22話「久しぶりの外」
1日1〜2話を目標に執筆できればと考えています。
川辺に吹く風は、思っていたよりも涼しかった。
陽はゆっくりと傾き、長い影が草の上を伸びていく。
「……やっぱり、外の空気は違うね」
リーネが息を吸い込んで笑った。
湿った風の匂いには、街では感じられない“生の気配”があった。
「久しぶりですからね。……でも、少し怖くもあります」
セリアは手に持つ分厚い魔導書を胸に抱えながら言った。
その瞳には、わずかな緊張が宿っている。
群れの襲撃から数週間。
あの日以来、ふたりは街中の依頼しか受けてこなかった。
あの恐怖を、心のどこかでまだ引きずっていたのだ。
けれど、今日は違う。
ギルドの依頼書を手に、久しぶりに“外の採取依頼”へ出る決意をした。
「ベリナ草の採取」――小さな川辺の湿地帯で育つ鎮静草。
陽が落ちる前に集めて帰れば、危険はほとんどない。
そう――思っていた。
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川のせせらぎが耳に心地よく響く。
湿地には青い小花が風に揺れ、薄い香りを放っていた。
リーネはしゃがみ込み、手際よく根元を包み込むようにして草を摘み取っていく。
「セリアさん、これがそうだよね?」
「はい、間違いありません。葉の縁が淡く白いのが特徴です」
「了解!」
鎌を小さく動かし、リーネは草を一束、また一束とまとめていく。
陽光が水面に反射し、二人の影が波のように揺れた。
「……なんか、懐かしい感じするね」
「はい。けど、最初の依頼は運搬でしたから……こうして外で作業するのは本当に久しぶりです」
「そうだったね。あのときは荷物に振り回されて、足が棒になったよ」
「ふふっ、でも今はもう慣れましたね」
笑い合う二人の表情には、少しの誇りが宿っていた。
それは、ほんのわずかでも確かに積み重ねてきた証だった。
「……よし、これで十分かな」
リーネが腰を上げ、袋の口を縛る。
「そろそろ戻ろっか」
「はい。もうすぐ日が落ちますし――」
その時だった。
風が止まり、森の奥から低い唸り声が響いた。
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「……今の、聞こえましたか?」
セリアが眉をひそめる。
「うん。たぶん、魔獣……」
草むらの向こうで、何かが動いた。
湿地の泥を踏みしめる音――それは、確かに“獣”のものだった。
リーネは槌を構え、体を低くする。
次の瞬間、黒い影が飛び出した。
「来るっ!」
牙をむき、唾を飛ばしながら飛びかかってきたのは、狼のような魔獣――グリスウルフ。
群れではなく、単独。けれど、その体躯は人の倍ほどもあった。
「セリア!」
「はいっ――《影よ、縛れ》!」
セリアが魔導書を開き、指先で詠唱文字をなぞる。
黒い影が地面を這い、獣の脚へと絡みついた。
だが、完全には止められない。
獣は咆哮とともに暴れ、影を引き裂いた。
「っ、強い!」
「リーネさん、左に!」
セリアの声と同時に、魔獣が跳ねた。
リーネは体をひねり、ぎりぎりでその爪をかわす。
風圧が頬を切るように過ぎた。
「こいつ、速い……っ!」
「落ち着いてください、リーネさん。距離をとって!」
セリアが再びページを開き、指先から淡い影の靄を広げる。
そのわずかな隙をついて、リーネは槌を構えた。
「――はぁぁっ!」
金属が空を裂く音。
槌の一撃が獣の肩を打ち抜いた。
骨の軋む感触と、重い衝撃が腕に伝わる。
だが――倒れない。
グリスウルフは咆哮を上げ、血を散らしながら再び跳びかかった。
リーネは咄嗟に防御姿勢をとるが、体勢が崩れ、地面に転がる。
「リーネさんっ!」
「だい、じょうぶっ……!」
泥まみれになりながら立ち上がる。
新しい槌の柄がしっかりと手に馴染み、わずかに震えが止まった。
――まだやれる。
「セリア! もう一回、足を狙って!」
「了解――《闇よ、絡め取れ!》!」
ページを開いた瞬間、風が逆巻く。
闇が地面から噴き上がり、獣の足元を包んだ。
今度は逃れられない。
「今だっ!」
リーネは全身の力を込めて槌を振り下ろした。
鈍い音。
衝撃とともに獣が地面に沈み込み、動きを止めた。
静寂。
しばらくして、風が再び草を揺らす。
リーネは大きく息を吐き、肩で呼吸した。
「……倒した、のかな」
「ええ。……お見事です」
セリアが微笑み、そっと本を閉じた。
リーネは泥にまみれた頬を手で拭いながら、へたり込む。
「はぁ……心臓、止まるかと思った」
「……でも、やりましたよ」
「うん!」
ふたりは顔を見合わせ、笑い合った。
泥と汗と疲労の中に、それでも“生きている実感”があった。
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夕陽が沈み、川辺が橙色に染まる。
ベリナ草を詰めた袋を抱え、ふたりは森を後にした。
「……少し怖かったけど、なんか、楽しかったかも」
「そうですね。やっぱり外は――生きてる感じがします」
「また、来ようね」
「ええ。でも次は、もう少し早い時間に」
笑いながら並んで歩く。
夕暮れの風が頬を撫で、湿地の匂いを運んでくる。
リーネはそっと、新しい槌を見つめた。
夕陽の光を受けて、金属の面が淡く光っている。
「ありがとう。守ってくれて」
小さくそう呟き、彼女は槌を抱きしめた。
その背中を、セリアは静かに見守っていた。
誤字脱字はご容赦ください。
時間を見つけて訂正していこうと思います。




