24話「方針」
1日1〜2話を目標に執筆できればと考えています。
夜の冷たさをわずかに残した朝の空気が、肌を刺すように澄んでいた。
通りにはパン屋の香ばしい匂いと、露に濡れた石畳の光。
まだ人影のまばらなサーブルの街を、私とセリアは並んで歩いていた。
「昨日は、結局日が沈むまで片付けでしたね」
セリアが小さく伸びをしながら言う。
「うん、でもやっと終わったね。……あのグリスウルフ、思ったより重かったよね」
「ですね。魔獣一体であの重さ……今でも腕が痛いです」
セリアは肩を回し、苦笑いを浮かべた。
私も同じ気持ちだった。魔獣を引きずって門まで運んだあの帰り道の重みは、まだ腕の奥に残っている。
でも――あのときの達成感も、ちゃんと胸の中に残っていた。
「……ちゃんと、やりきれたね」
「はい。依頼の報告も終わりましたし、あとは魔獣の件の確認だけですね」
「よし、じゃあ今日も気合い入れていこっか」
「ええ。……その前に、パン屋さん寄ります?」
「寄る!」
ふたりで顔を見合わせて笑うと、通りに朝の光が差し込み、白い息が淡く揺れた。
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ギルドの扉を押すと、木の軋む音とともに、温かな空気がふわりと包み込む。
いつもより早い時間のせいか、受付前の人は少ない。
木製のカウンターの向こうでは、リスティアが帳簿をめくっていた。
ミリアの明るい声が聞こえないだけで、ギルド内は少し静かに感じる。
「おはようございます、リーネさん、セリアさん」
リスティアが顔を上げて、軽く頷いた。
その整った表情はいつものように落ち着いていて、無駄のない動作に清潔さがあった。
「ミリアさんは……?」
「本日は早朝から別件の対応に出ています。代わりに私が処理を引き継いでいます」
淡々とした声。けれど冷たさではなく、規律の中にある柔らかさが伝わってくる。
「昨日の《グリスウルフ》の件で来ました。」
「はい、報告書はすでに拝見しました。お二人が遭遇したのは森の外縁で間違いありませんね?」
「はい。依頼中に偶然見つけて……放っておけなくて」
「無謀とも言えますが、結果として被害を防いだのは事実です」
リスティアの視線がまっすぐにこちらを射抜いた。
その眼差しには、叱責よりも確認の意味がこもっている。
私は少しだけ息を詰めながらも、頷いた。
「偶然です。……たぶん、運がよかっただけで」
「運も実力のうち、とは言われますが――」
リスティアは一拍置いて、言葉を続けた。
「“運に頼った実績”は長くは続きません。ですが、今回はきちんと報告も行っており、冷静な判断も見られました。
ギルドとしては、適正な対応を行ったと判断しています」
リスティアは机の引き出しから小さな革袋を取り出し、こちらに差し出した。
「討伐分の報酬、銀貨三枚です。受け取りをお願いします」
私は両手でそれを受け取った。袋の中で銀貨が小さく触れ合い、静かな音を立てる。
セリアは隣で安堵したように微笑んだ。
「ありがとうございます」
「お二人とも、今後も油断なさらぬように」
リスティアの口調はいつものように穏やかで、それでいて芯の通った響きがあった。
私は深く頭を下げ、短く息を吐いた。
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報酬を受け取っても、リスティアの視線はすぐには外れなかった。
彼女は帳簿を閉じ、机の上で指を軽く組む。
静けさの中に漂う張り詰めた空気――背筋が自然と伸びる。
「……ひとつ、確認しておきます」
リスティアの声が静かに響いた。
「昨日の戦闘、グリスウルフとの交戦は想定外だったはずです。――逃げるという選択肢は、考えませんでしたか?」
その問いに、私は言葉を詰まらせた。
頭の中に、昨日の光景が蘇る。
森の影、荒い息、迫る牙。
怖かった。けれど――逃げなかった。
「……考えたけど、無理でした」
「無理?」
「もし逃げてたら、他の誰かが襲われてたかもしれない。そう思ったら……体が勝手に動いて」
「……そうですか」
リスティアはわずかに目を閉じた。
叱責の気配ではなく、慎重に言葉を選んでいるような沈黙だった。
「セリアさんは?」
「私も同じです。判断としては軽率でしたが…」
セリアの声音には悔しさと、どこか誇らしさが混ざっていた。
リスティアはその様子を見つめ、静かに頷く。
「……ハルドさん、あなたはどう見ます?」
「報告書を見る限り、行動は無謀だが結果は悪くない。
怪我人なし、被害なし、報告は的確。……“冒険者として最低限の責任”は果たしている」
「最低限、ですか」
「ええ。とはいえ、それをきっちり守れる者は少ない」
リスティアは深く息を吐いた。
「お二人は、確かに成果を上げました。けれど、それは結果的に上手くいっただけ。
判断の誤りが命取りになることもあります。そのことを忘れないでください」
私は無意識に拳を握りしめた。
あの戦いの中で、恐怖と焦りがどれだけあったか――それを思い出す。
「……わかってます。もう無茶はしません」
「それなら大丈夫です」
リスティアは少し表情を和らげる。
「ですが、勇気を持って前に出たこと、それ自体を否定するつもりはありません」
彼女の視線が、再びハルドへと向けられる。
「昇格の判断は?」
「GランクからFランクへ。今までの実績、そして報告の正確性――どれも基準を満たしている」
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱を帯びる。
リスティアは頷き、机の上に置かれた二枚のカードを指差した。
「それでは、お二人のギルドカードを預かります」
私とセリアはカードを差し出す。
リスティアはそれを受け取り、端末に通して何やら入力を行った。
「――これで更新完了です。表記が『G』から『F』に変更されています」
カードを返されたとき、見慣れた鉄製の板がなぜか新しいもののように感じた。
刻まれた「F」の文字が、これまでの努力の証のように見える。
「……ありがとうございます」
「努力の結果です。次は、冷静な判断力も磨いてくださいね」
「はい!」
ハルドが腕を組みながら、静かに口を開く。
「昇格に伴って、受注可能な依頼の範囲が広がる。だが、初級依頼を軽視するな」
「肝に銘じます」
「いい返事だ」
リスティアは軽く微笑むと、帳簿を閉じた。
「――これで手続きは完了です。おめでとうございます、リメナス」
名前を呼ばれた瞬間、少しだけ胸が熱くなった。
セリアと顔を見合わせ、自然と笑みがこぼれる。
小さな一歩かもしれない。
けれど、確かに“前へ進んだ”実感がそこにあった。
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ギルドを出ると、外の空気は少し冷たく感じた。
昼の喧騒は落ち着き、夕陽が街並みを橙に染めている。
リーネは受け取ったばかりのカードを見つめ、胸の前でそっと握った。
鉄の表面に刻まれた「F」の文字が、淡く光を反射していた。
「……ねぇ、セリアさん」
「はい?」
「なんか、ちょっと実感わかないね」
「私もです。文字ひとつ変わっただけなのに、急に“冒険者らしくなった”気がして」
「ふふ、確かに!」
ふたりは顔を見合わせて笑った。
ほんの小さな変化かもしれない。
けれど、この数ヶ月の努力がようやく形になった気がした。
「……ねぇ、どこかでご飯食べて帰らない?」
「そうですね。今日は、ちゃんと祝わないと」
そういいながら、ふたりはいつもの宿の食堂へと向かった。
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食堂は夕食時で賑わっていた。
木のテーブルに置かれたランプの明かりが、暖かく揺れている。
リーネとセリアはいつもの席に腰を下ろした。
「今日くらい、ちょっと贅沢してもいいよね?」
「昇格祝いですし。……でも、使いすぎないようにしましょうね」
「わかってるって。セリアさん、ほんと堅実だよね」
「リーネさんが少し無計画すぎるんです」
「う……耳が痛い」
そう言って、ふたりは笑い合う。
運ばれてきたのは、香草で焼かれた肉と黒パン、そして温かいスープ。
久しぶりに“ゆっくり食べる”という感覚を味わいながら、リーネはぽつりと呟いた。
「ねぇ、これからどうしよっか」
「どう、とは?」
「昇格したし……少しずつ、外の依頼も受けてみようかなって思って」
「……また、森や丘の方に?」
「うん。でも、今度は無茶しない。ちゃんと準備して、できる範囲で」
セリアはスプーンを止めて、少しだけ考えるように目を伏せた。
「……私も、そう思っていました」
「え?」
「怖いですけど……それでも、私たちの魔法や力は、きっと誰かの役に立てると思うんです」
「うん」
短い返事だったけれど、その声には確かな意志がこもっていた。
「私ね、思ったんだ」
リーネはスープを飲み干して、目を細める。
「――“誰かを守る冒険者”になりたい」
「守る、ですか?」
「うん。森でグリスウルフを見たとき、思ったの。
怖かったけど、あのまま逃げたら、きっと誰かが襲われてた。
……それだけは嫌だった」
その言葉に、セリアはゆっくり頷いた。
「……私も、似たようなことを考えていました」
「ほんと?」
「はい。私は“世界を知りたい”です」
「世界を?」
「魔法も、人も、知らないことがたくさんあります。
昨日より今日、少しでも何かを知っていけたら……それが、私の“冒険”です」
リーネは目を丸くして、それからふっと笑った。
「そっか。じゃあ、私が守るから、セリアさんは知る係ね」
「ふふ、それなら頼もしいです」
「任せてよ!」
ふたりの笑い声が食堂に響く。
窓の外では、夜の帳がゆっくりと降り始めていた。
スープの香り、ランプの揺らぎ、そして胸に残る“新しい始まり”の鼓動。
この一歩が、次の冒険へとつながっていく――
ふたりとも、それを確信していた。
誤字脱字はご容赦ください。
時間を見つけて訂正していこうと思います。




