35話「野営」
1日1〜2話を目標に執筆できればと考えています。
夜は風と温度が変わる。火を囲むだけじゃ、身体は冷える」
「じゃあ、どうすれば?」
「場所を選ぶんだぱち、ぱち、と小さな火の音が草原の静けさを縫うように響いていた。
夕方にスコルが起こした焚き火は、今も穏やかに揺れながら、橙色の光を広げている。
日が落ち、空は群青に沈み、遠くでは虫の声が少しずつ増えていった。
リーネは膝を抱えたまま火を見つめる。
昼間の訓練で感じた疲れが、火のぬくもりに溶けていくようだった。
セリアは隣で水袋を口にし、息を整えている。
その向こうで、スコルが木の枝を拾ってきては火にくべていた。
「……お前ら、野営は初めてか?」
唐突にスコルが言った。
静かな声だったが、炎の音の中でもはっきりと聞こえた。
リーネは少し遅れて顔を上げる。
「うん。外で寝るのは初めて。……なんか、ちょっと落ち着かない」
「セリアは?」
「私もです。街の宿以外で夜を過ごしたことはありません」
スコルは短く「やっぱりな」と呟くと、腰を下ろして火を見た。
炎の光が彼の横顔を照らし、深い影を作っている。
「じゃあ、今夜はその“落ち着かない”を慣らすところからだな」
「慣らすって……そんな簡単にできるの?」
リーネの問いに、スコルはかすかに笑う。
「慣れるしかねぇ。野営ができなきゃ、どんな実力者でも外じゃ生きていけん」
そう言って、地面に落ちた小枝を拾い上げた。
「焚き火を見てると安心するだろう。けど、火だけじゃ駄目だ。
。昼のうちに地形を見て、風の向きと地面の状態を確かめる。
夜露が溜まる場所は避ける。地面が冷えやすい谷間も駄目だ。
そして、寝るときは体を直接地面に触れさせねぇようにする」
リーネは首をかしげる。
「直接って……毛布があるから大丈夫じゃないの?」
「甘いな。地面の冷気は上がってくる。毛布一枚じゃ足りねぇ」
スコルは焚き火のそばに置かれた布袋を開け、麻布を取り出した。
「いいか、地面には“下敷き”を作る。草でも、枝でも、麻布でもいい。
こうして空気の層を作るんだ。これが体温を守る壁になる」
言いながら、スコルは手際よく麻布を広げ、布の端を足で押さえた。
火の光でその手の動きがくっきりと見える。
リーネとセリアは顔を寄せて見守った。
「焚き火の位置は風下。風上に寝ると、煙が当たらねぇ。
それに匂いが流れやすい方向も覚えろ。魔物は煙の匂いを嫌うが、血の匂いには寄ってくる」
「……血の、匂い?」
リーネが少し怯えたように声を漏らす。
スコルは炎の向こうから視線を上げた。
「狩りのあとや怪我をした時だ。自分たちの匂いが風に乗る。
だから、風下に焚き火。風上に休む。それを守るだけで、生き延びられる確率は上がる」
セリアが真剣な表情で頷いた。
「なるほど……理屈があるんですね」
「理屈を知らねぇ奴は、夜に飲まれる。
外の世界は、知らないことを“運”では済ませてくれねぇ」
その言葉に、リーネは少し黙り込む。
炎の音がふたたび静寂を満たした。
やがて、火が少し落ち着いてくると、スコルは木の枝を二本ほど拾い、交差させて地面に立てた。
「次は明かりの確保だ。焚き火だけじゃ範囲が狭い」
彼は革袋から小さな金属製の筒を取り出す。
「これは油灯。小さな光を離れたところに置いておく。
影が動いたら、誰かが近づいた合図だ」
「……そんなのまで用意してるの?」
「野営の命綱だ」
スコルは小さく笑い、油灯の芯に火を移した。
ぽっと、柔らかな光が浮かび上がる。
焚き火よりも白く、静かな光だった。
「寝るときは、こうして灯りを残しておく。
完全な暗闇は、心を削る。
それに、光が一つでもあれば仲間の居場所がわかる」
リーネはその光を見つめながら、思わず呟く。
「なんか……優しいね」
「優しさじゃねぇ。必要だからやってるだけだ」
それでもスコルの声には、どこか温かみがあった。
しばらくして、食事の時間が来た。
干し肉を火にかざし、パンを少し温める。
香ばしい匂いが漂い、風に混じって鼻をくすぐる。
「外で食べるのって、なんか違うね」
リーネが言うと、スコルは小さく笑った。
「同じものでも、腹が減ってる時に食えばうまい」
「それ、わかる気がする」
「だろう。生きてると実感できるのは、腹が鳴る時だ」
焚き火を囲んでの食事は、妙に心地よかった。
言葉が少なくても、火の音が会話の隙間を埋めてくれる。
セリアが少し離れたところで夜空を見上げる。
「星が……きれいですね」
「この辺りは空気が澄んでる。明かりが少ねぇ分、よく見える」
スコルも同じように空を仰いだ。
燃える炎と夜空の対比が、まるで異世界の境界みたいに見えた。
やがて風が強くなると、スコルは焚き火を囲む石を少し動かした。
「火が暴れる。石で囲って、空気の通りを絞る」
その手際は迷いがなく、無駄がない。
リーネはその様子をじっと見ていた。
(……すごいな)
戦いの時とは違う。
炎を扱うスコルの姿は、静かで、頼もしくて――どこか優しかった。
「リーネ」
「えっ、なに?」
「明日の朝まで火の番を交代でやる。
夜は長い。火を絶やすな。
お前が一番最初だ」
「わ、わかった!」
少し緊張した返事に、スコルが口角を上げる。
「最初は眠くなる。だが、火を見ていればわかる。
燃えるものがなくなれば、火は弱る。
人も同じだ。何かを燃やし続けてねぇと、すぐに冷える」
その言葉は、静かだけれど心に残る響きを持っていた。
リーネはうなずき、火の側に座り直す。
「……うん、ちゃんと見てる」
スコルは小さく頷いて立ち上がった。
「よし。あとは休め。風が変わったら起こせ」
「了解!」
炎が夜風に揺れ、ぱちりと音を立てた。
草の匂い、焚き火の熱、星明かり――
それらが一つに溶け合って、夜が静かに形を成していく。
リーネは、炎の向こうに座るスコルの背中を見つめた。
その背中は大きく、どこか遠い。
どうして彼は、こんなに慣れた手つきで野営ができるのだろう。
何度、こうして夜を越えてきたのだろう。
その疑問は、まだ言葉にならないまま、
火の粉と一緒に夜空へと溶けていった。
夜はすっかり深まっていた。
草原を渡る風が少し冷たくなり、火の温もりがより際立つ。
焚き火の光が三人の顔を照らし、影が揺れては形を変えていく。
リーネはその光の中で、ずっとスコルの背中を見ていた。
セリアは、焚き火の反対側で静かに息をしている。
薄く目を閉じ、疲れた身体を休めるように浅い眠りに落ちていた。
夜は静かだった。
虫の声と、火のぱちぱちという音だけが聞こえる。
遠くでは風が草を揺らし、地面の匂いが微かに立ちのぼる。
リーネは膝を抱えて、火の明かりに目を細めた。
言葉にできない気持ちが胸の奥でざわつく。
昼間のスコルは厳しくて、淡々としていて、でも――
こうして夜になると、どこか優しいような気がする。
思わず口が動いていた。
「ねぇ、スコルさん」
「……なんだ」
焚き火の向こう、彼は背を向けたまま答える。
「スコルさんって、どうして冒険者になったの?」
少しの沈黙が落ちた。
火の音がやけに大きく感じる。
リーネは口をつぐもうかと思ったけれど、もう遅かった。
スコルは背を向けたまま、ゆっくり息を吐いた。
「……誰かにそう聞かれたのは、久しぶりだな」
「え?」
「昔はよく聞かれた。だが、答えることも、もうなかった」
リーネは黙って火を見つめる。
スコルは少しだけ姿勢を変え、焚き火を挟んでリーネの方を向いた。
その表情には、どこか懐かしさが滲んでいた。
「俺が冒険者になったのは……生き残るためだ」
低い声が、火の音に溶ける。
「子どものころ、村が襲われた。
魔物か盗賊か――もう覚えちゃいねぇ。
気がついたら、燃えてる家と、逃げ惑う声だけだった」
炎がぱち、と弾けた。
リーネは無意識に膝を抱きしめる。
「誰も助けちゃくれなかった。
その時に悟ったんだ。守ってくれる誰かを待つくらいなら、
自分の手で立たなきゃ駄目だってな」
スコルはゆっくりと焚き火の枝をいじる。
赤い火の粉が空へと舞い上がり、闇に消えた。
「村を出てから、あちこちを彷徨った。
戦い方を教えてくれた傭兵がいてな。
“剣を持つなら、命を預ける覚悟をしろ”って叩き込まれた」
「……その人は、今も?」
リーネがそっと尋ねる。
スコルは少しだけ目を伏せた。
「もういねぇよ。
……けど、そいつが死んだ時に思ったんだ。
誰かが倒れても、世界は動き続ける。
だから、生きてる奴が進まなきゃいけねぇって」
その声は淡々としていた。
悲しみを語るような響きではなく、
ただ事実を受け入れている人の声だった。
リーネは胸が締めつけられるような気持ちになった。
「……スコルさん」
「なんだ」
「……それでも、誰かを助けようとするのって、怖くないの?」
「怖いさ」
即答だった。
「人を助けるってことは、同じ痛みを引き受けるってことだ。
それがわかってても、手を伸ばす奴は……馬鹿だ」
「じゃあ、スコルさんも……馬鹿?」
リーネが小さく笑って言うと、スコルは少しだけ口の端を上げた。
「そうかもな。だが――俺はそういう馬鹿が嫌いじゃねぇ」
その一言が、夜の空気にゆっくりと溶けていく。
焚き火の光が二人の間に揺れ、影が寄り添うように重なった。
セリアが寝返りを打ち、小さく息を吐く。
彼女の寝息は穏やかで、風の音に溶けている。
リーネは火を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……私も、強くなりたいな」
「理由はあるのか?」
「ううん、まだない。でも……目の前の誰かが泣いてたら、
何かできる自分でいたい」
スコルは短く「そうか」とだけ言い、視線を火に戻した。
その横顔には、どこか優しい光が宿っていた。
しばらく、二人の間に言葉はなかった。
火が静かに燃え、夜の草が揺れる。
その音だけが、時間を刻むように響いていた。
やがて、スコルが立ち上がる。
「もう寝ろ。明日も早い」
「え、でも火の番は――」
「俺がやる。お前は初めてだろ。明日に響く」
「……うん」
リーネは毛布にくるまりながら、焚き火の向こうのスコルを見た。
炎が彼の輪郭を包み、背中を金色に染めている。
夜風が髪を揺らし、煙の匂いがほのかに鼻をくすぐった。
「ねぇ、スコルさん」
「なんだ」
「私、スコルさんみたいに強くなれるかな」
「……強くなるってのは、傷を受け入れることだ」
スコルの声は低く、けれどどこか優しかった。
「剣を持っても、魔法を使っても、人は弱ぇままだ。
でも、その弱さを抱えたまま立てる奴が、本当に強い」
リーネは目を閉じながら、その言葉を胸に刻むように繰り返した。
“弱さを抱えたまま、立つ”――それが、強さ。
火の音が遠ざかり、草のざわめきが子守歌のように耳を撫でる。
リーネの瞼がゆっくりと下りていった。
夢と現の境目で、かすかにスコルの声が聞こえる。
「……いい夢を見ろ、リーネ」
その言葉に応えるように、火の粉がひとつ、空に舞い上がった。
夜はまだ静かで、優しかった。
誤字脱字はご容赦ください。
時間を見つけて訂正していこうと思います。




