【第4章:賢者との出会い】
【第4章:賢者との出会い】
森の奥深くへと進むにつれて、木々はさらに高く、うっそうと生い茂り、太陽の光はほとんど届かなくなっていた。湿った空気が肌にまとわりつき、鳥のさえずりさえも聞こえない。静寂だけが支配する世界。時折、枯れ葉を踏む音や、遠くで獣が吼える声が、静けさを破る不気味なアクセントとなっていた。
私は、リクの手をぎゅっと握りしめていた。リクもまた、私の手を取り返してくれる。不安と緊張で張り詰めた私の心を、彼の温かさが和らげてくれるようだった。
「アリシア、大丈夫か?」
リクが、心配そうに私の顔を見つめる。
「ええ、大丈夫よ。リクこそ、疲れてない?」
「ああ、大丈夫だ。アリシアが隣にいてくれるからな」
リクは、そう言って微笑んだ。
……リク。
私は、彼の笑顔に、胸が締め付けられるような思いがした。リクは、この旅に、命をかけてついてきてくれた。私を守るために、彼は、慣れない戦いを強いられている。彼はもともと平凡な農民なのだ。戦うのは本分ではないし、彼のような人が戦わなくてもすむように、私のような戦士がいるはずなのだ。
私は、リクを危険な目に合わせたくない。私と一緒に行動していたら、否が応でも魔物と戦うことになる。でも、リクは、私と一緒にいることを望んでいる。
私は、どうすればいいのだろう?
そんな葛藤を抱えながら、森の中を歩き続けた。
──どれくらい歩いただろうか。
私たちの前に、巨大な岩山が現れた。岩山は、まるで壁のように、私たちの行く手を阻んでいる。
「これは……?」
私は、岩山を見上げ、呟いた。
「…古代遺跡だね」
リクが、岩山に近づきながら、言った。
「古代遺跡?」
私は、リクの言葉に、目を丸くした。リクは、岩山から伸びる石積みの壁を、指でそっとなぞりながら説明を始めた。
「この石に刻まれた文字……どうやら僕には読めるみたいだ。……この岩山は、かつて、この地に住んでいた古代人たちが築いた遺跡のようだね。彼らは竜を崇めていて、高度な文明を持っていたと言われているが、ある時、突然姿を消してしまったんだ」
「そうだったのね」
私は、リクの言葉に、興味津々に耳を傾けた。
リクは、歴史や古代文明に詳しい。農作業の合間に、図書館に通って、様々な本を読んで勉強しているのだ。それにしても、古代人の文字が読めるだなんて。本当に博識だ。
私は、改めて、リクの多才さに感心した。
「竜か……。もしかしたら、遺跡の中に『影の暗黒竜』の手がかりがあるかもしれない」
リクは、そう言って、岩山を見上げた。
「そうね。行ってみましょう」
私は、リクの言葉に同意した。
私たちは、岩山に続く、細い道を登り始めた。道は、険しく、足元は滑りやすい。慎重に歩を進める。リクは、私の後ろを歩きながら、時折、手を貸してくれた。
リクは、なんて優しいのだろう。彼の優しさに、心が温かくなるのを感じた。
遺跡の石積みの階段を、どれくらい登っただろうか。私たちは、ようやく、岩山の頂上にたどり着いた。
頂上には、古代遺跡の入り口があった。巨大な石造りの門で、長い年月を経て、苔だらけになっていた。
「入り口ね」
私は、門を見上げ、呟いた。
「ああ、そうだね。でも、何か、変だな……」
リクは、門の前で立ち止まり、周囲を見回した。
「何が?」
私は、リクに尋ねた。
「うーん、気配っていうか、魔物とは違う力がある存在の気配を感じる気が……。いや、なんでもない。気のせいかもしれない」
リクは、首を横に振った。
私は、リクの言葉が気になりながらも、門をくぐった。門の向こうには、広大な空間が広がっていた。そこは、古代遺跡の中心部だった。
中央には、巨大な祭壇があり、その周りには、石柱が立ち並んでいる。祭壇と石柱には、古代文字が刻まれている。
「これは?」
私は、古代文字を指さしながら、リクに尋ねた。
「ちょっと待って、少し難しいことが書いてある。どうやら、この地を守る竜を称える詩のような、読めるんだけれど、意味を理解するのが難しいな」
リクは、古代文字をじっと見つめながら、言った。
その時、祭壇の奥から、声が聞こえた。
「ほう、これはこれは。珍しい客人が来たようじゃな」
私たちは、声のする方から現れた姿に目を凝らした。祭壇の暗闇の中から少しずつ姿を現したのは、一人の老人だった。
老人は、白いローブを身につけ、長い白髪と髭をたくわえている。
その目は、深く、鋭く、私たちを見透かすようだった。
「あなたは?」
私は、老人に尋ねた。
「わしは、この遺跡の守り人じゃ。お前たちは、何者じゃ?」
老人は、私たちに、そう問いかけた。
「私たちは、旅人です。この遺跡に、」
「ふぉふぉふぉふぉ、そうかそうか、分っておる。旅人じゃな」
「ええ、それでこの遺跡に『影の暗黒竜』の手がかりが」
「ふぉふぉふぉふぉ、そうかそうか、分っておる。竜を探しに来たのじゃな」
「いえ、竜ではなく、手がかりを」
「ふぉふぉふぉふぉ、そうかそうか、分っておる。暗黒竜じゃな」
「ええ、その『影の暗黒竜』の手がかりを」
「ふぉふぉふぉふぉ、そうかそうか、分っておる」
「いいから、話を聞いてください!」
「安心せい、お前達の胆力を試しただけじゃ」
「意味がわかりません」
老人は、私の言葉を聞いて、目を細めた。
「して、お前たちは、『影の暗黒竜』のことを、どこまで知っているのじゃ?」
老人は、私たちに、そう尋ねた。
「私はかつて、ブラックドラゴンに対峙しました」
「ほう?」
「その時の黒い竜のことを今でも覚えています。狂乱に陥らなければ、他の竜と同じ、神のような存在だったでしょう」
私は続けた。
「竜の力は強い。直接対峙した私は、そのことを知っています。そこへきて、魔物の出没と、それを操る『影の暗黒竜』という存在。──『影の暗黒竜』については、まだ分からないことばかりです。ですが、暗黒の竜が復活し、再び狂乱に陥るようなことがあれば、世界は闇に包まれるでしょう」
「ふむ……」
老人は、頷いた。
「その通りじゃ。黒い竜がかつてこの世界を滅亡の危機に陥れた。だが、黒い竜は勇者によって倒された。アリシア・ザ・ドラゴンバスター。お主のことだ」
「はい」
「黒竜の狂乱から時がたち、暗黒の竜は再びこの世界に現れようとしている」
「ブラックドラゴンが復活するのですか?」
「復活ではない。ブラックドラゴンの影である存在が、新たにこの地に出現し、多くの魔物を従えて世界を手に入れようとしているのだ」
老人は、深刻な表情で、そう言った。
「そんな……」
老人の言葉は衝撃であった。ブラックドラゴンの復活ではない、『影の暗黒竜』が誕生し、世界を牛耳ろうとしているのだ。そんなことが、あってはならない。
私は、リクの手を握りしめた。
決意を新たにする。『影の暗黒竜』を倒さなければならない。この世界を守るために。
「御老人、あなたは、『影の暗黒竜』のことを、よくご存知のようですね」
リクが、老人に尋ねた。
「竜じゃな。わしは竜の力を祀る、この遺跡を、長い年月をかけて守ってきた。遺跡の中の記録はすべて読んだ。だが、わしは、『影の暗黒竜』の出現を阻止できなかった」
老人は、そう言って、祭壇に近づいた。
「この遺跡──この祭壇から、『影の暗黒竜』は生まれたのだ。わしの力を持ってしても、出現を阻止できなかった。ものを知っているのと、力を持っているのとは違う。わしは非力なものじゃよ」
「そうだったのですね……」
私は、老人の言葉に、うなづくしかなかった。この老人は、この老人で、『影の暗黒竜』と戦おうとしているのだ。勇敢な老人だ、と思う。
「『影の暗黒竜』の力は強大じゃ。老人一人では、とても太刀打ちできんよ」
老人は、悲しげな表情で、そう言った。
老人の言葉に、胸が痛む。老人は遺跡のすべてを知り、それでも力に負けた。この老人を助けることはできるのだろうか。そして、どうすれば『影の暗黒竜』を倒すことができるのだろう?
私は、途方に暮れた。
その時、老人は、リクの方を向いた。
「若者よ」
老人は、リクに、そう呼びかけた。
「はい」
リクは、老人に、答えた。
「お主は、遺跡の文字が読めるようだな」
「はい……。どういう理由なのかわかりませんが」
老人は、リクをじっと見つめながら、言った。
「竜の力を感じる」
「竜の力?」
リクは、老人の言葉に、首を傾げた。
「ああ、お前の中には、計り知れない力が眠っておる。その力は、人々を癒し、世界を救う力となるじゃろう」
老人は、リクに、そう告げた。
「そんな、僕が?」
リクは、老人の言葉に、信じられないという表情を浮かべた。
「ああ。お前はまだその力に気づいておらんだけじゃ。わしは、感じる。お前の中には、大きな力が眠っておる」
老人は、リクに、そう言い聞かせるように、言った。
リクに不思議な力?私は、老人の言葉を聞いて驚いた。リクは、平凡な農夫だ。平凡な私の夫だ。とても優しい、争うことが本来嫌いな人だ。
彼に大きな力があるなんて。
──でももし、それが本当なら?……リクの力が『影の暗黒竜』を倒す鍵になるかもしれないなら?
私は、困惑で胸を詰まらせていた。
「若者よ、わしについて来い。遺跡の中で、わしの知っていることをすべて教えよう」
老人は、リクにそう言った。
「でも、僕は……」
リクは、戸惑っている。私は背中をおさないといけない。私が戦士であるが故に、リクを巻き込んでしまった。私にできるのは、少しでも彼が生き延びるチャンスを増やすことだ。
「リク、行ってらっしゃい」
「でも、アリシア……」
「大丈夫よ。私は、ここで待ってる」
私は、リクに、微笑みかけた。老人の言うように、彼が竜の力を持っているのなら、彼は、きっと、この世界で生き延びることができる。私は、そう信じることにした。
リクは、しばらくの間、迷っていたが、最後は、決意を固めたようだ。
「分かりました。あなたについて行きます」
リクは、老人に、そう言った。
「よろしい」
老人は、満足そうに頷いた。そしてリクを連れて、遺跡の奥へと消えていった。
私は、リクの後ろ姿を見送りながら、彼の名前を心の中で呟いた。──どうか、無事で、そして、どうか、この世界を守って。
「勇者が神頼みか?」
頭上から声がした。見上げると、そこには巨体があった。両翼を大きく広げた緑の体、長い首。翼を羽ばたかせることもなく、当たり前のように宙に浮くその姿は……。
「グリーンドラゴン!」
「久しぶりだな、アリシア。どうやっても君は我らドラゴンからは離れられないようだな」
それはかつて、狂乱した黒竜をともに追い詰めた、戦友であった。