不幸とは
門番隊長のカルは後悔していた。
顔を見れば明らかに疲れているのがわかるサシュマを一人で丘の上の教会へ向かわせてしまった事をだ。
サシュマを見送った後も、カルはしばらく丘の方を見ていた。
神のお告げがあったとかで向かったサシュマを心配していたのだ。
しかし1時間が過ぎようとする今もなお、サシュマは戻らずなんの音沙汰もない。
あそこから都へ戻るにはこの門を通るのが通常で、他に方法があるにしても律儀なサシュマがカルに声を掛けずに帰るとは思えなかった。
「…サンドラ、ちょっと俺、教会見て来るわ。」
危ないわよ、と止めるサンドラを無視して、カルは早足で教会へと向かった。
別の道で帰った。
それならそれで良い。
言い様のない不安が解消されて、酒場の笑い話にするだけである。
しかし、もし、あの光の柱を出した相手がそこにいて、サシュマと戦っているのなら…。
カルの仕事は街の防衛である。
この都の象徴とも言えるサシュマ。
多くの教え子がこの街にいる。
そんな彼を見殺しにするなど、門番の名が廃る。
カルはそう思って足を更に早める。
坂を登って行く途中、地面に黒焦げと肉片を見つけ不安が増した。
道に肉片。
明らかな異常事態だ。
「先生…大丈夫かよ。」
そう呟いたのと時同じくして、教会のある方から稲妻が炸裂する光が見えた。
これは巨人を退治したサシュマの魔法と同質の物だと、見たばかりのカルはすぐに分かった。
坂を全速力で駆け上がり、登り切るとそこには不気味な魔法陣、血の池、そして煙を上げながら倒れている何者かが見えた。
「ひでぇ景色だ。
…ここで一体何が…。
あ?おいおい。」
カルは辺りの不気味さも忘れ、倒れている人影へと駆け寄る。
一瞬サシュマの心配をしたが、直ぐに違うと分かった。
小さい。
子供じゃないか。
「おい、坊主、大丈夫か!」
身体から上げる煙からはサシュマの魔力を感じる。
あの子供大好きお爺さんが子供に魔法を放つとは考えられない。
そんな事をするくらいなら舌を噛んで死ぬ人だ。
それに…この子からは不気味さを感じない。
倒れている事で薄汚れてはいるが、清廉な雰囲気を感じる。
気を失っているのか、声を掛けても返答はないが、呼吸も鼓動もあるので死んではいないらしい。
倒れた子供を置いておく事は出来ずに、その場で当たりを見渡すと、教会からサシュマが出てきた。
その顔は先程より深く疲労の色を見せており、げっそりとしていた。
それでも表情は明るかった。
「おぉ、カル。
良いと言ったのに来てくれたのか。
その者が悪魔であった。
直撃したので討伐出来たであろう。」
そんなサシュマをカルは信じられないものを見る様な顔で見る。
違うだろ。アンタは…。
「先生、俺は…アンタだけは何があっても子供は撃たない主義だと思っていたんですがね…。
それに、俺はこの子が悪魔だとは到底思えません。」
カルはサシュマにガッカリした。
神に請われたからと子供に魔法を向けた、サシュマに。
もしかして、サシュマが悪魔に操られているのではないかとすら思えた。
しかしその言葉に一番動揺したのは当のサシュマで、子供と聞いた途端、疲れ切った老人とは思えない速度で駆け寄って来た。
「子供?そんな馬鹿な。
馬鹿な、馬鹿な…!
私は子供など…。
おぉ…可哀想に、痛そうだ。
だが…違う…撃った者とは似ても似つかぬ…!
しかし…この魔法は私のものだ…魔力の質がこの私のものだ…!
…どういう事だ…、はっ!まさか!」
まさか。
サシュマの脳裏にある現象が思い浮かんだ。
それは失われたはずの邪悪な呪法。
吐き気がするような悪意の果てに生まれ、葬られた、人の業。
「…悪魔憑き。」
その禁忌の呪法は、教会の資料にしか名を残さぬ程の古きもの。
それほど悪名高く邪悪だとされている。
「何ですか…それは。」
「うむ、カルは知らぬだろう、古き呪法だ。
それは人を生贄に悪魔を呼び出し、子供の身体を依代にして悪魔を顕現させるもの、らしい。
昔に読んだだけで詳しくはないが、これは文献通りに見える。
悪魔を受肉させる恐るべき呪いにかかっていたのだ、この子は。」
カルは言葉も出なかった。
彼は彼で、兵士候補の少年たちに隙を見ては剣を教えたりするぐらいには子供が好きだった。
当然子供が傷つくところは見たくはない。
カルの心の痛みはもう一つ、サシュマを思いやってのものだった。
サシュマは魔法師団長として長らく戦いに明け暮れていたが、ある時の戦果の褒美に退団を申し出、その後王立魔法学校のヒラ教師として就任した人物だった。
高い地位を捨て、なぜ教職にと問われる度に、子供が好きだからと答えていたのをカルは知っていた。
カルは他国で育ったのでそうではないが、同僚の兵士に山ほどサシュマの教え子がいるのだ。
そんな彼らが口を揃えて良い先生だったと言うのだから、どれほど本気で教職をやっていたのかが分かる。
今でこそ出世して学長となり、授業の機会も減ってしまったが、それでもなるべく現場に出て子供達と触れ合う様にしている。
そんな彼が、悪魔憑きとはいえ子供を撃つ様に仕向けられたのだ。
そんな話があるか、と叫び出したい気分だった。
しかし今可哀想なのはこの子だ。
自分が冷静さを失う訳にはいかない。
「思えば抵抗もしなかったな…訳もわからず悪魔にされてしまったのだろう。
その証拠に、感じるか、カル。
いや、感じないと言った方が正確か。」
感じない…?
そう言われて子供を観察すると、とある事に気がついた。
「…こんなに魔力が少ない子…俺は初めて見ました。」
「そうだろう。
何故なら、普通は皆訓練するからだ。
なにも修行という訳では無く、普段の生活で水を出したり火を出したり、お前も親御さんに手伝わされたであろう。」
カルは当然思い当たる。
当時は面倒だとは思っていたが、そのおかげで大人になった今では日常生活に問題が出ないぐらいの魔法は使える。
「親心で成長を促す訓練。
孤児だとしてもこれ程少ないのはあり得ない。
何故なら彼らも生きる為に魔法は必須だからだ。
これ程までに…異常と言えるほど魔力が無いのは…。
全く使わない環境に居たのだろうな。」
どこかに閉じ込められて居たのだろう。
それがサシュマの推察だった。
魔法を覚えることも、訓練する場も、行使する機会も無かった。
そうとしか考えられない少なさだった。
「何故そんな目に…。
まるで生贄にされる為に生かされていた様な…。」
そんなカルの呟きを聞き、サシュマは頷く。
「うむ、おそらくその通りだ。
この子の顔を見てみろ。分かるか?」
カルはそう言われてじっと違和感を探すが見つからない。
強いて言えば綺麗な銀の髪色。
そして美しい顔立ちをしていると感じるくらいか。
「ほう、美しい顔立ちか。
お前にはそう見えるのだな、カル。
だが私の様な神職家系の人間には全然違う要素を感じる。
毎朝祈り、毎晩祈り、常に心を割いている神。
その神の御姿にそっくりなのだ。」
そう言われればカルにも分かった。
確かに教会にある像の印象と、この子の印象は重なる。
「神を汚す為に似た身のこの子を生贄に選んだのであろう。
悪魔らしいやり口であるな。
しかし悪魔は祓った。
これからこの子は人の子として生きていけるだろう。
普通とはいかないかもしれないが…。」
サシュマはいつの間にか涙を流していた。
この子の置かれていた環境を思うと胸が詰まって仕方がなかったのだ。
カルもあまりの話に絶句する。
そしてしばらく前に気がついていたけれど、神妙に珍妙な話をし、号泣している爺さんを前に起き上がるタイミングを失っていたラルフも、ある意味絶句していた。




