30話「食事をしながら」
1日1〜2話を目標に執筆できればと考えています。
夕暮れが街を包み込む頃、宿の食堂には灯りがともり始めていた。
香ばしいシチューの匂いと、パンを焼く音。
木のテーブルに反射する暖かな光が、旅人たちの笑顔を優しく照らしている。
リーネは新しい槌を背負い、食堂の入り口で足を止めた。
「……うーん、やっぱり混んでるね」
「時間帯的に仕方ありませんね。みんな、一日の疲れを癒しに来ているんです」
セリアが微笑みながら答える。
その手には、ブラントからもらったばかりの魔導書。補助の魔力導紋板が装着され、淡く青い光を帯びている。
「どこか空いてる席――」
そう言いかけたリーネが、ふと視線の先でぴたりと止まった。
「……あ」
「どうしました?」
「スコルさんだ!」
食堂の奥。
人の少ない隅の席で、スコルが一人、無言でスープをすすっていた。
斧の柄が壁に立てかけられ、腰にはまだ包帯が巻かれている。
戦いの傷跡が残るその姿は、どこか静かで近寄りがたい雰囲気を放っていた。
「ねぇ、セリアさん、行こう」
「え? でも、あの方……今はゆっくりしているのでは?」
「大丈夫だって!」
リーネは小走りでスコルの席へ向かい、そのまま椅子を引いて座り込んだ。
セリアがあわてて後を追う。
「やっほー、スコルさん! 隣、いい?」
スコルはスプーンの動きを止め、ちらりと視線だけを向けた。
「……勝手に座ってるじゃねぇか」
「だって、見つけちゃったから」
リーネは悪びれもせずに笑う。
セリアは苦笑を浮かべながら、向かいの席に腰を下ろした。
スコルは溜息をつき、スープ皿をテーブルの端に寄せた。
「……ったく。ガキどもは静かに食えないのか」
「もう、“ガキ”じゃないもん。ほら、Fランクになったんだよ!」
胸を張ってギルドカードを見せるリーネ。
カードの表には、昨日刻まれたばかりの“F”の文字。
スコルはちらとそれを見て、短く鼻を鳴らした。
「……そうか。落ちこぼれからは一歩前進だな」
「むー……素直におめでとうって言ってくれてもいいのに!」
「そんな柄じゃねぇ」
「知ってるけど!」
言葉の応酬に、周囲の客が思わず笑みを浮かべた。
セリアはそんな二人を眺めながら、静かにパンを割る。
「スコルさんは、いつもこの宿なんですか?」
「たまたまだ」
「なるほど」
リーネが手を伸ばし、皿に並ぶ肉料理を覗き込む。
「わぁ、おいしそう! それって結構高いやつじゃ――」
「食うか?」
「えっ、いいの!?」
スコルは面倒くさそうに皿を半分押しやった。
リーネは目を輝かせながらフォークを握る。
「わぁっ、ありがとう!」
「子どもか、お前は……」
「いいじゃん! 昨日まで死にそうだったんだよ? ちょっとくらいご褒美!」
そう言いながら、リーネは一口かじって頬をほころばせた。
「ん~! おいしい!」
「……静かに食え」
セリアは苦笑を浮かべながら、自分の皿のスープをすくう。
「でも、いいですね。こうして皆で食べるの、久しぶりです」
「“皆”って言うほど人数いねぇだろ」
「えぇ、でも……それでも、ですね」
柔らかい微笑み。
その穏やかさに、スコルはわずかに目を伏せた。
「……お前ら、次はどうする」
「え?」
スコルがスプーンを置き、静かに尋ねる。
「昨日みたいな戦いは、もうしばらく続く。ロックハウンド程度で慌ててちゃ、この先もたねぇぞ」
その言葉に、リーネとセリアは思わず姿勢を正した。
「……はい。だから、準備を整えようって思って。今日、防具と武器を新しくしたんです」
「ブラントのとこか」
「うん! 前より軽くて持ちやすいんだよ!」
リーネは嬉しそうに新しい槌を見せる。
スコルはちらりとそれを見て、小さく頷いた。
「……悪くねぇ。手になじませとけ。新しい武器は、信頼できるまでが一番危ねぇ」
「うん、気をつける!」
しばし、三人の間に穏やかな沈黙が流れた。
食堂のざわめきと、パンを割る音。
そして、夜の帳がゆっくりと窓の外に落ちていく。
リーネはふと、スコルの包帯に目をやった。
「……まだ痛む?」
「平気だ」
「ほんとに?」
「ほんとだ」
短い返事。でも、どこか柔らかさがあった。
セリアが微笑みながら、カップを手に取る。
「……不思議ですね」
「何がだ」
「こうして三人で食卓を囲むと、“冒険者”って感じがします」
スコルは一瞬だけ目を細め、それからそっぽを向いた。
「……くだらねぇ」
けれど、その口元にはほんの少しだけ、笑みのようなものが浮かんでいた。
リーネはその変化を見逃さず、にやりと笑う。
「ねぇ、スコルさん、次の依頼も一緒に行こうよ!」
「は?」
「だって、今回うまくいったし、私たちまだまだ学ぶこといっぱいあるし!」
「……勝手に決めるな」
「じゃあ、“考えとく”って言って!」
スコルは深く溜息をつき、椅子の背にもたれかかった。
「……考えとく」
「やったー!」
リーネの笑顔が弾け、セリアも小さく吹き出す。
その音が、食堂のざわめきの中に溶けていった。
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食堂の喧騒が少しずつ落ち着き、外の風が窓を揺らした。
いつの間にか、夜は深く沈み、灯火の色が一層やわらかく見える。
皿の上の料理はほとんどなくなり、テーブルの上には空いたカップとパンくずが残るだけ。
それでも、三人はすぐに席を立とうとしなかった。
リーネがカップを指でくるくる回しながら、ちらりとスコルの横顔を見上げる。
「ねぇ、スコルさん」
「……なんだ」
「その……一つ、お願いがあって」
スコルの眉がわずかに動いた。
リーネは一瞬だけためらい、それでも真っ直ぐな目で言葉を続けた。
「今度、依頼がないときでいいから……訓練に付き合ってもらえない?」
スコルはスープの残りをかき混ぜるようにスプーンを動かし、そのまましばらく黙り込んだ。
沈黙。食堂の遠くでは、皿を片付ける店員の音だけが響いている。
「訓練、ねぇ……」
ようやくスコルが低く呟く。
「俺は教官でも師匠でもねぇぞ。加減なんかできねぇ」
「わかってる。でも、ちゃんと戦えるようになりたいの」
リーネの声は、真剣そのものだった。
軽口も冗談もなく、ただ純粋に願いを伝えるような響き。
スコルはその目を見返す。
焚き火のように揺れる瞳――怖れと意地、そして成長したいという意志が同居していた。
「……死ぬなよ」
「え?」
「訓練ってのは、怪我するのが当たり前だ。俺に教わるなら、甘くねぇ」
「うん、覚悟してる」
リーネの即答に、スコルは短く息を吐いた。
「……セリア、お前もか」
名前を呼ばれたセリアは、少しだけ微笑んで頷いた。
「はい。私も、学べることがあるならぜひ」
「……まったく、面倒な奴らだ」
スコルはそう言って、髪をかき上げた。
だがその声には、どこか呆れたようでいて――ほんのわずかに、温かみがあった。
「いいだろう。ただし、次の依頼が片付いてからだ。俺も暇じゃねぇ」
「ほんとに!? ありがとう!」
リーネが思わず身を乗り出す。
スコルは少し顔をしかめて、肩をすくめた。
「礼を言うのは、まだ早ぇ。やる気だけあっても、足手まといじゃ意味がねぇからな」
「うぅ……頑張るよ!」
「……そうしろ」
リーネの顔に笑みが戻り、セリアも胸に手を当てて小さく息をつく。
「ありがとうございます、スコルさん。あなたが一緒にいてくださるだけで、心強いです」
「感謝なんていらねぇ。教えるのは俺の気まぐれだ」
「それでも、です」
セリアの穏やかな微笑みに、スコルは目を逸らした。
「……勝手にしろ」
食堂の灯りが、彼の横顔を柔らかく照らす。
寡黙で無骨な男の輪郭が、少しだけ人間らしく見えた。
リーネは、ふと手元の槌を見つめた。
昨日までとは違う――今は“戦うための道具”として、自分の意志を映すような重みがあった。
「ねぇ、スコルさん」
「まだ何かあんのか」
「うん。昨日も、今日も……ありがと」
短い言葉だった。けれどその声には、昨日の恐怖も、悔しさも、乗り越えようとする決意も、全部が詰まっていた。
スコルは少しだけ目を細め、息を吐いた。
「……勝手に成長しろ。俺は手伝わねぇ」
「それでもいいよ。ちゃんと見ててね」
「……誰が見るか」
「ふふっ、そう言うと思った」
リーネが笑うと、スコルは露骨に顔を背けた。
セリアがくすくすと笑い、テーブルの上のカップをそっと揃える。
「さて、そろそろ部屋に戻りましょうか」
「うん」
「そうだな。夜更かしは筋肉の回復を妨げる」
「え、そんな理由で!?」
リーネの突っ込みに、スコルが小さく口の端を上げる。
ほんの一瞬、笑ったようにも見えた。
三人は立ち上がり、椅子の脚が床をこすって軽く鳴った。
スコルが斧を肩に担ぎ、出口の方へ歩き出す。
「じゃあな」
「うん! 次、訓練のときよろしくね!」
「……ああ」
その短い返事には、不思議と拒絶の響きはなかった。
ギルドで初めて会った頃の、氷のような眼差しとは違う。
ほんのわずかに――仲間を認めるような、そんな温度があった。
スコルの背中が食堂の出口を抜け、扉の向こうに消える。
リーネはその背を見送りながら、ぽつりと呟いた。
「……やっぱり、優しい人だよね」
「ええ。ぶっきらぼうですけど、嘘のない人です」
セリアが頷きながら微笑む。
二人は空いた皿を片付ける店員に軽く頭を下げ、食堂を出た。
外の空気は少し冷たく、夜の静けさが広がっている。
遠くで鐘の音が鳴り、月が雲の間から顔をのぞかせた。
リーネは小さく息を吐き、空を見上げた。
「次は、ちゃんとできるようになりたいな」
「ええ。今度は、恐れずに進めるように」
セリアの言葉に、リーネは頷く。
――その瞳には、昨日までになかった光があった。
恐怖の先にある、自分の力を信じるための光。
宿の廊下を歩く二人の足音が、木の床に静かに響く。
どこか遠くで、夜風が鐘楼をくぐり抜けた。
新しい一日が、すぐそこまで来ている。
そして彼女たちは、それを迎える準備を、ようやく整え始めたところだった。
誤字脱字はご容赦ください。
時間を見つけて訂正していこうと思います。




