28話「痛感」
1日1〜2話を目標に執筆できればと考えています。
夜明けの光が、宿の窓からゆっくりと差し込んでいた。
鳥の声がかすかに響き、静かな朝が訪れる。
だが、リーネはその心地よさに身を任せることができず、ベッドの上で小さく唸った。
「……いたたた……」
両腕、肩、腰。全身が悲鳴を上げていた。
昨日、ロックハウンドの死骸を八体も運んだ代償は、筋肉の隅々までしっかりと残っている。
身体を少し動かすだけで、鈍い痛みが走った。
「やっぱり、あれは無理しすぎたなぁ……」
隣のベッドでは、セリアが既に起きていた。
白いシャツに袖を通し、鏡の前で髪をまとめながら穏やかな声をかける。
「無理というより、気合いですね。……でも、よく頑張りましたよ」
「うぅ……嬉しいけど、体が全然言うこと聞かない……」
リーネは布団を頭までかぶって、ふてくされたように呻いた。
セリアは苦笑を浮かべながら、窓を開けて朝の風を入れる。
外では、街の通りに露店が並び始め、人々の声がちらほらと聞こえ始めていた。
「今日は、休みにしましょう。無理しても意味がありません」
「……うん、それがいいかも」
リーネは渋々起き上がり、髪をぐしゃぐしゃにしながら大きく伸びをした。
筋肉が軋み、再び小さく呻く。
「うぅ、やっぱり痛い……」
「はいはい……」
ベッド脇の椅子に座り、昨日の出来事を思い返す。
ロックハウンドの咆哮。血の匂い。スコルの背中。
そして、自分が何もできなかった瞬間の数々。
――恐怖よりも、悔しさの方が残っていた。
「ねぇ、セリアさん」
「なんですか?」
「……やっぱり、私たち、全然足りてなかったよね」
セリアは一瞬、手を止めた。
その横顔に、静かな苦笑が浮かぶ。
「……ええ。そうですね。力も、装備も、準備も」
「スコルさんがいなかったら、あのとき……」
「たぶん、私たちは今ここにいません」
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
けれど、その沈黙は重苦しいものではなく、現実を受け入れるための静けさだった。
セリアが窓辺に目を向ける。
朝の光が街を照らし、屋根の上で猫がのびをしている。
「だからこそ、学べたんです。昨日の一日は、きっと無駄じゃありません」
「……うん。でも、もうちょっとちゃんと準備してたら、あんなに怖くなかったかも」
「それは、確かに」
リーネは立ち上がり、手にしていた槌をじっと見つめた。
まだ乾ききらない血の跡が、柄の奥にこびりついている。
それを見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
「……“戦う”って、こういうことなんだね」
小さな呟きに、セリアは静かに頷く。
「ええ。恐ろしいことでもあるけれど、それを理解して初めて“冒険者”になれるんだと思います」
リーネは目を伏せたまま、拳をぎゅっと握った。
「……私、もう少しちゃんとやれるようになりたい」
「じゃあ、行きましょう」
「え?」
「ギルドです。ミリアさんに、相談してみましょう。今の私たちに足りないものを、少しでも埋められるように」
その言葉に、リーネの瞳がわずかに輝きを取り戻した。
「……うん、そうだね!」
二人は身支度を整え、宿を出た。
朝のサーブルは、昨日の夜とは違って明るく活気に満ちていた。
市場の通りには野菜や果物を売る声が響き、子どもたちがパンを抱えて走り抜けていく。
その喧騒の中を、リーネとセリアは肩を並べて歩いた。
「でもさ、セリアさん」
「はい?」
「スコルさんって、ほんと不器用だよね」
「……ふふ。そうですね」
「素材、譲ってくれたのに、あんな言い方するんだもん」
「彼なりの優しさですよ。きっと」
ギルドの扉を開けると、朝の光が差し込み、木の香りが迎えてくれた。
まだ人は少なく、受付カウンターにはミリアが一人、帳簿を整理していた。
顔を上げたミリアは、すぐに笑顔を見せる。
「おはようございます! あ、昨日は本当にお疲れさまでした!」
「おはようございます、ミリアさん」
セリアが丁寧に頭を下げ、リーネも続いた。
「二人とも、今日はゆっくり休むんでしょう?」
「いえ、その……相談があって」
セリアの声に、ミリアが首をかしげた。
「相談?」
リーネが一歩前に出て、槌を胸の前に抱えた。
「昨日の討伐で、思い知らされたんです。私たち……全然準備が足りてなかったって」
その言葉には、照れや見栄が一切なかった。
悔しさと、真っ直ぐな想いだけが滲んでいた。
ミリアは少しだけ目を丸くしたが、すぐに優しい笑みを浮かべる。
「それを自分から言える子はなかなかいませんよ。たいていは、怖がるか、無理して強がるかです」
ミリアは帳簿を閉じ、椅子から立ち上がった。
「じゃあ、教えてあげますね。冒険者が“生き延びるための準備”って、どういうものか」
リーネとセリアは思わず顔を見合わせた。
ミリアの声はいつになく真剣で、その瞳には、いつもの柔らかさの奥に確かな光が宿っていた。
「昨日のあなたたちを見て、ちょっと思ったんです。――本当に、いいパーティになるかもしれないって」
リーネの胸が高鳴った。
昨日までの恐怖と疲れが、少しずつ“次へ進む力”に変わっていくのを感じた。
−−−
ミリアはカウンターの奥から、分厚い木製の箱を取り出した。
中には、様々な道具や小瓶、巻物のようなものが整然と並んでいる。
「さて――まずは、あなたたちの“持ち物”を見せてもらえますか?」
「持ち物?」
リーネが首をかしげると、ミリアはにっこり笑って頷いた。
「はい。実際に何を持って冒険に出ているのか、確認しておきたいんです」
リーネとセリアは顔を見合わせ、少し気まずそうに荷物袋を取り出した。
中身をテーブルの上に広げる。
――槌、布のポーチ、乾燥肉が二つ、空の水筒一本。
そしてセリアのほうには、杖、簡易包帯、ポーションが一本だけ。
それを見たミリアの表情が、わずかに固まった。
「……なるほど。ずいぶん“軽装”ですね」
「えっ、そ、そうですか?」
「はい。討伐依頼にしては、ちょっとどころか、かなり無防備です」
ミリアは指で机をとんとんと叩きながら、一つひとつ指摘していく。
「まず、回復用ポーション。一本だけでは心もとないです。最低でも三本。種類も“軽傷用”と“重傷用”を分けておくこと」
「え、そんなに……?」
「それと保存食。乾燥肉だけじゃ足りません。塩漬けの野菜や干しパン、携帯スープもあるといいですよ」
リーネはぽかんと口を開けたまま、ミリアの言葉を追っていた。
セリアは真剣な顔で小さく頷いてメモを取っている。
「あと、布や包帯は自分たちでも巻けるようにしておきましょう。薬師を待っていたら、手遅れになることもあります」
「……はい」
「そして――地図とコンパス。持ってませんね?」
「えっと……方向はだいたい覚えてるから……」
「“だいたい”は、遭難のもとです」
ミリアの声に、リーネは思わず背筋を伸ばした。
「昨日の戦い、スコルさんがいたから帰って来られた。でも、もし一人だったら? セリアさんが傷を負って動けなくなったら?」
「……」
リーネの喉が、きゅっと鳴った。
昨日の光景が脳裏によみがえる――焦げた匂い、死骸、震える手。
ミリアは少し声を和らげた。
「怖がらせたいわけじゃありません。ただ、“備え”があれば、命を拾える場面もある。冒険者って、そういう職業なんです」
セリアが静かに口を開く。
「……確かに。あのとき、ポーションをもう一本でも持っていたら、スコルさんの負担を減らせたかもしれません」
「その気づきが大事です」
ミリアは優しく微笑み、二人の視線を順に受け止めた。
「それから――これは装備の話になりますが、リーネさんの鎧、まだ“見習い用”ですね」
「うん、安かったから……」
「悪くはありません。ただ、布と革の間に金属板を挟んだ“軽装甲”くらいにはしておいた方がいいです。魔獣の爪は、布じゃ防げません」
「……わかりました」
リーネは素直に頷きながらも、心の奥で小さく悔しさが滲んでいた。
昨日、目の前でスコルが受けた傷――あの痛みを、彼に任せたままにしたこと。
自分も、もっと守れる力がほしい。そう思った。
ミリアは一息ついて、箱の中から数枚の紙を取り出した。
「これが“初心者向けの持ち物リスト”です。ギルドで配布してるんですよ」
リーネが紙を受け取ると、びっしりと文字が並んでいた。
【回復薬】【包帯】【火打石】【予備の水袋】【携帯灯】【紐】【携帯食】【予備の武器部品】……。
「うわぁ……こんなに必要なんだ」
「“命を繋ぐ”ためのものですからね」
ミリアの声は穏やかだが、そこには現場を見てきた者の実感がこもっていた。
そのとき、隣の席で帳簿を整理していたハルドが、ふと顔を上げた。
無口な記録員の彼が話すのは、珍しい。
「……一つ、付け加えるなら」
低く、落ち着いた声。
リーネとセリアが振り向くと、ハルドはペンを置いてこちらを見た。
「装備も道具も大事だが――“命を落とす冒険者”の半分は、慣れから死ぬ」
「慣れ……?」
「最初の数戦で“自分はできる”と思うようになる。それが、一番危険だ」
静まり返った空気の中で、その言葉が重く響いた。
ミリアも黙って頷く。
「どれだけ装備を整えても、慎重さを忘れたら終わりです。逆に言えば、それさえ忘れなければ、意外と長く生きられる」
ハルドは再び帳簿に視線を戻した。
リーネは唇を噛みしめ、拳を握った。
「……忘れません。絶対に」
セリアも静かに頷く。
その眼差しには、昨日とは違う決意が宿っていた。
ミリアが微笑みを浮かべ、軽く手を叩いた。
「よし、それでこそ“次の一歩”です。今日は無理せず、装備を整える日にしましょう。わからないことがあれば、いつでも聞いてくださいね」
「はい!」
リーネの返事は明るく、どこか晴れやかだった。
昨日までの痛みも、不安も、すべてが次に繋がる糧に思えた。
ギルドの扉を出るころ、陽光はすっかり街を満たしていた。
行き交う人々の声、商人たちの笑い声、遠くで響く鐘の音。
そのすべてが――今日も“生きている”ことを教えてくれているようだった。
誤字脱字はご容赦ください。
時間を見つけて訂正していこうと思います。




