姑獲鳥(5)~孤独なランナー~
翔良と三月はベンチに座り、やはり何をするでもなく空を眺めていた。
空を眺め始めて30分は過ぎている。
道行く人々は2人を不思議そうに眺めては通り過ぎていく。
「・・・・・・少し暖かくなってきたな」
「そうだね」
再び沈黙が訪れる。
思い出したかのように翔良は三月に尋ねる。
「そういえばあの林檎どうしてるんだ?」
「どうしてるって?」
「どこから持ってきてるかって話」
「学校に生ってるのを盗んできてる」
「林檎の木のある小学校・・・・・・飯島小学校ではないか」
「そういえばどこの小学校か教えてなかったね。
私立絵空学園ってところなんだけど」
「絵空?・・・・・・隣町じゃないか。
何しにこんな所に」
「だからお兄さんと喋りに来たんだって」
三月は少し苛立った声で吐き捨てた。
そして、小声で
「恥ずかしいから言わせないで」
と、付け足した。
翔良は三月に機嫌直しの提案をする。
「今日は何になさいますか、お嬢様」
「コーヒー」
翔良は無言で自販機に向かう。
そこでコーヒーを2本買った。
三月はコーヒーの味を指定しなかった。
翔良はそこで2本のブラックコーヒーを買って行って困らせてやろうというほんの少しの悪戯を仕掛ける事にした。
三月が更にいじける姿を想像して、翔良は満面の笑みを隠すためにほとんど強引に能面のような表情を作り上げた。
その表情を保ったまま翔良はベンチへと戻った。
「・・・・・・あれ?」
そこに三月はいなかった。
どこかに隠れて驚かそうとしているのだろうか?
そう考えた翔良は無関心を装いベンチに深々と腰かけた。
そこで自分の分のコーヒーを開けてちびちびと飲み始めた。
しかし、いくら待てども三月は姿を見せなかった。
彼女といつも別れる時間、6時になっても三月は姿を見せなかった。
翔良がコーヒーを飲み終えても三月は姿を見せなかった。
三月の分のコーヒーがすっかり冷めてしまっても三月は姿を見せなかった。
翔良の不安が頂点に達したその時、電話が鳴った。
急いで電話に出る。
三月の声を期待した。
彼女が電話を耳に当てながらもう何度も探した茂みから出てくる事を期待した。
電話の相手は耕治だった。
「どういう事だよ!?」
翔良は自分の地下帝国の入り口の1つ、第一理科室内で立っていた耕治に理不尽な怒りをぶつけた。
怒りの矛先を向けられた耕治もむっとして反論する。
「どうもこうもないさ。
前にも言ったろ?この辺りに写真の天才の知り合いはいないって」
翔良は耕治の言葉が終わらない内に彼の携帯を取り上げた。
画面にはジャージ姿の子供を連れ去る大きな鳥の不鮮明な画像が写っていた。
子供と表現したのには理由がある。
写っている子供は背を向けていて顔も分からず、髪の長さも男とも女とも取れる適当な長さだったからである。
翔良の知り合いには未だに連絡が取れず、その特徴が完全に一致する人物が1人だけいた。
「あの野郎・・・・・・関係ない三月を」
「落ち着けよ。相手は妖怪だぜ?
たまたまお前の知り合いが掴まっただけだって」
「そうじゃない!!」
一際大きな声で翔良は叫んだ。
廊下の方から聞こえていた男子生徒数人の話し声がピタリと止んだ。
そして、それからすぐに複数の足音がそこから遠ざかって行った。
足音が完全に聞こえなくなったのを確認した翔良は耕治に尋ねた。
「姑獲鳥はどこだ?」
耕治は答えない。
「どこだ!!」
「・・・・・・少し離れたところにある廃工場。裏山とは反対方向の」
翔良は地下帝国に下り、一丁のリボルバー、コルトSAAを手にして再び地上に戻った。
それを内ポケットに入れて第一理科室の戸に手をかけた。
耕治が慌てて翔良を止める。
「待てって。1人で行くつもり?
もう少し待てば龍樹達が来るし、ここから廃工場まで自転車で30分はかかる。
学校だって車くらいなら出してくれるんだ、もう少し待てって」
「生憎だが、俺は自転車を持ってない。
走れば・・・・・・1時間弱か」
翔良はそれだけ言って第一理科室の戸を開けた。
今井翔良はひたすらに走った。
こんなに走ったのは何年ぶりだろうかと考える。
両親と1人の兄を交通事故で失った6年前の夜、家族が搬送されていた病院に向かって走った時以来だろうと勝手に結論付けた。
しかし、今回のマラソンはあの時の走行距離の比ではない。
何故こんなにも長い距離を必死に走っている?
ひたすらに自問したが答えは出なかった。
三月に情が芽生えたから。
同じNⅤだから。
三月と過ごす時間が大切なものだから。
彼女が成長し、飯島高校に入ったらその時は自分の地下帝国を彼女に譲ろうと思っていたから。
三月の笑顔が見たかったから。
自分には兄しかいなかったので歳の離れた生意気な少女は妹のように思えて、守らなければならないという使命感を感じたから。
どの答えも正解でも不正解でもない空虚なものに感じられた。
翔良は大通りを抜け、狭い道を走る。
途中で転びもしたが、すぐに起き上がった。
しかし、また転ぶ。
運動不足がこんなところで祟るとは彼自身思いもしなかっただろう。
転んでは起き上がるのを何度も繰り返して翔良の制服は随分とみすぼらしくなった。
それでも彼は走り続けた。
「こんばんは、ラニングマン。
待ってたわよ」
姑獲鳥が汚いものでも見るかのような冷たい視線を浴びせながら翔良に言い放つ。
事実、今の翔良の格好は汚いものの部類に属することは間違いない。
翔良は返事もせずにSAAを姑獲鳥の身体に照準を合わせた。
姑獲鳥は両の足をコンテナに着け、数メートル上から翔良を見下ろしている。
辺りには姑獲鳥のいる場所以外にも所狭しとコンテナが積み上げられている。
その端々からあざけるような動物じみた笑い声が聞こえる。
敵の数は多い。
しかし、廃工場には十分な光は入ってこず、敵の正確な数や姿かたちは把握できない。
「こいつの、威力は、良く、知ってる、だろう?」
途切れ途切れの言葉を必死に紡ぐ。
「ああ、知ってる。
私の子供の命を奪った銃の事でしょ?」
姑獲鳥はSAAを見て目を細める。
大抵の妖怪はその古びた銃の恐ろしさを知らずに油断するが、姑獲鳥はその効果を知ってる上で余裕を見せている。
「撃ってみる?それで私を殺せたらだけど」
「撃ってやるさ・・・・・・三月の、為に」
SAAのハンマーは既に下りていた。
あとは引き金を引くのみ。
翔良が引き金を引いたのと同時に姑獲鳥が鳴いた。
それは野生動物が仲間を呼ぶ時の様な高い音で構成された声だった。
姑獲鳥そっくりの姿のそれでいて少し小さめの鳥の妖怪が姑獲鳥の前に立ちふさがった。
Fake sixは小さな鳥を1匹撃ち落としただけで活動を終えた。
「無駄無駄。
私の子供を殺した時にその銃の効果はばっちり見せてもらったわ。
その銃は必ずしも狙った標的に当たるわけじゃない。そうでしょ?」
姑獲鳥の言う事は事実だった。
Fake sixは近くに存在する核に反応する。
よって姑獲鳥の核ではなく前面に割り込んだ鳥の妖怪の方に銃弾は反応したのだ。
2発目のFake sixを発射しようと翔良はハンマーに手をかけた。
しかし、焦ってSAAを取り落してしまった。
姑獲鳥は銀の翼を広げ、翔良の前に降り立った。
そして、左足でSAAを蹴り飛ばした。
危険がなくなったのを察知して隠れていた妖怪たちもぞろぞろとコンテナの陰から姿を現した。
翔良の推測ではここに集まっている妖怪は全て姑獲鳥の仲間だと思っていた。
その推測は外れていた。
現れたのは全て姑獲鳥の子供たちだった。
姑獲鳥は決して子を産む妖怪ではない。
そもそもほとんどの妖怪が生殖行為に従事する事はない。
一部の妖怪にはそうやって子孫を残していくものもあるが、ほとんどの妖怪は特殊な方法で仲間を増やす。
この姑獲鳥の姿そっくりの妖怪の作り方は簡単だ。
妖怪の中には近くにいるだけで人体に悪影響を及ぼすものがいる。
ほとんどの妖怪はその毒素を知らず知らずの内に周囲に放出している。
姑獲鳥の毒の効果は変身と洗脳だった。
町から捕えてきた人間の子供と姑獲鳥を数日、一緒の場所で過ごさせるだけで子供は姑獲鳥そっくりの姿に変身し、姑獲鳥の忠実な部下であり子供になる。
ここに集まっている妖怪こそ近辺で起きていた連続誘拐事件の被害者である子供たちだ。
「貴方と・・・・・・あと2人。
それで私の復讐は終わる。
安心しなさい、すぐに2人もそっちに送ってあげるから」
姑獲鳥はそう言って口を大きく開けた。
鋭い嘴が翔良に迫る。
翔良は死に直面しながらも笑っていた。
翔良の隠した右手には破片手榴弾が握られている。
ピンさえ抜けば姑獲鳥の身体は爆風で吹き飛ばされ破片に貫かれる。
親の存在をなくした子供たちは烏合の衆に過ぎない。
後は飯島高校NⅤ、或いは賞金稼ぎが何とかしてくれる。
どちらにせよ自分の命は逆上した子供たちによって絶たれるだろう。
「・・・・・・それ以前に手榴弾で俺は死んでるか」
そう呟き翔良は笑い声を発した。
翔良の額が嘴で切り裂かれる。
血が垂れ流され、翔良の意識は消えかけている。
姑獲鳥は倒れ込んだ翔良の背中にまで啄んだ。
口に残る翔良の血肉を姑獲鳥は吐き捨てる。
「せめて・・・・・・三月だけでも生き残ってくれりゃな」
諦めたように翔良は呟き、咳き込んだ。
真っ赤な咳だった。
翔良が手榴弾のピンを抜こうとしたその時。
姑獲鳥の腹部に大きな風穴が開いた。
「え・・・・・・?」
2発、3発と続けざまに銃声が響いた。
それと同時に傍にいた姑獲鳥の子供2匹の頭が潰れた。
「何!?一体、何が!?」
姑獲鳥の挑発的な態度は一瞬にして崩れ去った。
姑獲鳥は周囲を見渡す。
この暗い廃工場という状況を考えれば暗視ゴーグルを着けた人間がいるに違いない。
そう姑獲鳥は確信し、うらめしく感じた。
しかし、見つかったのは意外にも同族だった。
「よう、流華・・・・・・そいつの使い心地・・・・・・どうだ?」
「最っ高!!」
流華は2丁のリボルバー、M29を手にして笑みを浮かべた。
M29・・・・・・現存する拳銃の中で最も威力の高いものとして知られている。
そんな巨大な拳銃を2丁拳銃として使えるのは吸血鬼の筋力を以てして初めてなせる業であろう。
翔良は流華の表情を確認せずとも、満面の笑みを浮かべ、得意げにM29を手にしている彼女の姿が容易に想像できた。