【第3章:初めての危機】
【第3章:初めての危機】
森の中は、昼なお暗い。高くそびえ立つ木々が、太陽の光を遮り、地面には苔むした岩や倒木が散乱している。私たちは、徒歩で森の中を進んでいた。
ギルドの酒場で、胃の中のものを全部吐き出した後、私は医者のところに運ばれた。心のほうから来た発作的な嘔吐だから、医者が見ても分からないだろうと思ったけれど、案の定どこも問題ないという診断がくだされた。念の為と医者はいいつつ、妊娠もしていないことを教えてくれた。そして薬草を煎じた飲み薬を一瓶渡されて解放された。
どこも問題ないとは言われたものの、心配性のリクときたら、薬は足りるのかとか、果物は健康にいいから買いにいこうかとか、私のほうが心配になるくらいの動揺だった。
動揺なら、私のほうがよっぽどしている。……駄目だなあ。
夜まで横になっていたら、少しずつ落ち着いてきた。飲み薬の効果もあるのかもしれない。頭が整理できたとか、肝が座ったなんてことは全然ないけれど、何かしら行動しないといけない現実を理解し始めたのだ。
今のところ魔物はたいして強くない。腕が鈍った私でも倒せるくらいだ。弱いうちに叩け。敵が油断しているうちに叩け。
私はリクに言った。
「魔物はどこからやってくるのかしら」
「いまのところ、森や山間部に近い村のまわりに姿を見せているっていう話だったよね」
「このあたりの山は、大抵森とセットよね。草地や岩地の山はあまり見ないわ」
「とすると、鍵は森ってことになるね」
「でも、ドラゴンの棲み家と森というのが、結びつかないのよね。あの巨体がわざわざ気をなぎ倒して着地するとも思えないし」
「だとしたら、ドラゴンの手下がいるのかな」
「手下ね……」
かつての戦いを思い出す。ブラックドラゴンにたどり着くまでに、幾多の魔物と、それらを率いる臣下の怪物を倒しただろうか。今の騒ぎは、ブラックドラゴンの再来なんかじゃなくて、生き残りの怪物が起こしているのかもしれない。
「森に行こうよ。ヒントはそこにある気がする」
「そうね」
かくして私たちは、森の中を奥へ奥へと進んでいる。獣道は狭く、足元は不安定だ。
私は、剣を抜き身にし、周囲を警戒しながら歩を進める。リクは、私の少し後ろを歩いていた。彼は、剣などの武器は持たず、代わりに、木の杖をついている。リクは、戦いなんか経験していないのだ。
私は、彼のことを心配していた。だが、リクは、臆する様子もなく、しっかりと前を見て歩いている。強いな、と思う。私は、彼の心の強さに、改めて感心した。だが一方で、腕っ節についてはからっきしなので、実戦になった時にどれだけ彼が役に立つだろうか、あるいはどれだけ彼の援護をしなければならないかという点では、不安があった。
私たちは、しばらくの間、森の中を歩き続けた。一体、どこまで行けば、『影の暗黒竜』の手がかりが見つかるのだろうか?私は、焦燥感を徐々に感じ始めていた。
その時、リクが、立ち止まった。
「アリシア、何か聞こえないか?」
リクは、耳を澄ませている。
「え?」
私も、耳を澄ませてみた。すると、かすかに、何かが動く音が聞こえる。
……ガサガサ…ガサガサ……。
それは、まるで、大きな獣が、草むらをかき分けて進むような音だった。
「何だ?」
私は、剣を構え、警戒を強めた。
その時、私たちの目の前に、巨大な影が現れた。熊のような、狼のような、異形の怪物だった。体長は、3メートルを超えているだろう。全身を、黒く硬そうな毛皮で覆われ、鋭い牙と爪を持っている。そして、その目は、血のように赤く輝いていた。
「グォォォ…」
怪物は、私たちを見つけると、威嚇の咆哮を上げた。その首には、七角系の紋様がある。……竜の支配下にある魔物だ。それも、私が今まで見たこともない、強力な魔物。
「リク、気を付けて!」
リクに注意を促し、剣を構えなおす。
魔物は、私たちに向かって、突進してきた。
「くっ!速い!」
私は、魔物の攻撃をかわし、すかさず反撃する。振り返りざまに打突。剣が、魔物の体に深く突き刺さる。
「…ギャアアア!」
魔物は、悲鳴を上げて、のたうち回るが、すぐに立ち上がり、再び私たちに襲いかかってきた。
------驚愕した。強い!
この魔物は、私が今まで戦ってきた雑魚扱いされている魔物とは、比べ物にならないほど強い。これが、『闇の力』に操られているということなのだろうか。
私は、必死に剣を振るう。だが、魔物の攻撃は、激しさを増すばかりだ。
撤退するか?このままでは全滅になりかねない。私は、そう思った。
その時、リクが、私の前に飛び出してきた。
「リク!」
私は、思わず叫ぶ。
リクは、魔物に向かって、杖を振り上げた。
「聖なる光よ!」
リクの杖から、白い光が放たれた。光は、魔物に命中すると、大きな爆発を起こした。
「グォォォ!」
魔物は、悲鳴を上げて、地面に膝をついた。その隙を見逃さず、私は前に出て、首の紋様を十文字に切り裂く。魔物は倒れ込み、動かなくなった。
え、リク?え?今のは何?
私は、信じられない思いで、リクを見つめた。リクは、息を切らしながら、私の方を向いた。
「大丈夫か、アリシア?」
「ええ、大丈夫。でも、リク……今の、一体?」
リクに尋ねると、リクは、少し照れくさそうに、答えた。
「少しだけ魔法が使えるんだ」
「魔法? リクが?」
私は、驚愕した。
リクは魔法を使えるなんて知らなかった。いや、正確には、彼は魔法を使えなかったはずだ。
リクは、魔法の才能がなかった。
村の学校には一年に一度、魔法使いの先生が出張教室でやってきて、簡単な魔法の授業と試験をしてくれる。リクはまったく魔法が使えず、当然試験もからっきしで、先生からは魔法使いだけはやめておけと言われていた。
……なのに、なぜ?
「最近、少しだけ、使えるようになったんだ。まだ、うまくは使えないけど……」
リクは、そう言って、照れくさそうに笑った。
リク、そんなにまでして……。私は、リクの成長に、心から感動した。彼は、私を守るために、魔法を使えるようにまでなったのだ。
ありがとう、リク。私は、リクに抱きつき、感謝の気持ちを伝えた。
どれくらいそうしていただろう。抱き合ったままなことが、ふいに恥ずかしくなり、私はふっと離れた。リクは相変わらず穏やかな恵美を浮かべていた。
その後、私たちは、倒れた魔物を調べた。すると、魔物の体から、黒い煙のようなものが立ち上り、空へと消えていった。
「あれは何かしら?」
私はつぶやいた。するとリクが真剣な表情で言った。
「あれは、『影の暗黒竜』の力だ。やっぱり、あの魔物は、『影の暗黒竜』に操られていたんだね」
「そうね……」
私は、リクの言葉に、頷いた。
『影の暗黒竜』は、すでに、この世界のあちこちに魔の手を伸ばしている。その存在の意味するところはまだ分からない。かつて私が暗黒竜を倒したことが、どの程度関係しているのか。いずれにせよ、私たちは一刻も早く、『影の暗黒竜』を倒さなければならない。
私たちは、再び決意を新たにした。
「森のの奥に向かったほうがいいわね」
「そうだね。でもその前に……」
「その前に?」
「もう少し、抱きしめてもいいかな?」
「もう……」
私たちはお互いの体温を確かめあう。と同時に、私の中には小さな不安の種も膨らみつつあった。
私たちは、この先森の中をさらに奥へと進むだろう。その道は、決して平坦なものではないはずだ。魔物に襲われる数も、半端ではない。その度に、私は、剣を振るい、リクは、魔法を使う。そうして、奥へと進むのだろう。
リクの魔法は、まだ未熟だけれど、彼の魔法は、確実に、私たちを助けてくれる。
リクは、私を守るために、必死に戦ってくれるだろう。…私は、そんなリクの姿を見て、心から感謝するだろう。
そんな想像の中、同時に、ある不安と予感を感じていた。
リクは、戦いに慣れていない。戦士ではないのだ。このままでは、彼が傷ついてしまうかもしれない。私は本来、リクを危険な目に合わせたくない。でも、リクは、私と一緒に戦うことを望んでいる。
どうすればいいのだろう?
すぐには答えが見つからない葛藤を抱えながら、私たちは、森の中を歩きはじめた。