7話「敗北の味」
1日1〜2話を目標に執筆できればと考えています。
乾いた風が、静まり返った訓練場を吹き抜けた。
土の匂いと、折れた木人の残骸。夕陽はもう沈み、空には群青の帳が降りていた。
その静寂を破るように、低く鋭い声が響く。
「――ガルド!」
叱責というより、怒号に近い一言だった。
訓練場の入り口に立つ女性の声。その声には凛とした強さがあった。
長い金褐色の髪を後ろで束ね、冷たい視線を真っ直ぐに投げる。
Dランクパーティ《ウルフバイン》の副リーダー――ライナ。
「……ライナ、これは――」
「言い訳は聞きません。訓練用の木人を壊した上に、新人に手を上げるなんてどういうつもりですか」
ガルドが歯を食いしばる。だが、ライナの冷ややかな眼差しの前では、その強面も勢いを失っていった。
「お前の力は見せつけるためのものじゃない。制するためにある。……忘れたの?」
短く、鋭い一言だった。
ガルドは何も言い返せず、乱暴に肩をすくめると、訓練場をあとにした。
夕風が残骸の木屑を巻き上げ、静かな音を立てる。
その場に残されたのは、リーネとセリアだけ。
ふたりはまだ呼吸を整えられず、ただ立ち尽くしていた。
ライナがゆっくりと近づく。
その表情は先ほどの怒りとは違い、今はどこか穏やかだった。
「……あなたたちが《リメナス》ね。ミリアから聞いてるわ。昨日、パーティ登録をしたばかりだとか」
リーネが小さく頷く。「はい……」
ライナは折れた木人を見つめ、静かに息を吐いた。
「恐らく、あなたたちは悪くない。けれど――戦場では、いつだって“理不尽”がついて回る」
その言葉に、セリアが小さく肩を震わせた。
「……でも、避けられたはずです。挑発に乗らなければ」
「……すみません」
リーネが俯いた。手にした槌の柄には、戦いの痕が残っている。
全身がまだ重く、敗北の痛みが生々しく残っていた。
ライナはふたりを見つめ、ゆっくりと言葉を続けた。
「力は、誰かを傷つけるためにあるんじゃない。守るために、制御するためにある。……それを忘れないで」
その声は、厳しさの中にどこか優しさがあった。
リーネは顔を上げて小さく頷いた。「はい……」
ライナは軽く背を向ける。
「壊した木人の件は、ギルドに報告しておくわ。あなたたちは今日はもう休みなさい」
そう言い残して、ライナは静かに訓練場を後にした。
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夜風が吹き抜ける頃、ふたりはようやくギルド裏を離れた。
歩くたびに靴底が土を擦る。セリアは黙ったまま、うつむいて歩いている。
「……セリアさん、大丈夫?」
リーネの声は柔らかかった。
セリアは少し間をおいて、小さく息を吐く。
「……悔しいです。何もできなかった。……本当に、何も」
「ううん、そんなことないよ。あのときセリアさんが声をかけてくれなかったら、私、きっと冷静じゃいられなかった」
「でも、結果的には負けました。あの人にまったく歯が立たなかった……」
「そりゃあ、あの人たちEランクですし!」
リーネは明るく笑う。けれど、その笑顔の奥には自分への悔しさも隠しきれなかった。
「でもね――やられっぱなしは嫌だなって、思ってる」
その言葉に、セリアは顔を上げた。
リーネの横顔は、街灯に照らされて金色に輝いていた。
「……負けたのに、どうしてそんなに笑えるんですか?」
「んー……多分、“まだ終わってない”からかな」
「……終わってない、ですか」
「うん。今日のことは、ここで“おしまい”にしたら負けっぱなしだけど……明日、少しでも前に進めたら、それってもう“続き”になるでしょ?」
セリアは黙ってその言葉を聞いていた。
胸の奥に、ほんの少しだけ明かりが灯るのを感じる。
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宿に戻る頃には、夜も更けていた。
街の喧騒は消え、遠くから風鈴の音が微かに響く。
宿の食堂には、まだ数人の冒険者が酒を飲みながら笑っていた。
「……座ろっか」
リーネが席に着くと、セリアも向かいに腰を下ろした。
ふたりの前には温かいスープと黒パン。香草の香りが優しく漂う。
「なんか……体中が痛いです」
「ははっ、私も! でも、少し気持ちいい痛みかも」
リーネが肩を回しながら笑う。
セリアはスプーンを持ちながら、小さく笑った。
「私、あんなふうに倒れたの初めてです。立ち上がろうとしても、足が震えて……情けなかった」
「でも、逃げなかったじゃないですか。それだけで立派ですよ」
「……そうでしょうか」
「うん。セリアさんが本を構えてたとき、私、すごく心強かったです」
セリアの頬が少し赤く染まる。
「……リーネさんって、ずるいです。そんなふうに言われたら、落ち込めなくなります」
「えへへ、作戦成功!」
ふたりの笑い声が、静かな夜の食堂に小さく響いた。
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やがてスープを飲み終えた頃、セリアがふと呟いた。
「……強く、なりたいです」
リーネは目を丸くしてから、優しく微笑んだ。
「うん、私も」
「怖かったです。あの人の力も、言葉も。……でも、それ以上に、何もできない自分が嫌でした」
「私もだよ。槌を振っても、全然届かなくて。悔しかった」
「でも、あのライナさんの言葉……なんか、少し心に残ってます。“力は制するためにある”って」
「うん。私もあの言葉、ずっと覚えておこうと思う」
リーネが拳を握る。その手には、戦いの跡がまだ残っていた。
「次に会ったとき、胸を張って“今度は負けません”って言えるようになりたい」
「……はい。私もです」
セリアは小さく頷き、目を伏せた。
心の奥にあった小さな炎が、再び灯るのを感じた。
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食堂を出ると、夜空には満天の星が広がっていた。
街灯の明かりが少し霞むほどに、空は静かで美しい。
「きれい……」
セリアが呟く。
リーネは隣で空を見上げたまま、ぽつりと笑った。
「ねぇ、セリアさん」
「はい?」
「私たちの冒険って、まだ始まったばっかりだよね」
「……そうですね」
「だったら、次は“勝つ冒険”にしよう。絶対に!」
リーネが拳を突き上げる。
その明るさに、セリアの胸が少しだけ温かくなった。
「はい。約束、ですよ」
「うん、約束!」
夜風が二人の髪を撫で、街の灯がやわらかく瞬く。
遠くの訓練場では、まだ誰かの槍の音が響いていた。
その音はまるで、彼女たちの“次”を告げる鐘のようだった。
誤字脱字はご容赦ください。
時間を見つけて訂正していこうと思います。




