がないじゃない」
『もしかしたら、自分を守る為にそうしているのかも』
「――浅葱さんが、ほんとうは一人きりでいることを望んでるってこと?」
――そんな、それじゃあ、あたしはどうすれば――。
『まだあさぎさんがそういう病気だと決まったわけじゃないけどね』
「そ、そうだよ。まだ、結論には早すぎるよ」
黒い子猫は、小さな画面の中で見透かすようにじっとあたしを見つめていた。じっさいにあたしを見ているのはスマートフォンのカメラだけれど、あたしはなんだか落ち着かなくなって目をそらしてしまった。
『ねぇ、いちか。きみはもう本当はなにもかも分かってるんじゃないの?』
「……わからないよ。だって、どれも信じたくない」
『やれやれ……ぼくは君たち人間がとても大好きで、いつでも力になりたいと思ってるんだけど。君たちはとっても壊れやすくて、ややこしくて、ぼくにはわけがわからないよ』
「……ご愁傷さま」
ケットシーため息をついたけれど、あたしはケットシーが友達でいてくれてよかった。もし一人だけなら、どうしたらいいのかぜんぜんわからなかった。




