31話「相談」
1日1〜2話を目標に執筆できればと考えています。
それからの数日は、穏やかで、けれど確かな手応えのある日々だった。
リーネとセリアは、朝は訓練場に立ち、昼は依頼に出かけ、夜は軽く復習をする――そんな規則的な生活を送っていた。
ギルドの裏手にある砂地の訓練場には、朝露の匂いと鉄の音が混じる。
リーネは新しい槌を振り上げ、掛け声とともに木製の標的を叩きつけた。
「やっ……たぁっ!」
木の破片が飛び散る。
息を切らしながらリーネが笑うと、横で見ていたセリアが手帳に何かを書き込んだ。
「動きがずいぶん安定しましたね。体重の乗せ方が前より自然です」
「ほんと? やった!」
「でも、振り抜いた後の姿勢がまだ危ういです。次に備える構えまでが“一振り”ですから」
「うぅ……そこ、いつも言われる」
「大切なことは何度でも言いますよ」
「はいはい、先生」
リーネは軽く舌を出して笑った。
午前中の訓練を終えると、二人はそのまま依頼に出る。
どれも危険は少ないが、二人にとっては地道な積み重ねだった。
「セリアさん、こっちの方にも青い花が咲いてる!」
「それは“ブルームウィード”ですね。根の方が薬効があります」
「じゃあ掘っちゃう!」
「待って、茎を折らないように。乾燥させて保存するのに必要なんです」
「はーい!」
リーネの返事は元気いっぱいだ。
だが、以前よりもその手つきは丁寧になっていた。
採取を終え、荷をまとめて丘の上に立つと、風が草を撫でた。
遠くにはサーブルの街が小さく見える。
白い煙がゆらゆらと上がり、夕陽が赤く屋根瓦を染めていた。
「……なんか、静かだね」
リーネが呟く。
「ええ。風の音がよく聞こえます」
「こういうの、好きかも。戦ってる時とは全然違うけど、ちゃんと“生きてる”感じがする」
セリアはその言葉に小さく頷いた。
「そうですね。戦いは“生き延びる”ことですが、こうしていると、“生きる”という感覚を取り戻せます」
「うん……そうだね」
サーブルの街に戻る頃には、空がすっかり夕焼けに染まっていた。
ギルドに依頼品を届け、報酬を受け取る。
受付のミリアは相変わらず明るく、元気に迎えてくれた。
「二人ともお疲れさま! 最近ほんとに調子いいね!」
「ありがと! 失敗しなくなってきたんだよ!」
「セリアさんの計画も完璧ですし、すっかり頼れるパーティになりましたね!」
「恐縮です」
セリアが微笑むと、ミリアはにこにこと親指を立てた。
そのやり取りが、リーネには少しくすぐったく感じられた。
――“落ちこぼれ”と呼ばれた頃が、遠くに感じる。
成長できているのだろうか。
ほんの少し、そんな自信が胸の奥に灯る。
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翌日は休日だった。
朝はゆっくり起き、軽く体を動かす程度にして、昼前に街へ出る。
冒険者の喧騒が少し遠い、通りの角にある喫茶店。
旅人や学者、商人が静かに時間を過ごす店で、セリアは時々ここで読書をしていた。
今日はリーネの提案で、二人で訪れることになった。
木製のドアを開けると、柔らかな鈴の音が鳴る。
ほのかな焙煎の香りが広がり、窓からの光が琥珀色の空間を照らしていた。
客はまばらで、奥の席では老夫婦が談笑している。
「わぁ……落ち着くね」
「静かでしょう? 私も気に入っているんです」
「確かに。ギルドの食堂とは大違いだね」
「それは比べてはいけません」
二人は笑い合い、窓際の席に腰を下ろした。
メニューを見ながら、リーネが目を輝かせる。
「ねぇ見て! “森の果実ケーキ”だって!」
「……甘いものを頼む気ですね?」
「え、ダメ?」
「いえ。私も紅茶にしましょうか」
やがて注文したケーキと紅茶が運ばれてくる。
立ちのぼる香りに、心までほぐれるようだった。
「ふぅ……落ち着く」
カップを両手で包みながら、リーネが小さく息をつく。
「毎日訓練してると、こういう時間がすごく貴重に感じるね」
「ええ。休息もまた、強くなるための一部です」
「さすが、セリアさん。言うことが先生っぽい」
「先生ではありません。仲間です」
「……そういう言い方、ちょっと嬉しい」
リーネは笑ってケーキを一口食べた。
甘酸っぱい果実の味が口いっぱいに広がる。
しばらくは紅茶を飲みながら、依頼の話やギルドで見かけた冒険者の噂話などをして過ごした。
外の通りを眺めると、子どもたちが駆けていく。
商人が荷馬車を引き、風が旗を揺らす。
サーブルの街のいつもの光景。
けれど、今日はその景色が少し違って見えた。
リーネがふと、カップの中を覗き込みながらつぶやく。
「ねぇ、セリアさん」
「はい?」
「……別の街にも行ってみたいなって、最近ちょっと思ってたんだ」
セリアは驚いたように目を瞬かせたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「別の街、ですか」
「うん。サーブルもいいところだけど、なんか、もっと広い世界を見てみたい気がするの」
「どうしてそう思ったんです?」
「うーん……訓練とか依頼で色んな人と会って、みんなそれぞれ違う景色を見てきたんだなって思って。
私たちも、まだ知らないことがたくさんあるんだなって」
リーネは窓の外に目をやる。
風に揺れる旗。遠くの鐘の音。
見慣れたはずの街が、急に小さく見えた。
「スコルさんと会ったときも思ったんだ。強い人たちは、きっといろんな場所を旅してきたんだろうなって。
私も……その中に混じってみたい」
その言葉には、子どものような憧れと、少しの決意が滲んでいた。
セリアはしばし黙り、紅茶を一口飲んでから静かに答えた。
「……きっと、良いことだと思います」
「え?」
「外の世界を見たいと思うのは、成長の証です。
恐れではなく、好奇心で外を見られるようになった――それは、とても大きな変化です」
リーネは少し頬を染めて笑う。
「そう言ってもらえると、なんか勇気出る」
「どの街に行ってみたいのですか?」
「うーん……ヒルステン、かな。交易の街って聞いたことあるし、いろんな冒険者が集まるって」
「確かに。情報や装備も豊富で、学べることが多い場所ですね」
「でしょ? だから、行ってみたいんだ」
紅茶の香りがふわりと漂う。
セリアは窓の外を見つめながら、そっと言葉を続けた。
「……行くなら、準備が必要ですね。距離もありますし、依頼の確認も」
「うん、今すぐじゃなくていいの。ただ、いつか行けるようにしておきたいなって」
「ええ。きっとその“いつか”は、そう遠くありません」
リーネは少し照れたように笑い、カップを掲げる。
「じゃあ、その“いつか”に乾杯、ってことで」
「ふふっ……いいですね」
カチン、と静かな音を立てて二人のカップが触れ合った。
喫茶店の外では、午後の光がゆっくりと傾いていく。
リーネは小さく息を吐きながら、空を見上げた。
その瞳には、不安よりも期待の色が濃く映っていた。
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窓の外では、午後の光がゆっくりと傾き、通りを行く人々の影を長く伸ばしていた。
リーネとセリアはまだ席を立たず、紅茶の残りを口にしながら、これからの話を続けていた。
「ヒルステン……行けるとしたら、どれくらい先になるかな」
「そうですね。馬車を使えば三日ほどですが、途中の街道も整備されていません。準備と資金、それに依頼の継続も考えなければ」
「やっぱり、簡単にはいかないかぁ」
リーネはカップをテーブルに戻し、指で縁をなぞる。
「でも、行けるように準備しておきたいな。ちゃんと、冒険者として」
「ええ。少しずつ備えていきましょう」
セリアの言葉に、リーネは微笑んだ。
静かな時間。
外のざわめきが遠くに感じられ、紅茶の香りが心地よく鼻をくすぐる。
――そのとき。
カラン、とドアベルの音が鳴った。
店内に冷たい風が入り込み、ふたりの視線が自然とそちらへ向く。
「……あ」
リーネが小さく声を上げた。
入ってきたのは、見慣れた背の高い男だった。
黒い上着の肩口には風に舞った砂が残り、腰にはいつもの戦斧。
無造作な髪を手で払うようにしながら、スコルは静かに店の奥へ歩いてくる。
「ス、スコルさん……?」
思わず声をかけると、スコルは足を止め、二人のテーブルをちらと見やった。
「お前らか。ここにいたのか」
「う、うん……偶然だね!」
「偶然でもねぇ。ギルドに寄ったら、ハルドが“訓練が続いてるらしい”って言ってたからな。どうせここかと思って来た」
そう言って、スコルは隣の空いた席に無言で腰を下ろした。
店員が慣れた様子で水を運んでくる。
まるで常連のようだった。
「な、なんかタイミング良かったね」
「お前らの話が聞こえた」
「え?」
スコルは水をひと口飲み、低く言った。
「“別の街に行ってみたい”とか言ってたな」
リーネの肩がびくりと動く。
「え、あ、聞こえてたんだ……」
「この静けぇ店で、でかい声出しゃ誰でも聞こえる」
「うっ……」
スコルは視線を落とし、短く息を吐いた。
「悪いことじゃねぇ。旅に出るのは自由だ。……だがな」
彼の声が少し低くなる。
「今のままじゃ、旅なんかしたらすぐ死ぬぞ」
リーネの表情が固まった。
セリアも静かに息をのむ。
「お前ら、戦うのは少し慣れたかもしれねぇが、まだ“生き延びる術”を知らねぇ。
街を出れば、ギルドの援護も医者もねぇ。夜に野営すりゃ、音一つで魔獣が寄ってくる」
「……それは、分かってるつもりです」
リーネが小さく言い返す。
「“つもり”で死ぬ奴が多いんだよ」
冷たく突き放すような言葉。
けれど、その奥にあるのは、叱責ではなく警鐘の響きだった。
沈黙が流れる。
スコルは水を飲み干し、グラスをテーブルに置いた。
「……ただ、口で言ってもわかんねぇよな」
「え?」
「明日から少し時間ができる。依頼の合間に訓練をつけてやる」
リーネとセリアが同時に目を見開く。
「ほ、ほんとに!?」
「街の外で実地だ。危険はあるが、手加減はしねぇ。覚悟して来い」
「や、やる! もちろん行く!」
「……リーネさん」
セリアが苦笑を浮かべる。
「ねぇ、セリアさんも行こうよ! 実地なんて滅多にないよ!」
「……ふふ。ええ、もちろん行きます」
スコルは腕を組み、少しだけ口元をゆるめた。
「なら決まりだ。明日の朝、ギルド裏の門に集合だ。遅れたら置いてく」
「うんっ!」
「了解しました」
ふたりの返事を聞くと、スコルは椅子を引いて立ち上がった。
外の光が窓から差し込み、彼の影がテーブルの上に長く伸びる。
「……それと、旅に出る前にもう一度考えろ」
「考える?」
「“行きたい”だけじゃダメだ。行って何をするか、何を得るかを決めろ。
それを決めねぇまま歩き出した奴は、途中で道を見失う」
リーネはその言葉を胸の奥で反芻した。
“行ってみたい”――その思いだけでは、まだ足りないのだ。
「……わかった。ちゃんと考えてみる」
「そうしろ」
スコルは短くそう告げると、店の扉を押し開けた。
鈴の音が鳴り、午後の風が再び店内に流れ込む。
その背中はいつも通り無骨で、けれどどこか――見守るような温度を帯びていた。
扉が閉まり、静寂が戻る。
リーネはしばらくその方向を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……やっぱり、かっこいいな」
セリアは苦笑を漏らす。
「ええ、確かに。でも同時に、容赦ない人です」
「うん。でも、ああやって言ってくれるの、たぶん心配してるんだよね」
「そうですね。あの方なりの“優しさ”です」
二人は顔を見合わせて笑った。
そして、それぞれのカップに残った紅茶を飲み干す。
冷めかけた液体は、どこか現実の苦みを含んでいた。
「……明日、頑張ろうね」
「はい。街の外での訓練、きっと厳しいと思います」
「うん。でも、私、逃げないよ」
「分かっています」
セリアの穏やかな声が、静かに響く。
リーネはその言葉に小さく頷いた。
店を出る頃には、空がオレンジから群青へと変わっていた。
街灯が灯り始め、通りを歩く人の影が交錯する。
「ねぇ、セリアさん」
「はい?」
「いつかヒルステンに行く時も、きっとこうやって並んで歩けたらいいね」
「ええ。今よりも、もう少し強くなってから」
「うん。明日、まずはその第一歩だね」
リーネは胸の前で軽く拳を握る。
その姿に、セリアは静かに微笑んだ。
風が通りを抜けて、夕暮れの鈴が小さく鳴る。
二人の影が並んで伸び、その先にはまだ知らぬ旅路が続いていた。
誤字脱字はご容赦ください。
時間を見つけて訂正していこうと思います。




