エピローグ ~お昼ごはんも~
「まーちゃん!」
甲高い声が田んぼに響き渡る。
「すーちゃん!」
田植え機ではできない隅の方に苗を植えていた舞が、泥だらけの手を大きく振った。
「すーもたうえやるー!」
「おいでー!」
数が舞へ向かって走り出す。
進むたび、赤い長靴がぽこぽこと音を鳴らした。
「すう!まーちゃんの言うことききなさいよ!」
杏が持ってきた敷物を広げながら数に呼び掛けた。
「わかってるって!」
数が立ち止まり、こちらを振り返ってぴょこっと跳び跳ねて見せ、すぐにまた舞へ走り出した。
「すっかり農家の娘って感じだな」
僕は大きなパラソルを立てながら、農作業に適した格好の舞に苦笑する。
「ねー、高校もあっという間に辞めちゃった時はまた数雪さんと離れて暮らすことになるかと思ったけど」
妊娠が発覚した元日から数が産まれるまで、杏は実家で暮らした。
僕も一緒に実家で暮らしたらどうかと杏の両親や祖父母も提案してくれたが、杏が絶対に駄目だ、と許さなかった。
きっと舞のためだと僕も分かっていたから、その間、お互いの家に行き来する通い婚が続いた。
舞は結局、妊娠発覚の元日から数日後に手首を切ろうとした。理由はまだ誰も知らない。
たまたま舞の部屋をノックもせずに開けたおばあさんが必死で止め、出勤前の杏が駆けつけて切らずにすんだ。
しかし、暴れる舞を押さえていた杏は腹痛と共に不正出血し、すぐに救急車を呼んだおばあさんに付き添われ産婦人科へ運び込まれた。
幸いしばらく点滴と安静だけでよく、僕が病院へ着く頃には病室のベッドで杏は鼻歌を歌いながら指で狐や犬などをつくって遊んでいた。
舞は杏の妊娠をその時知り、しばらく塾も休んで落ち込んでいたが、それからはぱったりと夜に出て行くことはなくなったと杏が言った。
その後、舞は志望校に受かったが、すぐに辞めてしまう。
引きこもることになると思っていた山原一家だが、舞は何を思ったのか祖父母がやっている農業を手伝い始めた。
それまでは一切、関わったことがないそうで続かないかもしれない、と杏はぼやいていたが、二十歳になった今も舞はこうして田んぼや畑の世話をしている。
「よっし、僕もちょっと手伝ってくる」
うでまくりし、持ってきた長靴に履き替えた。
「数雪さん、腰、痛めないでね。若くないんだから」
ウシシシ、といやらしく杏が笑う。
「はいはい」
青空の下、娘と舞とで田んぼの空いた所に苗を植えてゆく。
沈む泥の感触、跳ねる水音、土の匂い、楽しそうな話し声。
心地よい疲れが、穏やかだけどちゃんと時間が進んでいることを知らせた。
「そろそろお昼ごはんにしてくださーい!」
白いワンピースを風にはためかせ、お腹の中の命と手を振る愛しい人。
「おかーさーん!お昼ごはん、なあーにー!」
「こっちに来てのお楽しみだよー!」
「おとーさーん、はやくはやく、おかあさんとこもどろ!まーちゃんも!」
「おにーさん、行こ。お腹ぺこぺこだし」
「ああ、お昼ごはん食べよう」
太陽の光に田んぼの水面が反射し、僕は泥だらけの手で額にひさしを作った。
タオルを広げ、走って来る数を待ちかまえる杏。
優しく微笑み後に続く舞。
パラソルがそよ風を受けて裾を揺らす。
何一つとして忘れずに今を過ごそう。
ここがまだ地獄だとしても、みんなでお昼ごはんを食べよう。
「おとーさーん!」
三人娘が僕に笑いながら手招きをしていた。
〈おわり〉




