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セミ時雨

作者: 西瓜めろん(にしうり めろん)
掲載日:2026/08/19

 毎年夏になると、やかましいくらいに鳴いていたセミの声が絶えて12年。住む人もなく荒れ果てたこの地に、再びセミの鳴き声が響いたのは、原子力発電所の事故から13年目、人々が静かな夏に慣れた頃のことだった。

 発電所から半径二十キロ圏外の避難指示区域の指定は解除されたが、範囲が縮小されたとはいえ放射線量が高い帰還困難区域と居住制限区域は、まだ立ち入りを禁止され、住民の避難生活は続いていた。

 そんな不便な生活を余儀なくされた住民の不安を一層かきたてる出来事が近頃起こり始めた。

 触腕を含め全長五メートルを越える巨大イカが頻繁に砂浜に打ち上げられた。

 傘の直径が二メートル以上にもなる巨大クラゲが大量に発生して、海面を埋め尽くし、船の航行を妨げた。

 立ち入り制限区域である原子力発電所の近海に、毎夜あやしげな青白い光が煌(きら)めいているのを、海岸を望む山から何人もの人が目撃した。

 こうした情報が、地元の住民から警察署や市役所などに寄せられた。

 この件に関して政府の対応は、素早やかった。放射線生物研究所が、政府から委託されて調査に乗り出した。

 生物の異変と原子力発電所から漏れ出た放射性物質との関連に、世間の目が向く前に調査結果が公表された。

「巨大イカは、もともと深海に住むダイオウイカが、海水温の上昇やえさの減少などによって海面付近にまで上ってきたものである。 巨大クラゲは、エチゼンクラゲが大発生したもので、例年この時期に見られることで異常なことではない。

 海中から発せられる光については、夜間の除線作業のために点灯している照明が海面に反射したものである。

 これらの異変と放射線との直接的な関連は認められない」と、原発と異変との関連を否定する内容だった。

 国民の多くは、この公式発表を半信半疑ながらも受け入れた。しかし真実は、これとは全く異なるものだった。

 政府は真実を隠して事態の収拾をはかったのだ。漁業関係者を除いて、多くの人々は、海の異変と生活と直接関わりがなかったため、他人事として関心を引かなかったことも政府関係者にとっては好都合だった。

 だが、この調査報告について、ただ一人異議を唱える者がいた。放射線生物研究所の若き研究員柳田行雄だ。

「所長、どうして国民に真実を知らせないんですか」

「真実を知らせてどうなる。国民の不安を煽るだけだ。必ずしも真実を知ることがいいとは限らない。知らない方がいいこともある。今回のケースでは後者を選択した。それに、真実を公表すれば反原発運動家たちに格好の宣伝材料を与えることになる」

 所長に直談判しても取り合ってもらえなかった。政府と研究所の方針にどうしても納得がいかない柳田は、生物の異変について独自に調査を進めることにした。


 夏休みのある日、ラジオ体操を終えて、家に帰っていたまさるは、数羽のカラスが路上に集まっているのを見た。

「なんだろう?」

 不審に思い、こわごわ近づいて行くと、人間を警戒したカラスたちが、一斉に飛び立った。

 その後に、白い布のかたまりのような物が残されていた。近寄ってよく見ると、それは白い色をしたカラスだった。

「カラス…?おまえ、いじめられてたのか?」

 白いカラスは、他のカラスにつつかれてけがをしていた。まさるは、傷ついてぐったりした白いカラスを家に連れて帰った。

 母に相談して、白いカラスを動物病院に連れて行った。

 まさるは、白いカラスを「しろちゃん」と名付け世話をした。医師による手当とまさるの看病の甲斐があってしろちゃんは、次第に回復していった。そんなある日の夕方。

「まさる、ごはんよ」

 鳥かごに餌を補充して、水を取り替えていたとき、まさるの母が言った。

「はーい。今いきまーす」

 まさるが鳥かごの扉を閉じて、部屋から出ようとしたとき、

「マサル、ゴハンヨ」と、まさるの背後から母の口まねが聞こえた。声の出所を確かめようと振り返ると、

「マサル、ゴハンヨ。マサル、ゴハンヨ」と、しろちゃんがしゃべっていた。

「しろちゃん、しゃべれるんだ!すごいなあ。おかあさーん、しろちゃんがしゃべったよー」

 驚きとうれしさでまさるは、急いで母に知らせに行った。

 しろちゃんは、はじめは片言だったが、まさるが教える言葉をどんどん覚えていった。

 やがて、日常会話ができるようになった。どうやら、しろちゃんの知能はそうとう高いようだった。

 そのうちに、近所でしゃべる白いカラスがいると評判になった。


 そんなある日、一人の男が、まさるの家を訪ねてきた。

「ごめんください」

「はーい」

 中から、三十代くらいの女性が出てきた。おそらく、少年の母であろうと男は思った。

「こちら立花さんのお宅ですか」

「はい、そうですが」

「わたしは、放射線生物研究所の柳田といいます」

 柳田は、名詞を差し出した。

「何のご用でしょうか?」

 まさるの母はいぶかしげな顔でたずねた。

「こちらに言葉をしゃべる白いカラスがいると聞いたもので」

「ああ、しろちゃんのこと」

「本当に言葉をしゃべるんでしょうか」

「ええ、それはよくしゃべりますよ。まるで人と話してるみたいに」

「是非、拝見させていただけないでしょうか」

「それは・・・。息子に聞いてみないと」

「息子さんは・・・?」

「今ちょっと近所まで出かけていますが。もうじき帰って来るとは思います」

 ちょうどそこへまさるが帰ってきた。

「あっ、帰ってきた」

「ただいま・・・。いらっしゃい」

 まさるは、玄関に立っている柳田の方をちらっと見て挨拶をした。靴を脱いで家に上がろうとしたまさるを母が呼び止めた。

「まさる、ちょっと」

「なに、母さん」

「こちら、ええっと…」

 母は、柳田から渡された名刺を見ながら言った。

「こちら、柳田行雄さんて放射線、生物、研究所の方で、しろちゃんを見たいんですって」

「放射線、生物、研究所」

 しばらく頭の中で「放射線生物研究所」という言葉を反すうして、まさるが強い調子で言った。

「いやだ!しろちゃんを実験台にして解剖するんだろう」

「そんなことは、しないよ。ちょっと見せてもらうだけでいいんだ」

「信用できない。そう言って油断させて、しろちゃんを連れて行っちゃうんだろう。帰れ!帰れ!」

「待ってくれ。話だけでも聞かせてくれないか」

 まさるは、柳田を玄関から押し出し、ドアに鍵を掛けた。

 柳田は、また出直してくると言って帰っていった。

 部屋に入ったまさるは、しろちゃんに今の事を話した。

「今、放射線生物研究所の人がしろちゃんを見たいって来たんだけど、追い返してやったよ」

「ぼくを見たいって?」

「しろちゃんが白くなったのと、こんなにしゃべれるようになったことに放射線が関係しているのかな?」

「ぼくの巣は、発電所のすぐ近くにあった。ぼくは事故の後に卵から孵化したんだ。ぼくの体は生まれた時から白かった。放射線の影響をうけたからかもしれない。だからといって、今のところ体に不具合はない。人間にあれこれ調べられるのはごめんだ」

「追い返して正解だったね」

「そういうことだね」

 その後も柳田は、せめて話だけでも聞かせてほしいと何度も立花家をたずねてきた。

 はじめのうち、まさるは柳田とろくに話もしないで追い返していた。だが、柳田の熱意に負けたのと、柳田が思ったほど悪い人物ではないと思えるようになったので、会って話をすることにした。

 実際に柳田と話をしてみると、予想どおり誠実な人柄だった。柳田は、研究所の指示で動いているのではなく、独自に放射線の影響を調べているということだった。原発事故でもれた放射線によって生物に異変が生じて、人間の生活が脅かされる危険があるかもしれないと考えているのだ。

 しろちゃんの生い立ちを説明したところ、しろちゃんの体色の変化と知能の発達は、やはり放射線の影響によるものではないかということだった。詳しいことは研究室で検査しないと分からないそうだが、まさるは、しろちゃんを実験台にされるのはいやだと思った。柳田も無理に検査を勧めることはしなかった。その代わり、しろちゃんの体調に異常がないか時々様子を見に来るということになった。


 それから数日後の夕方のこと。その日に限ってカラスがカーカーうるさく鳴いていた。

「今日はやけにカラスが騒いでいるね、しろちゃん。なにかあったのかな」

「よく聞き取りにくいんだ。まさる、窓を開けてくれないか」

 まさるが窓を開けると、カラスの群れが西の空に飛んで行くのが見えた。カラスはカーカーと仲間同士で何か話しているようだった。

 しろちゃんは、しばらく耳をすませてカラスの鳴き声を聞いていた。

「住みかが壊された。やつらのせいだ。やつらが来るぞ。やつらにはかなわない。逃げろ。逃げろ。って言っているよ」

「やつらって、誰だろう。人間かな?」

「どうかなあ・・・。よく分からない?」

 

 次の日の朝。

「シャーシャーシャーシャー・・・」

 東の空が白んできたころ、聞き慣れないセミの大合唱が町中に響き渡った。

 夜明けとともにセミの声はどんどん町に近づいてきた。

 そのときになって初めて、人々はセミの鳴き声が普通のものと違うことに気づいた。セミの声があまりにも大きすぎるのだ。だが、遅すぎた。すでに町に危険が迫っていた。

 セミの鳴き声で家の窓ガラスが激しく振動した。地震が起きたのかと思い、まさるはベットがら飛び起きた。

 その直後、「パキパキパキッ」とガラスにひびがはいり、「ガチャーン」部屋中の窓ガラスが粉々に砕け散った。

「キャー」

 まさるは、散乱したガラス片を避けながら悲鳴が聞こえた台所へ向かった。

 母が、床にへたり込んでいた。

「母さん、大丈夫。けがはない」

「ええ、だ、大丈夫」

 まさるは、母の手を取り立ち上がらせた。

「外に出た方がよさそうだね。ちょっと待ってて」

 まさるは、部屋に戻った。ガラスが割れた窓から、ますます大きなセミの鳴き声が聞こえてくる。それは、頭が割れんばかりの轟音となって響き渡った。

「この大きな音は、何なんだ?頭が割れそうだよ」

 しろちゃんも、異常な騒音に音を上げているようだ。

「セミの鳴き声だよ。原発事故の後、この辺りでは聞いたことがなかったけど・・・」

 まさるは、しろちゃんの鳥かごに毛布をかぶせ、自分はヘッドホンを耳に当てた。

「これで少しはましになるだろう」

 それから、鳥かごを抱え、母と家から出た。

 通りには、他にも壊れた家から避難した人たちがいた。行くあてなどなかったが、とにかくセミの鳴き声から遠ざかるように人々は移動した。

 セミたちは13年間、立ち入り禁止区域の土の下で人知れず成長し、次々と羽化したのだ。放射線の影響で、セミの体長は通常の10数倍、1メートル前後にまで巨大化していた。

 巨大セミたちの食欲は旺盛だった。やつらの生まれた土地の食料は、すぐに尽きてしまった。

 やつらは食料となる樹液を求めて集団で移動を開始したのだ。

 やつらの集団移動によって、山の緑が見る間に茶色に変色していった。街では、樹液をすわれた街路樹が次々と枯れていった。まるでバッタが稲を食らいつくすかのように、やつらの通った後には枯れ果てた木しか残っていなかった。 

 被害はどんどん拡がっていった。巨大セミの鳴き声でビルの窓ガラスが粉砕し、歩道を歩く人に雹(ひょう)のように降り注いだ。

 商店のドアやショーケースのガラスも割れた。

 走行中の自動車の窓ガラスもひび割れた。走行不能となった車が路上に放置され、交通渋滞となった。逃げまどう人々で街はパニックに陥った。

 鳴き声による被害ばかりでなく停電まで引き起こされた。枯れた街路樹が倒れ、数カ所で電線が切れてしまったのだ。信号が消えてあちこちで事故が発生した。


 夜になって、巨大セミの鳴き声がパタリとやんだ。

 家に戻ってきたまさるは夜遅くまで、床に散乱したガラス片の片付けに追われた。割れた窓には、ビニルシートや段ボールで間に合わせの修理をした。


 翌日、巨大セミの鳴き声は小さくなっていた。まさるの家から離れたところに移動したようだ。昨日のように鳴き声に悩まされることはなくなった。

 巨大セミの被害を受けて、国民の不安を解消するため政府から発表があった。

 セミが巨大化したのは、放射線被ばくによる遺伝子の異常が原因であるが、この放射線は13年前に漏れた放射線によるもので、現在は除線作業が進み、人体及び環境への影響はないという説明だった。ここまで事態が悪化してしまっては、政府も放射線との関連を認めざるを得なかった。

 セミは、餌を求めて移動を続けた。それに伴って被害地も移動していった。人々に取るべき有効な手立てはなかった。

 巨大セミは、放射線量が高くてむやみに近づけない。防護服に身をつつんだ作業員が、木にとまっている巨大セミを取ろうと網をもって近づくが、動きにくい防護服のため動作が遅くなり、逃げられてしまう。巨大セミは網のとどかない高い場所にとまったり、山の奥深くへと飛んでいったりしてしまった。

 これ以上の被害の拡大をくい止めるため、ついに自衛隊による大がかりな巨大セミ掃討作戦が開始された。住民を避難させ、山に移動した巨大セミにヘリコプターで殺虫剤を散布するものだった。

 だが、殺虫剤を逃れようと、四方八方へと飛んで逃げた巨大セミが、ヘリコプターと衝突し、墜落炎上した。火の手は山全体に広がり、大規模な山林火災となった。


 一ヶ月後、ようやく山火事は鎮火した。

 その後、巨大セミを目撃した、あるいは、鳴き声を聞いたという情報は一切なくなった。 政府は、すべての巨大セミは、殺虫剤と火災のために全滅したと発表した。

 山火事のあった地域全体が、危険ヶ所に指定され、立ち入り禁止となった。世間では、放射線量が高いからではないかと噂された。


 まさるが、しろちゃんの鳥かごの掃除をしているとき、久しぶりに柳田がやって来た。

「こんにちは」

「やあ、柳田さん、久しぶりですね」

「巨大セミ対策で忙しかったんでね」

「ニュースでは、巨大セミは全滅したって言ってたけど、何匹かは、生き残っていたみたいですね」

「何で、君がそんなことを知ってるんだ?」

「カラスたちが言ってましたよ」

「カラス?」

「そう、カラス。しろちゃんがカラスの会話を訳してくれたんです」

「しろちゃんが、まさるに教えたんだ。カラスたちは、住みかを奪われたって怒ってた」

 しろちゃんが、得意げに言った。

「そうか、しろちゃん、カラスだったな。カラスの言葉も分かるはずだ」

「山火事の後、巨大セミの目撃情報がまったくなかったのは、どうしてなんですか?」

「ここだけの話だけど、生き残った巨大セミは、数が少なくなったことと、人里離れた山奥に逃げたことで、人の目に触れることがなかったんだ。それに、セミの寿命は1~2週間位だったから、自然に死滅したんだよ。ぼくは、巨大セミがいなくなる前に、巨大化した理由を解明しようと血液サンプルを集めていたんだ」

「そうだったんですか」

「今回、この辺りも相当被害を受けたようだね」

「もう大変でしたよ。ガラスが全部割れちゃって」

「そうらしいね。巨大セミの被害にあった家は、どこもガラスがめちゃめちゃに割れてたよ」

「巨大セミは、来年も現れるんでしょうか」

「ぼくが調べた限りでは、巨大セミは、すべてオスだった。メスは一匹もいなかったんだ。その原因は分からないが、放射線の影響であることは、まず間違いないね」


 ここは、無人の廃墟と化したかつて放射線に汚染された地域。飼い主がいなくなり、放置された猫たちが餌を求めてごみをあさっている。

 すぐ側の草むらの中で光る二つの目。まさに獲物を狙うハンターの目だ。二つのカマがゆっくりと振り上げられた。草むらから飛び出したのは、体長2mもの巨大なカマキリだ。 カマキリは獲物に猛然と襲いかかった。しかし、いち早く危険を察知した猫たちは、一目散に逃げ出した。


 廃校になった中学校の体育館の天井から、直径10mほどもあろうかという巨大なハチの巣がぶらさがっている。巣の周りをブンブン羽音を響かせ飛んでいるのは、体長約30cmのスズメバチだ。


 巨大セミの脅威が去り、おだやかな日常を取り戻しつつあった人々の誰一人として、次の危険が間近に迫っていることに気づいていなかった。


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