36話「朝焼け」
1日1〜2話を目標に執筆できればと考えています。
「――起きろ。もう朝だ」
その低い声が、夢と現の境を破った。
リーネはまぶたの奥で光を感じ、顔をしかめながら毛布の中でもぞもぞと動いた。
「ん……うぅ……」
「寝ぼけてる暇はねぇぞ。陽が上がる」
耳に届く声は、確かにスコルのものだった。
少しだけ乱れた息の音が混じっていて、どうやら夜通し火の番をしていたようだ。
「……スコルさん?」
リーネが寝ぼけた声で顔を上げると、彼はもう外套を羽織り、焚き火の前に立っていた。
夜の火はほとんど消えていて、灰の下に小さな赤が残っている。
空はまだ青く沈んでいたが、東の端からかすかな橙がにじんでいる。
「セリアも起こしてやれ。風が変わった」
「……はい」
リーネは毛布を抜け出し、隣に丸くなって眠るセリアの肩を軽く叩いた。
「セリアさん、朝ですよ……」
「……もう少し……」
「スコルさんが起きてます」
「え……あ……」
セリアはゆっくりと目を開け、寝ぼけまなこでスコルの背中を見つめた。
焚き火の灰を崩して風を入れる彼の手元は、相変わらず無駄がない。
「おはようございます、スコルさん」
「ああ。二人ともよく寝たな」
その声には、疲れがわずかに混じっていた。
夜を通して起きていたせいか、彼の瞳の奥には薄い影が差している。
リーネがその様子に気づき、そっと口を開いた。
「スコルさん、もしかして……寝てないんですか?」
「寝られなかっただけだ」
「番をしてくれてたんですよね」
「仕事だ」
ぶっきらぼうに言いながらも、彼の声はどこか優しかった。
火の世話を終えると、腰を下ろし、両手で顔をこすった。
その仕草に疲れの色がにじむ。
セリアが毛布を畳みながら、少し考えるように視線を落とした。
「スコルさん。今度は私たちがやります。朝食の準備、任せてください」
「ん?」
スコルが顔を上げる。
「昨日も夜まで付き合ってもらったのに、これ以上は悪いです」
「そ、そうです! スコルさん、少し休んでてください!」
リーネも勢いよく続いた。
スコルは二人を見て、わずかに眉を上げる。
「休めって……飯はどうする」
「私たちが作ります! 簡単なものならできます!」
「リーネさん、昨日のスープの作り方を覚えてますよね?」
「う、うん……多分!」
スコルはしばらく沈黙し、やがて小さくため息をついた。
「……焦がすなよ」
「はいっ!」
彼は腰の剣を傍らに置き、焚き火のそばに腰を下ろした。
朝の光が頬を照らし、まぶしそうに目を細める。
それを見て、リーネは小さく笑った。
「セリアさん、水はどうします?」
「昨日の泉の分があります。足りなければ、私が汲みに行きますね」
「じゃあ、火を起こすのは私がやります!」
リーネは火打ち石を手に取り、灰を避けて新しい薪を組む。
「えっと、こうして……下に小さい枝を置いて……」
「風の通り道を作ってください。スコルさんがそう言ってました」
「うん、覚えてる!」
カチッ、と小さな音が鳴る。
火花が散り、二度、三度――やがて乾いた草に赤い光が灯る。
リーネは息を吹きかけ、そっと火を育てた。
「ついた!」
「上手ですね」
「でしょ!」
リーネが胸を張ると、背中から「焦らずに燃料を足せ」とスコルの声が飛んだ。
どうやら完全に休んでいるわけではないらしい。
「……聞いてるんですか!」
「火の音を聞いてりゃ分かる」
「むーっ……」
リーネが頬を膨らませると、セリアが苦笑いした。
鍋を置き、水を注ぐ。
セリアが包みから干し肉と野菜を取り出し、細かく刻んでいく。
「リーネさん、切ったもの、入れちゃってください」
「了解です!」
二人の手が動く音が、朝の静けさに溶けていった。
火の上で鍋がくつくつと鳴き、湯気がふわりと立ちのぼる。
スコルはその音を聞きながら、半分まぶたを閉じていた。
まるで音で様子を確かめているようだ。
「……悪くねぇ匂いだ」
「焦がしてませんからね!」
「そうか」
短い返事が、どこか柔らかく響いた。
風が草を撫で、夜露の匂いをさらっていく。
空は完全に明け始め、淡い橙が地平線を染めていく。
その光が三人の輪郭を包み、夜の気配を少しずつ消していった。
少しして、セリアが鍋の蓋を開ける。
「そろそろ出来そうです」
「味見していい?」
「どうぞ」
リーネは木の匙でスープをすくい、慎重に口へ運ぶ。
「……うん、いける! 昨日よりおいしい!」
「味見は一口までだ」
スコルの声がすぐに飛んできて、リーネがびくっとする。
「み、見てたんですか!?」
「匂いでわかる」
「そんなのずるい!」
セリアが吹き出し、空気がやわらかく笑いに包まれた。
「さ、もう少ししたら食べられます」
セリアが湯気を見ながら微笑む。
リーネは木の枝で薪を整えながら、スコルをちらりと見る。
彼は外套を少し引き寄せ、腕を組んで目を閉じていた。
朝の光がその横顔を照らす。
「寝ちゃった……?」
「少しだけ、だと思います。眠っていられるのも今のうちでしょうね」
セリアの声には優しさがあった。
リーネも静かに頷く。
焚き火の音が穏やかに続き、鳥の声が増えていく。
草の間を渡る風が、遠くの丘を撫でていく。
スコルの外套がかすかに揺れ、灰の上で小さな火が生きていた。
リーネは空を見上げた。
「……朝焼け、きれい」
雲の縁が金色に染まり、薄紅の光が広がっていく。
セリアも同じ空を見つめ、そっと目を細めた。
「スコルさん、見てるかな」
「きっと、耳で感じてるよ」
二人の笑い声が、朝の風に混ざって消えていった。
やがて鍋の音が静まり、湯気が高く伸びていく。
それは、夜の終わりと、新しい一日の始まりを告げる合図のようだった。
鍋の湯気が静かに消えるころ、
空はすっかり明るくなっていた。
草原の上に漂う朝の空気は澄んでいて、どこか甘い。
スコルは食後の器を置き、立ち上がる。
「……片づけたら、訓練をするぞ」
「え、もう!?」
リーネが口を開けたまま固まる。
セリアが苦笑しながら頷いた。
「スコルさんの“休憩”は、短いですから」
「食ったら動け。寝ぼけたままじゃ、体が鈍る」
そう言ってスコルは、傍らに立てかけてあった斧を持ち上げた。
朝の光を受けて、刃の面が鈍く光る。
リーネは思わず息を飲んだ。
その刃先は、昨日よりもどこか柔らかい光を帯びているように見える。
「……今日の訓練、釘のですか?」
「そうだ。釘を扱うなら、まずは“重さ”に慣れろ」
少し離れた平地で、スコルは草を踏みしめながら立ち止まった。
「今日は釘の扱いを続ける。昨日の動きを体で覚えろ」
リーネは槌を取り出し、真剣な表情で頷いた。
スコルは腰の袋から鉄釘を数本取り出す。
「まず、打つ姿勢だ。
槌を振るう前に、体の芯を立てる。腰を抜くな」
リーネは槌を構える。
だが体がわずかに前に傾いた。
スコルが近づき、軽く腰を押す。
「下げろ。足を広げて、風を感じろ」
「……はい!」
草を踏みしめて、リーネは再び構え直した。
その動きに合わせて、セリアの風がふわりと流れる。
自然と呼吸が整い、肩の力が抜けていく。
「釘は“狙う”んじゃねぇ。“導く”んだ」
スコルの声が、低く静かに響いた。
「敵がどう動くか、どこへ流れるか――
そこへ釘を置く。叩き込むんじゃない。“止める”ために打つんだ」
リーネは息を詰め、草の上に視線を落とした。
イメージを描く。敵が走り抜ける道筋。その先に、自分の釘を。
「……やってみます」
槌を振り上げ、息を吐き、打ち出す。
カン――ッ。
金属音が空に弾け、釘が地面へ吸い込まれる。
姿勢はまだ硬いが、体の軸はぶれていない。
スコルが頷く。
「悪くねぇ。次は“戻し”だ。打ったあとの体の動きを止めるな」
「止めない?」
「斧もそうだ。止めた瞬間に死ぬ。
動きを続けることで、次の一手が生まれる」
スコルは自分の斧を軽く振ってみせた。
刃を振り下ろした瞬間、足の軸を変え、体を滑らせるように後退する。
一連の動作がまるでひとつの呼吸のように滑らかだった。
「“止まる”のは動きの中だ。槌も釘も、斧も同じだ」
「……すごい」
リーネはその動きをまねようとした。
カン――、カン――。
金属の音が、草原の静けさに重なる。
何度も失敗しながらも、少しずつ動きが柔らかくなっていく。
時間が経つにつれ、太陽は高く昇った。
額の汗が光り、空気が温かくなる。
セリアは二人の間で風を操り、釘の軌道をわずかに支援していた。
「リーネさん、右手が力みすぎています」
「うん、わかってるけど……っ、難しい!」
「力で抑えようとしないで。釘の重さを信じてください」
「なるほど……!」
その言葉のあと、リーネの槌がふっと軽く動いた。
カン――ッ。
釘がまっすぐ飛び、地面に正確に突き刺さる。
スコルが近づき、釘の角度を見下ろす。
「……いい。狙いの意識が変わったな」
「ほんとに!?」
「ああ。感覚を掴めば、あとは体が覚える」
リーネは息をつき、手に残る振動を確かめた。
「なんか……釘が生きてるみたいです」
「それでいい。道具は命を写すものだ。
使う者がどう生きてるかで、動きが変わる」
その言葉に、セリアも小さく頷いた。
「だから、スコルさんの斧はあんなに静かなんですね」
「……そう見えるなら、それでいい」
スコルは淡く笑い、斧の刃を光に透かした。
訓練は昼近くまで続いた。
太陽が真上に上がるころ、
リーネの腕は汗で濡れ、息も荒い。
釘は地面のあちこちに突き刺さり、
草の間で光っていた。
スコルが手を上げる。
「今日はここまでだ」
「えっ、もう少し――」
「もう“体”が覚えた。無理に続けると、逆に鈍る」
リーネは名残惜しそうに槌を下ろした。
手のひらには小さな豆ができている。
それを見たスコルが、短く笑う。
「初めてにしては上出来だ。
……それが戦いの証だ」
「えへへ……痛いけど、なんか嬉しいです」
「痛みを喜べるようになったら一人前だな」
セリアが布を差し出す。
「手、拭いてください。水もあります」
「ありがとう!」
スコルは斧を背にかけ、荷をまとめながら空を見上げた。
雲一つない青。
その光を受けて、草が揺れ、遠くの道がかすかに光っている。
「午後にはサーブルへ戻るぞ。
陽が沈む前に街門を越えたい」
「はい!」
「了解しました」
リーネは肩の槌を軽く担ぎ、セリアは水筒を手にする。
その後ろ姿を見ながら、スコルが小さく呟いた。
「……悪くねぇ朝だったな」
風が草を渡り、
三人の足跡をそっと消していく。
昼の光の中、釘が一つ、地面で光っていた。
それはリーネの成長を告げるように、
静かに、確かに輝いていた。
誤字脱字はご容赦ください。
時間を見つけて訂正していこうと思います。




